■編集元:ガイドライン板より「もし鎌倉幕府が元寇に負けてたらどうなったの?」
256 水先案名無い人 :2009/12/22(火) 20:54:22 ID:KNT7MLrO0
256 水先案名無い人 :2009/12/22(火) 20:54:22 ID:KNT7MLrO0
68 名前: リービッヒ冷却器(長野県) 投稿日:2009/12/22(火) 14:29:13.46 ID:f1tO3fFs
お前らが小学校時代に習って今でも信じている元寇

オリジナル

普通に日本側が圧勝だったことは絶対に学校では教えない
お前ら自身、大苦戦の結果辛勝したって今でも信じてるだろ?
なんで大学の歴史研究と小学校の現場でこうも歴史の内容が丸っきり違うんだろうな。
136 名前: 墨(不明なsoftbank) 投稿日:2009/12/22(火) 14:51:00.36 ID:PNWW1xbw
>>68
この絵の説明に当時の日本は一対一で名乗りあって戦ってたから苦戦したみたいなこと書いてあったな
後ろにいっぱいいるじゃないか
145 名前: インク(アラバマ州) 投稿日:2009/12/22(火) 14:53:36.18 ID:94wX9tdq
>>136
俺も小学校でそう教わった。
嘘だったんだよなぁ。
なんでそんな露骨な嘘教えてたんだろ?
193 名前: ムーラン(アラバマ州) 投稿日:2009/12/22(火) 15:19:00.65 ID:HrgLquCR
>>68
この前、これの現物を東京国立博物館で現物見てきた
お前らが小学校時代に習って今でも信じている元寇

オリジナル

普通に日本側が圧勝だったことは絶対に学校では教えない
お前ら自身、大苦戦の結果辛勝したって今でも信じてるだろ?
なんで大学の歴史研究と小学校の現場でこうも歴史の内容が丸っきり違うんだろうな。
136 名前: 墨(不明なsoftbank) 投稿日:2009/12/22(火) 14:51:00.36 ID:PNWW1xbw
>>68
この絵の説明に当時の日本は一対一で名乗りあって戦ってたから苦戦したみたいなこと書いてあったな
後ろにいっぱいいるじゃないか
145 名前: インク(アラバマ州) 投稿日:2009/12/22(火) 14:53:36.18 ID:94wX9tdq
>>136
俺も小学校でそう教わった。
嘘だったんだよなぁ。
なんでそんな露骨な嘘教えてたんだろ?
193 名前: ムーラン(アラバマ州) 投稿日:2009/12/22(火) 15:19:00.65 ID:HrgLquCR
>>68
この前、これの現物を東京国立博物館で現物見てきた
v>261 水先案名無い人 :2009/12/22(火) 21:11:48 ID:bC0Ntjk00
つーか、32歳の自分ですら小学校のときに読んだマンガ日本の歴史(良くある
学習マンガ。正確なタイトルや出版社は覚えてない)では上陸を試みた元軍が
防壁に阻まれて普通に追い返された上に船にまで夜襲を食らってる展開だったぞ。
未だに>>256みたいな教え方をしてる学校ってホントにあるのか?
苦戦したけど神風で助かったみたいな教わり方した
>>256にある1体1の記述もあった気がする
>>256
ちなみに、どの教科書にも載ってるこの「蒙古襲来絵詞」なんだが
毒矢とか「てつはう」くらいまくってる中央のおっさん(竹崎さん)が
故郷から一旗揚げに参戦し、活躍が認められ、褒美に馬を貰って凱旋するという
サクセスストーリーだということは、意外に知られていない事実
>>271
スゲエな竹崎さん
多分元寇の時が人生のピークだったんだろうなあ
>>271
むしろ竹崎季長が描かせたんだろ?褒美くれよ!!ってことを言うために
>>292
恩賞を貰うのに尽力してくれた恩人が死んだんで作ったとさ
蒙古襲来絵詞
http://www.lib.kyushu-u.ac.jp/hp_db_f/moukoshurai/index.html
一騎だけ飛び出して中央にいるのは、これを作らせたスポンサーの竹崎季長
つまり主人公を強調する絵画の演出かもしれない
鎌倉武士団が一騎打ちを挑んだというのは資料の誤読だという説もある
http://blogs.yahoo.co.jp/sa341gazelle/9401856.html
>>293
非常に有名なこの画像より

ほとんどの人が知らないこの画像の方が、

起こっていた状況をより正しく表してるってことか
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なるほど。
げんこうの教育には間違いがあるってことか。
げんこうの教育には間違いがあるってことか。
で、なんでなの???
途中から相手のやり方に対応できるようになったり、奇襲で海戦仕掛けて成功したり、
神風無くても武士はそれなりに戦えてたと中学では習ったが、圧勝だったのか。
神風無くても武士はそれなりに戦えてたと中学では習ったが、圧勝だったのか。
※1
誰ウマ
誰ウマ
話に尾ひれが付いてるのを抜きにしても、侍ってのはかなり強かったらしいね
朝鮮出兵ん時も侍がめっさ強かったって話があるはず
朝鮮出兵ん時も侍がめっさ強かったって話があるはず
なんか戦後教育の誤りみたいに考えている人もいるみたいだけど、
学校で教えられている日本史の骨格は明治から昭和初期くらいに固められているもんなんだよね。
後の研究で誤解とわかったものは数多いけど、有名になったり政治的にネタになりやすいものから修正されていって、積極的に変える理由がないものはほったらかしになりやすい。
学校で教えられている日本史の骨格は明治から昭和初期くらいに固められているもんなんだよね。
後の研究で誤解とわかったものは数多いけど、有名になったり政治的にネタになりやすいものから修正されていって、積極的に変える理由がないものはほったらかしになりやすい。
圧勝はちょっと言いすぎ
ただまあ、神風にやられた=上陸拠点を設けることが出来ず船で夜を明かさなければならなかったってのは事実
んで結局、負けてたらどうなってたのかって話はしてないのか?
ただまあ、神風にやられた=上陸拠点を設けることが出来ず船で夜を明かさなければならなかったってのは事実
んで結局、負けてたらどうなってたのかって話はしてないのか?
新技術の戦法に日本ポカーン→台風で上陸できず涙目撤退→めでたしめでたし
こういう教え方のほうが情景が想像がしやすいし厨房にはわかりやすいのかもな
どこの歴史教師が最初にやり始めたのかは知らんが
こういう教え方のほうが情景が想像がしやすいし厨房にはわかりやすいのかもな
どこの歴史教師が最初にやり始めたのかは知らんが
元寇には朝鮮人がいてこれが日本を侵略しようとしたのと、
日本に負けたのはまずいなぜなら朝鮮大好きの日教組が
日本に負けたのはまずいなぜなら朝鮮大好きの日教組が
火薬や奇襲で向こうが上だったけど、たまたま二回とも台風で辛勝って習ったわ
もし>>68が事実なら、捏造とは言わないけど戦時の教育の影響なんじゃね
もし>>68が事実なら、捏造とは言わないけど戦時の教育の影響なんじゃね
写真や映像が残ってないのに嘘とか誤りとかよく決め付けられるね君ら。この記事の最初の発言者の論拠となる論文すら紹介されてないし。この程度で信じてたら情強きどりの情弱になるぞ
オリジナルを見ると敵は接近戦で弓矢を使ってやがる
日本軍は鎧があって矢がささらず追走していて
敵は矢が刺さっていて敗走してやがる
くっくっくう、圧倒的じゃないか、我が軍は
日本軍は鎧があって矢がささらず追走していて
敵は矢が刺さっていて敗走してやがる
くっくっくう、圧倒的じゃないか、我が軍は
でもこの絵って日本側の武将が書かせたんだろ?
自分たちが負けてる絵なんて書かせるわけないんだからわからんぞ。
自分たちが負けてる絵なんて書かせるわけないんだからわからんぞ。
でもこの極端なシーンだけ切り取って教科書にのっけてるのは事実だしなぁ
まぁ当時の元はチョソ国を支配下に置いたせいで法則の真っ最中だし
日本が勝ってたのが史実だろうな
そういえばNHKがこの題材でも偏向番組作ってたな
日本が勝ってたのが史実だろうな
そういえばNHKがこの題材でも偏向番組作ってたな
米1014
まあでもこの絵見て
「侵略怖ぇー。国防大事」
って思えればいいんじゃね?
まあでもこの絵見て
「侵略怖ぇー。国防大事」
って思えればいいんじゃね?
初めて知った…
これも日教祖のグズのせいか。自分もまんまと嵌まってたと知ると、一層ムカつく
これも日教祖のグズのせいか。自分もまんまと嵌まってたと知ると、一層ムカつく
上にも出てるが日教組のせい。
蒙古、朝鮮の連合軍だったのに朝鮮が日本侵略に加わったのは教えないし、
朝鮮が日本に負けたのを教えるとアレなので
「日本は負けそうだったけれど神風のお陰で助かった」
と天気に助けられた事にしてる。
蒙古、朝鮮の連合軍だったのに朝鮮が日本侵略に加わったのは教えないし、
朝鮮が日本に負けたのを教えるとアレなので
「日本は負けそうだったけれど神風のお陰で助かった」
と天気に助けられた事にしてる。
事実はどうあれこんな恣意的な切り取り方をしたら、原本を見た時に真逆に振れるよな
歴史なんて施政者の都合の良い様に捻じ曲げられてることはそのうち気づくんだから、そのまま教えてこんな説もある程度に教えればいいのに
浅はかだよなあ
歴史なんて施政者の都合の良い様に捻じ曲げられてることはそのうち気づくんだから、そのまま教えてこんな説もある程度に教えればいいのに
浅はかだよなあ
何がほんとで何が嘘やら・・・
自分の目で見たわけじゃねーしな
自分の目で見たわけじゃねーしな
あーそっか「日本はあんまり強くなかった」
っていうことにしたいのか
あっちも日教組も被害妄想強いから
「日本圧勝!ぼっこぼこにいじめて手に穴開けて海に流しましたw
そんなわけで日本は謝罪と賠償を」
とかにするかと思ってた…
それはそうとウマ一匹に逃げ惑うおっさん達カワいい
っていうことにしたいのか
あっちも日教組も被害妄想強いから
「日本圧勝!ぼっこぼこにいじめて手に穴開けて海に流しましたw
そんなわけで日本は謝罪と賠償を」
とかにするかと思ってた…
それはそうとウマ一匹に逃げ惑うおっさん達カワいい
日本の教育現場に期待するなってことですね
絵をそのまま信じるのはダメだよ
ヨーロッパ人の新大陸発見当時の絵だって、
文明もないような原住民が、神の使いみたいなヨーロッパ人に貢ぎ物をしてる絵なんだから。
現実は、大西洋横断で汚れきった男たちに施しをしてる優しい現地の人々だし。
ヨーロッパ人の新大陸発見当時の絵だって、
文明もないような原住民が、神の使いみたいなヨーロッパ人に貢ぎ物をしてる絵なんだから。
現実は、大西洋横断で汚れきった男たちに施しをしてる優しい現地の人々だし。
まあ、100人に嘘を教えて、その後に30人が覚醒したとしても
残りの70人は嘘を信じて生きていくから日教組としては全然OKだよね
残りの70人は嘘を信じて生きていくから日教組としては全然OKだよね
日教組を皆殺しにすべきだな
いちいち名乗ってから弱かったってのは
そうしないから義経は強いんですっていう義経伝説と混ざってるんじゃ
そうしないから義経は強いんですっていう義経伝説と混ざってるんじゃ
むしろ鎌倉幕府が恩賞をあげたくなかったから辛勝だったように伝えた
という話を聞いた気がする。
という話を聞いた気がする。
まず戦前の軍部の負け惜しみ「いざとなれば神風がふく」説で元寇時の台風が強調されすぎた。そしてその話に、歴史に無知かつ昔から日本は戦争が強かったなんて話をしたくない日教組が乗ったと考えている。
もし元が一時的に九州北部を制圧し元人、鮮人が悪行を働いたって歴史だったら、戦後教育で元寇そのものが忘れ去られただろうことは想像に難くない。
もし元が一時的に九州北部を制圧し元人、鮮人が悪行を働いたって歴史だったら、戦後教育で元寇そのものが忘れ去られただろうことは想像に難くない。
最後の絵だけ見ると鎌倉ジャパンの圧勝に見えるな
日教組がそうしたって証拠はどの辺から?
想像だけで語るなら何でも言えるよね。
最近ネットも嘘ばっかり書くから何が真実かわかんなくなってきた。
想像だけで語るなら何でも言えるよね。
最近ネットも嘘ばっかり書くから何が真実かわかんなくなってきた。
1のくせにクオリティ高いな
防衛戦争なんだから、圧勝じゃなきゃ日本ネーだろ。
国防と以降の防衛費に金を使った所為で貧乏になったわけで。
一番死んだのは韓国人で、中国にとっては殆ど痛くも痒くもなかったと言う調査だし、誰が隠したい情報なのかは予想に難くないわな。
国防と以降の防衛費に金を使った所為で貧乏になったわけで。
一番死んだのは韓国人で、中国にとっては殆ど痛くも痒くもなかったと言う調査だし、誰が隠したい情報なのかは予想に難くないわな。
うろ覚えだがぼろ負けして神風吹いて帰ってくれたと習った希ガス
絵だけ見ると騎兵ユニットがぱらぱらとおびき出されて
各個撃破されてるようにしかみえんしな。苦戦説はそのへんから
きてるのかも
各個撃破されてるようにしかみえんしな。苦戦説はそのへんから
きてるのかも
NHKの「その時、歴史が動いた」でも大苦戦のストーリーだったけど
違うのか・・・騙されてたわ
違うのか・・・騙されてたわ
この件に関しては日教組関係ないだろ。
上で言ってる人がいるように、むしろ神風説を強調しているのは戦前の皇国史観だ。
単純に昔から庶民の間で語り継がれていた講談と現実は
ちょっと違うってだけ。
足利尊氏の肖像画が高師直とか
騎馬突撃なんて無かったとか
長篠鉄砲3000丁で交代3段撃ちはありえないなんかと一緒。
これらも日教組の陰謀なのかよw
上で言ってる人がいるように、むしろ神風説を強調しているのは戦前の皇国史観だ。
単純に昔から庶民の間で語り継がれていた講談と現実は
ちょっと違うってだけ。
足利尊氏の肖像画が高師直とか
騎馬突撃なんて無かったとか
長篠鉄砲3000丁で交代3段撃ちはありえないなんかと一緒。
これらも日教組の陰謀なのかよw
坂の上の雲、完全ボロ勝ちだった日清戦争も
原作すら無視して「本当は中国の勝ち」みたいな作りになってた
この国はなんかおかしい
原作すら無視して「本当は中国の勝ち」みたいな作りになってた
この国はなんかおかしい
逆に中国では元寇の事を「元日戦争」といって日本の武将を高く評価している。
特に2回目の元寇では新造した船が900隻、14万人の主力兵士を投入して数日で完敗しているから。
元は中国全土を支配する程の勢力を持っていて完全敗北は元日戦争の2回のみ。
台風説はかなり信憑性が低い。
何故なら記録では2回ともに台風が来ない季節に戦争してる。
もしも本当に台風なら正に神風だわな。
日本の歴史として教科書に大きく取り上げられないのは、第二次世界大戦中に鎌倉武将の功績を取り上げて「神風で勝つ」的な教育をしたことと、元が略奪したことが原因。
元兵士の多くは元の属国だった朝鮮半島の高麗からかき集められたから。
特に2回目の元寇では新造した船が900隻、14万人の主力兵士を投入して数日で完敗しているから。
元は中国全土を支配する程の勢力を持っていて完全敗北は元日戦争の2回のみ。
台風説はかなり信憑性が低い。
何故なら記録では2回ともに台風が来ない季節に戦争してる。
もしも本当に台風なら正に神風だわな。
日本の歴史として教科書に大きく取り上げられないのは、第二次世界大戦中に鎌倉武将の功績を取り上げて「神風で勝つ」的な教育をしたことと、元が略奪したことが原因。
元兵士の多くは元の属国だった朝鮮半島の高麗からかき集められたから。
※1016
そういうのも歴史の歪曲利用ではないかね
事実は事実として教える。国防の重要性はそれとは別にちゃんと教えるのが正道
「水からの伝言」みたいなことしてちゃいかんよ
そういうのも歴史の歪曲利用ではないかね
事実は事実として教える。国防の重要性はそれとは別にちゃんと教えるのが正道
「水からの伝言」みたいなことしてちゃいかんよ
世界史では元は日本に苦戦しましたって習った気がする
ひとりに対して複数で戦った
風のせいでたくさん船が難破した
短い弓で連射された
奴隷の兵士ばっかりでやる気がなかった
っていうのも習った。
楽勝だったのになんで二回目に備えて堤防作ったんだ?
風のせいでたくさん船が難破した
短い弓で連射された
奴隷の兵士ばっかりでやる気がなかった
っていうのも習った。
楽勝だったのになんで二回目に備えて堤防作ったんだ?
実際は地上では侍に太刀打ち出来なくて何ヶ月も船上で立ち往生することになって
そのせいで台風が来てしまってとどめを刺された感じなんだけどな
米1041
そりゃ攻めてくるのが分かっていて何の対策もしない訳無いだろ
被害は小さければ小さいほど良いんだし
そのせいで台風が来てしまってとどめを刺された感じなんだけどな
米1041
そりゃ攻めてくるのが分かっていて何の対策もしない訳無いだろ
被害は小さければ小さいほど良いんだし
俺は最初の絵みて逆に日本人一人で奮闘してんじゃんって思ったけどな・・
てか神風嘘なら日本の教育って最悪だろ・・・
てか神風嘘なら日本の教育って最悪だろ・・・
例えば100人倒して3人やられても数字的に楽勝とは言うが、出来ればその3人すら被害がない方がいいだろ。
名乗りをあげるのは戦功をはっきりさせるために必要で、常識だったんじゃね?
で、そういう正規戦を挑んだら各個撃破されそうになったので、戦術を変えて、夜襲などのゲリラ戦に徹し、閉口して船で寝ていたら台風が来た、と教わったけどなあ・・・。
で、そういう正規戦を挑んだら各個撃破されそうになったので、戦術を変えて、夜襲などのゲリラ戦に徹し、閉口して船で寝ていたら台風が来た、と教わったけどなあ・・・。
結局この※欄と合わせて読んでみるに
事実はどうだったのか、圧勝だったのか辛勝だったのか
誰が事実を捻じ曲げて後世に伝え様としたのか
何もかもわからんwww
まあ鎌倉幕府が負けてたら日本ネーってのだけはわかるが
事実はどうだったのか、圧勝だったのか辛勝だったのか
誰が事実を捻じ曲げて後世に伝え様としたのか
何もかもわからんwww
まあ鎌倉幕府が負けてたら日本ネーってのだけはわかるが
元側の兵士達は実は朝鮮人がほとんどだったってのは去年知ったな
元寇14万で鎌倉4万、どう考えてもまともにやりあえば負ける数
自主的撤退による威力偵察で正解
日本側の戦力が広報を脅かすほど大きな戦力だったら
直接対決になったろ
自主的撤退による威力偵察で正解
日本側の戦力が広報を脅かすほど大きな戦力だったら
直接対決になったろ
武士の遠征による農作などでの人手不足や集まりすぎて恩賞困るとか
要するに人件費的なものが設備投資を上回っただけじゃないの?
てか相当頭沸いてなきゃ厄災が来るとわかったら準備くらいするだろ。
雨が降ってきたら窓閉めるだろ?
要するに人件費的なものが設備投資を上回っただけじゃないの?
てか相当頭沸いてなきゃ厄災が来るとわかったら準備くらいするだろ。
雨が降ってきたら窓閉めるだろ?
まぁ当時の武士は報奨金目当てで幕府に従属していたので、
防衛戦でお金にならなかったため、報奨金払えず、
鎌倉幕府衰退、ってお話もあったような
防衛戦でお金にならなかったため、報奨金払えず、
鎌倉幕府衰退、ってお話もあったような
お前らがよくやる「ほら吹き武勇伝」じゃないの?
って可能性も高いけれどな
って可能性も高いけれどな
おいおい、昨日のNHKで、元寇にモンゴルが撤退したのは、
朝鮮半島でゲリラ活動してた朝鮮人義兵のおかげだって言ってたぞ。
どう考えてもNHKが言ってた方が正しいように思うぞ。
この絵だって本物かどうかわからないし、少なくとも昨日のNHKで
言った説は韓国だけじゃなく、日本人の学者も同意してる。
ロシアすら破ったモンゴルを日本が勝てるはずがない。
朝鮮半島でゲリラ活動してた朝鮮人義兵のおかげだって言ってたぞ。
どう考えてもNHKが言ってた方が正しいように思うぞ。
この絵だって本物かどうかわからないし、少なくとも昨日のNHKで
言った説は韓国だけじゃなく、日本人の学者も同意してる。
ロシアすら破ったモンゴルを日本が勝てるはずがない。
そもそも元はモンゴルの騎馬民族だろ?
日本に船で攻め入ったのは指揮官はともかく、大半が奴隷兵の朝鮮人で士気は相当低かったって習ったけどな。
日本に船で攻め入ったのは指揮官はともかく、大半が奴隷兵の朝鮮人で士気は相当低かったって習ったけどな。
マジレスすると戦前にそう教えていたから
圧勝よりも辛勝のほうが神風の神性をより表せるから
圧勝よりも辛勝のほうが神風の神性をより表せるから
一回目に得た行幸を二回目に生かしたのは事実だけど・・・
ほとんどが命令されてた烏合の衆の朝鮮人だったんだよな
昨日のNHKって、明らかに朝鮮持ちあげ企画のやつかw
あの写真の切り出しは本当にひどいな
考えてみれば職業軍人の鎌倉武士と、錬度も士気も低い奴隷の寄せ集めの元軍が戦ったら
日本側が優勢になるのは目に見えてることだったな・・・
今は教える立場になったから子供たちに写真を見せてやるかな
考えてみれば職業軍人の鎌倉武士と、錬度も士気も低い奴隷の寄せ集めの元軍が戦ったら
日本側が優勢になるのは目に見えてることだったな・・・
今は教える立場になったから子供たちに写真を見せてやるかな
現代戦ならまだしも3倍の兵力相手に楽勝とかありえねぇからw
鎌倉軍が思いのほか粘ったお陰で
14万の軍隊を支える兵糧、備蓄兵装、矢束が切れて撤退したんだろ
物資は現地調達の騎馬民族が兵站の事なぞ考えてる筈ねぇし
鎌倉軍が思いのほか粘ったお陰で
14万の軍隊を支える兵糧、備蓄兵装、矢束が切れて撤退したんだろ
物資は現地調達の騎馬民族が兵站の事なぞ考えてる筈ねぇし
実際に日本がそう簡単に負けないだろうから負けた後は想像できんな・・
そりゃ一敗地まみれる事はあるかも知れんが上陸占領はムリだろw
そりゃ一敗地まみれる事はあるかも知れんが上陸占領はムリだろw
物語としての歴史の功罪だな
武士かっこよすなあ
高麗(朝鮮)は元の属国で
無理やり駆り出されて嫌々日本と戦ったんです可哀想ですね
って習った覚えがある
日教組らしいといえばそうかもしれない
無理やり駆り出されて嫌々日本と戦ったんです可哀想ですね
って習った覚えがある
日教組らしいといえばそうかもしれない
民間人虐殺するしか能のない高麗兵に負けるかってんだ
知らなかった
今はある程度疑ってかかるからいいけど、子供の頃って鵜呑みにしちゃうから教科書に事実と違うことを書くのって洗脳とほぼ同じだよな
今はある程度疑ってかかるからいいけど、子供の頃って鵜呑みにしちゃうから教科書に事実と違うことを書くのって洗脳とほぼ同じだよな
戦前は「神の国であるぞ」という趣旨で国民を洗脳し
戦後は「日本は愚かな国だ」と国民を洗脳する
後者の背後にいるのはGHQであり
日教組のせいにするのは米国批判を避けるための露払いであろう
彼らは答えに窮するとチョンチュンを話題に出して煙に巻こうとするが
そのネタはそろそろ賞味期限切れを迎えるため
批判の矛先を試行錯誤してる
戦後は「日本は愚かな国だ」と国民を洗脳する
後者の背後にいるのはGHQであり
日教組のせいにするのは米国批判を避けるための露払いであろう
彼らは答えに窮するとチョンチュンを話題に出して煙に巻こうとするが
そのネタはそろそろ賞味期限切れを迎えるため
批判の矛先を試行錯誤してる
ぶっちゃけ歴史関係でのネットの書き込みほどアテにならないものはない
てつはうが単なる爆竹だっていう話もあったな。
モンゴルには存在していなかった蚊が決め手だったという説がある。
一回目の来襲の際にさっさと沿岸部を占領して野営したところ、モンゴル兵に蚊が襲いかかった。
蚊なんて初めての経験だったんで、船の中に戻らざるを得なかった、とか。
ちなみに、ベトナムやインドネシアなんかもモンゴルに勝っているよね。
モンゴル兵も馬に乗れなきゃただの人、ってか?
一回目の来襲の際にさっさと沿岸部を占領して野営したところ、モンゴル兵に蚊が襲いかかった。
蚊なんて初めての経験だったんで、船の中に戻らざるを得なかった、とか。
ちなみに、ベトナムやインドネシアなんかもモンゴルに勝っているよね。
モンゴル兵も馬に乗れなきゃただの人、ってか?
走ってるのが朝鮮人歩兵で、馬に乗ってるのが正規兵だな
日本も元は騎馬民族だから馬上で弓を扱う騎射が使えるんだよ
自分で自分の民族貶してどうする
元の方も日本に攻めたら自分達と同じ騎射使う連中が
わらわら出てきたから混乱したろうなw
日本も元は騎馬民族だから馬上で弓を扱う騎射が使えるんだよ
自分で自分の民族貶してどうする
元の方も日本に攻めたら自分達と同じ騎射使う連中が
わらわら出てきたから混乱したろうなw
元寇で襲ってきたのは朝鮮人って、
ちゃんと教えてるの?
ちゃんと教えてるの?
モンゴルの精鋭部隊はみんな西方へ行ってて、
アジアにいたのは現地徴用のインスタント兵(元農民)じゃなかったか?
そりゃあ数が多いとはいえついこの間まで農民やってた奴と
真っ当な訓練を受けてる軍人じゃ勝負にならんだろう……
アジアにいたのは現地徴用のインスタント兵(元農民)じゃなかったか?
そりゃあ数が多いとはいえついこの間まで農民やってた奴と
真っ当な訓練を受けてる軍人じゃ勝負にならんだろう……
※69
シベリアにも蚊はいるからそれはないだろ
シベリアにも蚊はいるからそれはないだろ
季長の前三人の元兵は後に描き足されたとか言われてるね。
竹崎季長がこの絵巻を作成したころって、
季長が戦場で世話になったり、恩賞獲得の際に世話になった
有力武士たちの多くが政争で敗死したあとなんだよな。
彼らの恩に報いて鎮魂を行うっていう意味もあるんだとか。
竹崎季長がこの絵巻を作成したころって、
季長が戦場で世話になったり、恩賞獲得の際に世話になった
有力武士たちの多くが政争で敗死したあとなんだよな。
彼らの恩に報いて鎮魂を行うっていう意味もあるんだとか。
いつものことながら米欄とアンケートの差がw
さすがにこれを日教組の陰謀にするのは無茶だろう
さすがにこれを日教組の陰謀にするのは無茶だろう
工作員多いな
在日は朝鮮にお帰りください
在日は朝鮮にお帰りください
そうだったのかあああああああああああああああ
死ねや日教組おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
死ねや日教組おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
戦前から神風の話はあったのでは?
だから神風特攻隊という名前がついたのでは・・・
本題の幕府軍が負けたらという話だが、
スペインのイスラム教徒侵入と同じ状況になったと思う。
だから神風特攻隊という名前がついたのでは・・・
本題の幕府軍が負けたらという話だが、
スペインのイスラム教徒侵入と同じ状況になったと思う。
俺は神風のお蔭じゃなくて
日本海側の武士が長い間防衛したから、
敵はずっと舟に乗ったままで
漸く台風の季節になって・・・と教わった
日本海側の武士が長い間防衛したから、
敵はずっと舟に乗ったままで
漸く台風の季節になって・・・と教わった
その時歴史が動いた では、朝鮮人が侵攻用の船を建造するときに
日本のためにわざと沈みやすく脆く作ったとかアホなこと言ってたな。
自分たちが乗る船にそんなことするかっつーの。
実際、元寇の先鋒隊は朝鮮軍で、非戦闘員も皆殺しするあまりの蛮行に
ぶちキレた北条の指示で捕らえた朝鮮兵捕虜は全員処刑された。
対して元軍兵捕虜は大半が許されて帰国している。
日本のためにわざと沈みやすく脆く作ったとかアホなこと言ってたな。
自分たちが乗る船にそんなことするかっつーの。
実際、元寇の先鋒隊は朝鮮軍で、非戦闘員も皆殺しするあまりの蛮行に
ぶちキレた北条の指示で捕らえた朝鮮兵捕虜は全員処刑された。
対して元軍兵捕虜は大半が許されて帰国している。
*1075
日教組がすすんでこの絵を使ってるのは間違いないな
わざわざ史実と全く関係ない戦争は偶然神風で勝ちましたなんて教えんだよ馬鹿
日教組がすすんでこの絵を使ってるのは間違いないな
わざわざ史実と全く関係ない戦争は偶然神風で勝ちましたなんて教えんだよ馬鹿
モンゴルが圧勝してるはずなのに、
なんで戦が終わるたびにいちいち船に戻ってたんだ?って疑問はあったわ。
単に上陸に失敗し続けてて、船が沈むほどの嵐が来ても
陸に船をつける事が出来なかっただけなわけか。
なんで戦が終わるたびにいちいち船に戻ってたんだ?って疑問はあったわ。
単に上陸に失敗し続けてて、船が沈むほどの嵐が来ても
陸に船をつける事が出来なかっただけなわけか。
元寇で襲われた時の日本の沿岸の一般市民は目を覆うような目に遭ったらしい
日本人中心だった前期倭寇が朝鮮を襲ったのは民間人も虐殺した朝鮮人に対する復讐の意味合いもあったらしいな
日本人中心だった前期倭寇が朝鮮を襲ったのは民間人も虐殺した朝鮮人に対する復讐の意味合いもあったらしいな
昨日のNHKと真逆に考えれば正解かもしれない
確証もないのに、日教組のせいだの韓国のせいだの中国のせいだの民主党のせいだのマスゴミのせいだの言う奴は、チョンが「どうせイルボンのせいニダ」とか言ってるのと変わらんよな……
俺もチョンとかその他諸々嫌いだけど、嫌ってる連中と同じ程度にはなりたくないけどな……
叩く為ならプライドなんてどうでもいいんだよな、最近の奴らって。
俺もチョンとかその他諸々嫌いだけど、嫌ってる連中と同じ程度にはなりたくないけどな……
叩く為ならプライドなんてどうでもいいんだよな、最近の奴らって。
それも数ある説の一つに過ぎないんじゃないの?
圧勝したとか自分らにとって気分の良い話を信じたいのは分かるけど
圧勝したとか自分らにとって気分の良い話を信じたいのは分かるけど
むしろこれは神風を強調するために負けてたって話にしたんじゃねえの
お前らの付和雷同っぷりにワロタwwwww
お前ら扇動するの楽そうだな
お前ら扇動するの楽そうだな
一回目の元寇・文永の役の際には、九州に点在する武士がそれぞれ一族郎党100騎ほどを率いて勝手に戦った為、苦戦している。
だが大宰府に一時撤退をする際、追撃してきた元の副将(高麗軍の将軍)が射殺されており(この事実は武士団は把握しておらず、折角だからと目立つのを射殺したにしか過ぎなかった)、これにより主力だった高麗歩兵が動揺し、撤退した。
二回目の元寇・弘安の役の際には、あらかじめ幕府から総大将が派遣され、統一された指揮系統の下で組織的に戦ったので、元軍は武士団が守備していない小島に橋頭堡を築くのがやっとだった。
しかし小島と見えたものは干潮時には陸続きになる場所で、武士団は潮が引くのを待って攻撃し、これを奪い返した。
元軍は船団へと逃げ戻ったが、今度は武士団が小船に乗って斬り込んで来たので、更に沖合いへと逃亡し、その後の消息が絶たれる。
だが大宰府に一時撤退をする際、追撃してきた元の副将(高麗軍の将軍)が射殺されており(この事実は武士団は把握しておらず、折角だからと目立つのを射殺したにしか過ぎなかった)、これにより主力だった高麗歩兵が動揺し、撤退した。
二回目の元寇・弘安の役の際には、あらかじめ幕府から総大将が派遣され、統一された指揮系統の下で組織的に戦ったので、元軍は武士団が守備していない小島に橋頭堡を築くのがやっとだった。
しかし小島と見えたものは干潮時には陸続きになる場所で、武士団は潮が引くのを待って攻撃し、これを奪い返した。
元軍は船団へと逃げ戻ったが、今度は武士団が小船に乗って斬り込んで来たので、更に沖合いへと逃亡し、その後の消息が絶たれる。
普段マスゴミなんて貶してるのに、ネットの情報だけはあっさり鵜呑みにするやつら
こういう手合いを洗脳するのは楽チンだろうな
こういう手合いを洗脳するのは楽チンだろうな
自分に都合のいい情報だけを選択してそれを信じる馬鹿が多すぎ
元寇のことなんて教科書レベルまでしかわからないのに日教組がどうとか語るんじゃねえよ
マスゴミの言ってることを鵜呑みにする奴と同じ
元寇のことなんて教科書レベルまでしかわからないのに日教組がどうとか語るんじゃねえよ
マスゴミの言ってることを鵜呑みにする奴と同じ
マスゴミさん、新年早々お疲れ様です!
どっちにしろなんで人のいうこと鵜呑みにして誰かのせいにするだけで自分で調べないのお前ら
結局、歴史なんざ時の支配者に都合の良い様に改変・捏造される訳だ。やっぱ自分で勉強するしかないな。
陸戦しか経験のない軍隊が上陸作戦なんて、
そうそう簡単にできるわけないってことなんだろうな
近代戦のノルマンディ上陸作戦や、
圧倒的戦力の差がありつつも苦戦した沖縄上陸作戦とかも苦労してるしな
日本が海に囲まれてるって、防衛上とても有利なんだと思った
そうそう簡単にできるわけないってことなんだろうな
近代戦のノルマンディ上陸作戦や、
圧倒的戦力の差がありつつも苦戦した沖縄上陸作戦とかも苦労してるしな
日本が海に囲まれてるって、防衛上とても有利なんだと思った
しかも、モンゴルは有数の騎馬兵団だしな。
船に馬を乗せられない時点で負け確定……
船に馬を乗せられない時点で負け確定……
四方を海に囲まれてるからこそずっと独立を保てたし独自の文化を築けたんだろうな
大陸と陸続きの朝鮮は数千年にわたって奴隷人生を謳歌してるし
大陸と陸続きの朝鮮は数千年にわたって奴隷人生を謳歌してるし
>1094
自分で勉強っても中国の方に元寇の記録って残ってるの?
いずれもって行きたいのは「元寇の捏造説、あるいは日本史の精度の低さ」なんだろうけど
個人的には当時正確な情報を把握できたのって誰も居ないと思うが
(故に幕府に報償を求めて陳情する余地があった、とか)
ましてや、残存する資料のアラを探した所で今の学者が正しい見地に至ってる保証は何一つ無いよ
・・・つーか、「それが前提になってない」で歴史を語るのが怖いわ
自分で勉強っても中国の方に元寇の記録って残ってるの?
いずれもって行きたいのは「元寇の捏造説、あるいは日本史の精度の低さ」なんだろうけど
個人的には当時正確な情報を把握できたのって誰も居ないと思うが
(故に幕府に報償を求めて陳情する余地があった、とか)
ましてや、残存する資料のアラを探した所で今の学者が正しい見地に至ってる保証は何一つ無いよ
・・・つーか、「それが前提になってない」で歴史を語るのが怖いわ
とりあえず日本が圧勝したのがここを見て分かった
この絵巻自体後年に書き足されてると聞いたが。
元の兵士とか。
元の兵士とか。
本当なのか嘘だったのかは偉い人に任せるとして、
「まぁ実際は~~が正解なんだけどな」とか言っちゃう人はなんなの?
超長生きなの?
「まぁ実際は~~が正解なんだけどな」とか言っちゃう人はなんなの?
超長生きなの?
元軍は三別抄との戦いで海戦も上陸作戦も経験済みだから、
陸戦しか経験のない軍隊ってのは嘘。
あと、船に馬を乗せられないってのも嘘な。
騎兵部隊の海上輸送の例なんて紀元前からあるし。
そもそも、元自体朝鮮半島から約100キロの済州島に馬の牧場作って、
そこから日常的に中国の弘南まで船で輸送してる。
四方を海に囲まれて有利になることなんて何もないよ。
現にイギリスは四方を海に囲まれてるけど、大陸から征服されまくり。
陸戦しか経験のない軍隊ってのは嘘。
あと、船に馬を乗せられないってのも嘘な。
騎兵部隊の海上輸送の例なんて紀元前からあるし。
そもそも、元自体朝鮮半島から約100キロの済州島に馬の牧場作って、
そこから日常的に中国の弘南まで船で輸送してる。
四方を海に囲まれて有利になることなんて何もないよ。
現にイギリスは四方を海に囲まれてるけど、大陸から征服されまくり。
サンジェルマン伯爵沸き過ぎだろ。
うちの公立学校も神風説と一騎打ちの名乗りでぼろぼろにやられたって教わったな
なんであんな教え方したんだろう
なんであんな教え方したんだろう
「神風」説が日教組発祥なわけないじゃん。日本は神州で外敵の侵入があっても神風が吹くって、日教組が言い出したのか?
>1102
つまり日本が独立を保てた理由は地理的要因以外にあるという事か
武士団が発達していたから?
つまり日本が独立を保てた理由は地理的要因以外にあるという事か
武士団が発達していたから?
>1105
文永の役について、戦前は普通に武士が戦闘で勝ったことになってた。
戦中でも武士が奮闘して元軍を海に追い返し、「神風」はあくまでもトドメを刺しただけ。
それが、戦後になった途端に武士がボロ負けしてたことにされちゃったんだよ。
文永の役について、戦前は普通に武士が戦闘で勝ったことになってた。
戦中でも武士が奮闘して元軍を海に追い返し、「神風」はあくまでもトドメを刺しただけ。
それが、戦後になった途端に武士がボロ負けしてたことにされちゃったんだよ。
なんでNHKは正月の深夜枠フルに使ってまで
朝鮮史を放送したがってるの?
冬休みの宿題も終ってないのに正月中に朝鮮の歴史に詳しくなりたい奴なんかいるの?
どうせなら夕方やってた宇宙モノをずっとやって欲しい
朝鮮史を放送したがってるの?
冬休みの宿題も終ってないのに正月中に朝鮮の歴史に詳しくなりたい奴なんかいるの?
どうせなら夕方やってた宇宙モノをずっとやって欲しい
日本ぼろ負けとは習わなかったと思う
1対1前提で名乗り上げてる間にやられて初期は苦戦も慣れて対応
上陸阻止して船に夜襲
停滞してるうちに台風の季節になって元撤退
漫画で学ぶ歴史みたいな本の内容も混じってると思うがこんな感じだったかと
どちらかが一方的に勝ったなんて習った奴の年代と地域知りたいね
1対1前提で名乗り上げてる間にやられて初期は苦戦も慣れて対応
上陸阻止して船に夜襲
停滞してるうちに台風の季節になって元撤退
漫画で学ぶ歴史みたいな本の内容も混じってると思うがこんな感じだったかと
どちらかが一方的に勝ったなんて習った奴の年代と地域知りたいね
神風なんてのは無くて、例年通りのただの台風だったらしいね。
攻めてきた元軍はその殆どが高麗軍。ケンチャナヨ設計の船は悉く被害甚大だったらしい。
攻めてきた元軍はその殆どが高麗軍。ケンチャナヨ設計の船は悉く被害甚大だったらしい。
この米欄は荒れる!
なぜなら日教組とウヨと自称頭のいい中道派がいるから!
なぜなら日教組とウヨと自称頭のいい中道派がいるから!
うちの学校では「教科書fがおかしい」って教えてもらった記憶がある
神風は関係ないはず
異常なほど武士が強かったから勝てた
異常なほど武士が強かったから勝てた
>1106
そうだよ。
応永の外寇だって、朝鮮の国をあげての侵略を対馬だけで撃退してる。
あと、明の初代皇帝の朱元璋も日本を侵略しようとしたことがあるけど、
元軍が日本軍に大敗したことを思い出して断念した。
これって武士の強さが抑止力になったってことでしょ。
そうだよ。
応永の外寇だって、朝鮮の国をあげての侵略を対馬だけで撃退してる。
あと、明の初代皇帝の朱元璋も日本を侵略しようとしたことがあるけど、
元軍が日本軍に大敗したことを思い出して断念した。
これって武士の強さが抑止力になったってことでしょ。
最初は戦法違うからちょwwwって感じなのと、人数少なかったから苦戦
でも夜間に奇襲をかける、船内で刀の利点炸裂とかで徐々に盛り返して
台風か嵐で止めさされて沈んだんじゃないの?
あんなに斬れるものを狭いところで振り回されるとか、恐ろしすぎるが
島民虐殺の件を記載とかは日本の道徳的に流石にやらんだろ、やればいいと思うけど
でも夜間に奇襲をかける、船内で刀の利点炸裂とかで徐々に盛り返して
台風か嵐で止めさされて沈んだんじゃないの?
あんなに斬れるものを狭いところで振り回されるとか、恐ろしすぎるが
島民虐殺の件を記載とかは日本の道徳的に流石にやらんだろ、やればいいと思うけど
二度目の戦いで言うなら高麗軍4万との戦いでは鎌倉幕府軍は善戦したが、中国南部軍(江南軍)10万が遅れてやってきていよいよ本格的に戦くかという時に神風が起きた。
向こうの主戦兵器が小型の毒矢。普通に切込んでこられたら対処の無い程めった切りの串刺し状態が真実。
1回目は双方とも勝手が分からずgdgd
攻められた日本側がやや混乱。
2回目は日本側が対策万全で完勝。
こんな感じでしょ。
攻められた日本側がやや混乱。
2回目は日本側が対策万全で完勝。
こんな感じでしょ。
>1117
それが真実なら元軍が敗退するわけないじゃん。
一度上陸した軍が再び乗船して嵐に遭遇するというシチュエーションは、
陸戦で負けない限り発生しない。
それが真実なら元軍が敗退するわけないじゃん。
一度上陸した軍が再び乗船して嵐に遭遇するというシチュエーションは、
陸戦で負けない限り発生しない。
世界最強のモンゴル騎兵が上陸したとしても、山国日本じゃ無意味でしょ
馬はめっちゃ食うからな、補給のことを考えると現実的じゃないし
馬はめっちゃ食うからな、補給のことを考えると現実的じゃないし
報償もらうために書かせた大活躍図なんだから負けてるわけねーだろ
誰がいちいち情けない姿を絵師に描かせるかっての
誰がいちいち情けない姿を絵師に描かせるかっての
>1121
報償もらうために書かせたってのは嘘だよ。
作者の竹崎季長が報酬もらったのは1276年で、絵詞作成はそれより後の1293年。
あと、活躍してるのは菊池や白石といった他の武士で、本人は割と情けない姿で描かれてる。
報償もらうために書かせたってのは嘘だよ。
作者の竹崎季長が報酬もらったのは1276年で、絵詞作成はそれより後の1293年。
あと、活躍してるのは菊池や白石といった他の武士で、本人は割と情けない姿で描かれてる。
朝鮮人は無理やり動員されたとか言うけど元を日本にけしかけたのは高麗王だった
昔っから被害者を装うクズ民族なんだな・・・
昔っから被害者を装うクズ民族なんだな・・・
「大日本は神の國であります.風はふたたび吹きすさび,さか卷く波は數千の敵艦をもみにもんで,かたはしから撃ちくだき,くつがへしました」
「思へば元寇は國初以來最大の國難であり,前後三十豫年にわたる長期の戰でありました.かうした國難をよく乘り越えることのできたのは,ひとへに神國の然らしめたところであります.
時宗の勇氣は,その重い務めにたへ,武士の勇武は,みごと大敵をくじき,民草もまた分に應じて,國のために働きました.まつたく國中が一體となつて,この國難に當り,これに打ちかつたのですが,それといふのも,すべて御稜威{みいつ(天皇の御威光)}にほかならないのであり,神のまもりも,かうした上下一體の國がらなればこそ,くしくも現れるのであります」
「思へば元寇は國初以來最大の國難であり,前後三十豫年にわたる長期の戰でありました.かうした國難をよく乘り越えることのできたのは,ひとへに神國の然らしめたところであります.
時宗の勇氣は,その重い務めにたへ,武士の勇武は,みごと大敵をくじき,民草もまた分に應じて,國のために働きました.まつたく國中が一體となつて,この國難に當り,これに打ちかつたのですが,それといふのも,すべて御稜威{みいつ(天皇の御威光)}にほかならないのであり,神のまもりも,かうした上下一體の國がらなればこそ,くしくも現れるのであります」
ゴルゴ13でおなじみの、さいとうたかお先生の「北条時宗」おすすめ
結構面白いよ
結構面白いよ
戦前、東洋史学者白鳥庫吉博士が昭和天皇のために書いた歴史教科書。
『元はついに武力でわが国を屈服させようと、後宇多天皇即位の年に、高麗の兵を合わせ、数百艘の船をつらねて、朝鮮海峡を渡り、まず対馬、壱岐をおかし、さらに博多地方に迫りました。九州の豪族たちが奮戦してこれを防いだので、元軍は深く侵入できずに退却しました。文永末年のことでしたので、これを文永の役といいます。』
『このため、元はまた大挙して攻めてきて、その軍は壱岐、対馬をへて博多と肥前の沿岸にも迫りましたが、南海、西国の将兵がよく防ぎました。また、偶然にも大暴風雨がおそい、敵の船は破壊され、多くの兵が溺死し、残った軍はあわてふためいて逃げかえりました。弘安四年のことでありましたので、これを弘安の役といいます。』
「神風」なんて言葉は一切なし。
文永の役なんて完全に武士の奮戦だけで撃退してる。
『元はついに武力でわが国を屈服させようと、後宇多天皇即位の年に、高麗の兵を合わせ、数百艘の船をつらねて、朝鮮海峡を渡り、まず対馬、壱岐をおかし、さらに博多地方に迫りました。九州の豪族たちが奮戦してこれを防いだので、元軍は深く侵入できずに退却しました。文永末年のことでしたので、これを文永の役といいます。』
『このため、元はまた大挙して攻めてきて、その軍は壱岐、対馬をへて博多と肥前の沿岸にも迫りましたが、南海、西国の将兵がよく防ぎました。また、偶然にも大暴風雨がおそい、敵の船は破壊され、多くの兵が溺死し、残った軍はあわてふためいて逃げかえりました。弘安四年のことでありましたので、これを弘安の役といいます。』
「神風」なんて言葉は一切なし。
文永の役なんて完全に武士の奮戦だけで撃退してる。
元の軍勢は、大多数朝鮮人と、それを統率する少数のモンゴル兵から成る。
モンゴル兵はそこそこ有能ではあるが、そのモンゴル兵さえ打ち破れば、
指揮系統を失った残りの朝鮮人は、四方八方に逃げ終いに命乞いまでした。
元相手に、もっとも効率の良い戦法は、少数精鋭による指揮系統への集中攻撃。
モンゴル兵はそこそこ有能ではあるが、そのモンゴル兵さえ打ち破れば、
指揮系統を失った残りの朝鮮人は、四方八方に逃げ終いに命乞いまでした。
元相手に、もっとも効率の良い戦法は、少数精鋭による指揮系統への集中攻撃。
そもそも名乗りを挙げて戦ったってのは本当なのか疑問なんだけど。
どうみても言葉通じそうに無いし、装備見ても武士では無さそうな奴ら。
そんなのにまで名乗り挙げるのが日常化してたのなら、山賊や海賊にもやってたって間抜けな事になるんじゃ…
どうみても言葉通じそうに無いし、装備見ても武士では無さそうな奴ら。
そんなのにまで名乗り挙げるのが日常化してたのなら、山賊や海賊にもやってたって間抜けな事になるんじゃ…
当時「俺の祈祷で台風来て撃退できたんじゃー!」とか言ってたのが日蓮
江戸時代に「神国日本!神風!」と言ってたのが水戸学派
「元寇の後に一騎打ちから集団戦に」はおそらく日本軍の研究成果
江戸時代に「神国日本!神風!」と言ってたのが水戸学派
「元寇の後に一騎打ちから集団戦に」はおそらく日本軍の研究成果
>>1
万が一負けたら
朝鮮や華北地域みたいにされてた。
男は数分の1になるぐらい殺されて
残った女は何十年かけて強姦輪姦の大パーティーで
DNA自体が変わってた
万が一負けたら
朝鮮や華北地域みたいにされてた。
男は数分の1になるぐらい殺されて
残った女は何十年かけて強姦輪姦の大パーティーで
DNA自体が変わってた
>「神風」なんて言葉は一切なし。
天皇向けには神風なんて教える必要ないからじゃね?
天皇向けには神風なんて教える必要ないからじゃね?
>1129
日蓮は自分の教えを受け入れないと日本は元軍に征服されると言ってた。
むしろ元軍の勝利を期待してたぐらいで、「俺の祈祷で台風来て撃退できたんじゃー!」
とか言うはずない。
江戸時代の国学者の元寇観は普通に合戦による勝利で「神国日本!神風!」なんて一切無し。
あと、戦前に陸軍少将竹内栄喜が書いた『元寇の研究』でも普通に合戦による勝利だよ。
日蓮は自分の教えを受け入れないと日本は元軍に征服されると言ってた。
むしろ元軍の勝利を期待してたぐらいで、「俺の祈祷で台風来て撃退できたんじゃー!」
とか言うはずない。
江戸時代の国学者の元寇観は普通に合戦による勝利で「神国日本!神風!」なんて一切無し。
あと、戦前に陸軍少将竹内栄喜が書いた『元寇の研究』でも普通に合戦による勝利だよ。
被害が少なければ少ない方がいいってホントにそうか?
費用対効果が大事なんじゃないの?
費用対効果が大事なんじゃないの?
そろそろブサヨがネットで真実を知った(笑)
とか言い出すぞー。
とか言い出すぞー。
誤解がないように書いとくと、
文永の役は武家の書いた史書だと当時から一貫して合戦による勝利。
弘安の役の台風もたまたま日本有利に作用した気象現象で、その前から
戦局は日本優勢だったというのが昔の人の認識。
文永の役は武家の書いた史書だと当時から一貫して合戦による勝利。
弘安の役の台風もたまたま日本有利に作用した気象現象で、その前から
戦局は日本優勢だったというのが昔の人の認識。
歴史専攻だから真面目に言っとくと絵をそのまま信じるのはだめだぞ。この絵巻物自体に関して言えば切り貼りされてて違うシーンと違うシーンがくっついている、と美術歴史専門から習った。
文永の役は、威力偵察であって占領を目的としてなかったって説もなかったっけ。
偵察だから引き上げるのは当たり前っちゃ当たり前、みたいな。
偵察だから引き上げるのは当たり前っちゃ当たり前、みたいな。
>1136
本当に歴史専攻なら、蒙古襲来絵詞には絵だけじゃなく、詞書という文章も
付いてるって知ってるだろ。
詞書の内容でも元軍は武士の集団戦法に圧倒されて逃げ回ってるだけじゃん。
本当に歴史専攻なら、蒙古襲来絵詞には絵だけじゃなく、詞書という文章も
付いてるって知ってるだろ。
詞書の内容でも元軍は武士の集団戦法に圧倒されて逃げ回ってるだけじゃん。
あれ・・・?
この前まで朝鮮モンゴル同盟軍が日本を攻め・・・って言ってたのに
今度は朝鮮ゲリラがモンゴルを破った・・・かい。
本当に韓国って大変なんだなぁ。
この前まで朝鮮モンゴル同盟軍が日本を攻め・・・って言ってたのに
今度は朝鮮ゲリラがモンゴルを破った・・・かい。
本当に韓国って大変なんだなぁ。
>>1067
でも教科書もあてにならんぞw
でも教科書もあてにならんぞw
平原の戦いには慣れてる元の騎兵も、坂や丘や山ばかりの日本の地形に対応できたかどうか…
学校では洗脳のように秀吉の朝鮮出兵の悪行について教えられるけど
元寇の衝撃はそれよりすごかった
対馬、博多はほぼ壊滅、男は軒並み殺され女等は奴隷として
手に孔を穿たれ紐を通され朝鮮半島にみんな連れて行かれた
(秀吉のあと徳川の時代、幕府は朝鮮に謝罪し、のぞんだ捕虜は帰国させた
元寇では倒した主力の朝鮮人、中国人と蒙古人を弔う寺を建てた)
その事について日本は主力になった朝鮮からも中国からも
引き金を引いた蒙古からも謝罪も賠償も受けてないし
奴隷として連れ去られた日本人も帰してもらえてない
日本は元寇で幕府は傾き、人口は減り都市は焼き討ちされ市場も衰退
住むところ、職、家族等々失った人は彼らへの憎しみと生きる為から
倭寇に転身し、元寇以降の倭寇の凶悪化した原因とも指摘されてる
(後期倭寇は中国朝鮮人が主力になったが、
彼らも同じような経験から中国や朝鮮をメインターゲットにした事からも
それぞれの国を苦しめようとした可能性も考えられる)
元寇の衝撃はそれよりすごかった
対馬、博多はほぼ壊滅、男は軒並み殺され女等は奴隷として
手に孔を穿たれ紐を通され朝鮮半島にみんな連れて行かれた
(秀吉のあと徳川の時代、幕府は朝鮮に謝罪し、のぞんだ捕虜は帰国させた
元寇では倒した主力の朝鮮人、中国人と蒙古人を弔う寺を建てた)
その事について日本は主力になった朝鮮からも中国からも
引き金を引いた蒙古からも謝罪も賠償も受けてないし
奴隷として連れ去られた日本人も帰してもらえてない
日本は元寇で幕府は傾き、人口は減り都市は焼き討ちされ市場も衰退
住むところ、職、家族等々失った人は彼らへの憎しみと生きる為から
倭寇に転身し、元寇以降の倭寇の凶悪化した原因とも指摘されてる
(後期倭寇は中国朝鮮人が主力になったが、
彼らも同じような経験から中国や朝鮮をメインターゲットにした事からも
それぞれの国を苦しめようとした可能性も考えられる)
何年前のことだと思ってんだよ
確かなのは苦戦したか圧勝したかは知らんが、日本は他国の侵略を退けた
それだけのことだろ
そもそもこの手の資料の正確さなんて2chの情報並にだろ
確かなのは苦戦したか圧勝したかは知らんが、日本は他国の侵略を退けた
それだけのことだろ
そもそもこの手の資料の正確さなんて2chの情報並にだろ
歴史の話題はみんな「信じたいことを信じる」だからなあ
いくらなんでも日教組のせいにするのは笑ったけど
いくらなんでも日教組のせいにするのは笑ったけど
神風もあるが
戦いでは当初の「名乗り」をすぐにやめて
ちゃんと武士が戦って押し返してたんだよな。
それについてちゃんと教えられていないのは
戦後の戦争否定だけでなく
平安貴族の武士否定で
貴族の残した歴史書の記述自体が
武士の活躍を認めてないのが原因だと思う。
戦いでは当初の「名乗り」をすぐにやめて
ちゃんと武士が戦って押し返してたんだよな。
それについてちゃんと教えられていないのは
戦後の戦争否定だけでなく
平安貴族の武士否定で
貴族の残した歴史書の記述自体が
武士の活躍を認めてないのが原因だと思う。
>>114
日教組のみに責任を求めるは間違いだが
要因の一つではあるよ
日教組のみに責任を求めるは間違いだが
要因の一つではあるよ
ネットは信用できないと言うけれど
TVよりはまともなような気がしてきた
昨日のETV特集酷かったな~
昔はNHKの言うことは簡単に鵜呑みにしてたけど
最近調べれば調べるほどだまされてたーと思う事が多い
しかもちょっと調べれば分かることというのが多い
自分は美術畑の人間なのでよくNHKはよく見るけど最近本当に酷い
若冲の鳥獣花木図屏風は朝鮮の工芸品を基に作ったとかしれっと
日曜美術館で言い出したときは呆然としたわ
しかも正月早々から韓国の国宝特集するんだって?
日本美術やってる人なら韓国の国宝の正体を知ってる人は多いし
美術好きの視聴者に反感買うだけだろ
最近のNHKはマジで気が狂っとるとしか思えません
TVよりはまともなような気がしてきた
昨日のETV特集酷かったな~
昔はNHKの言うことは簡単に鵜呑みにしてたけど
最近調べれば調べるほどだまされてたーと思う事が多い
しかもちょっと調べれば分かることというのが多い
自分は美術畑の人間なのでよくNHKはよく見るけど最近本当に酷い
若冲の鳥獣花木図屏風は朝鮮の工芸品を基に作ったとかしれっと
日曜美術館で言い出したときは呆然としたわ
しかも正月早々から韓国の国宝特集するんだって?
日本美術やってる人なら韓国の国宝の正体を知ってる人は多いし
美術好きの視聴者に反感買うだけだろ
最近のNHKはマジで気が狂っとるとしか思えません
一つだけ言える確かな事は
今の世にも蒙古は跋扈しているに相違ないってことだよな
今の世にも蒙古は跋扈しているに相違ないってことだよな
※1146
神風の「神」が何を指してるかわかってる?
神風の「神」が何を指してるかわかってる?
確か一度上陸されて太宰府まで押し込まれてるはずだよ。
でもなぜかモンゴル軍は海上退却した。
気候的な問題だったのか士気の問題だったのか、或いは十字軍のように経海遠征だと病気の問題が深刻だったのかわからないけど。
あと本家の問題もあるよね。クビライとフレグの確執なんかもあったろう。
でもなぜかモンゴル軍は海上退却した。
気候的な問題だったのか士気の問題だったのか、或いは十字軍のように経海遠征だと病気の問題が深刻だったのかわからないけど。
あと本家の問題もあるよね。クビライとフレグの確執なんかもあったろう。
>1149
天皇だろ。
武士がちゃんと戦闘で勝利した元寇を捻じ曲げて、
無理やり偶然の暴風雨のお陰ってことにした揚句、
更にそかから発生した「神風信仰」なるものが、
日本を太平洋戦争に導いたたとして、天皇制も批判する。
まさに日教組好みのストーリーじゃん。
天皇だろ。
武士がちゃんと戦闘で勝利した元寇を捻じ曲げて、
無理やり偶然の暴風雨のお陰ってことにした揚句、
更にそかから発生した「神風信仰」なるものが、
日本を太平洋戦争に導いたたとして、天皇制も批判する。
まさに日教組好みのストーリーじゃん。
ここで※1144に戻る
元軍は戦争目的を達成できなかったので圧勝
数ヶ月も船の上に押し込めてた時点で日本側が優勢だったのは間違いないな
>1150
モンゴル軍が海上退却したのは何故かじゃないよ。
ちゃんと高麗史に、モンゴル軍の総司令官が全滅を避けるため撤退を決断したと書いてある。
何しろモンゴル軍の幼稚な戦術は武士の集団戦法に歯が立たず、逃げ回るのが精一杯。
博多にも大宰府にも指一本触れられないまま上陸地点に釘付けにされ、副司令官まで負傷してる。
モンゴル軍の海上退却のどこに疑問が入り込む余地があるのさ?
モンゴル軍が海上退却したのは何故かじゃないよ。
ちゃんと高麗史に、モンゴル軍の総司令官が全滅を避けるため撤退を決断したと書いてある。
何しろモンゴル軍の幼稚な戦術は武士の集団戦法に歯が立たず、逃げ回るのが精一杯。
博多にも大宰府にも指一本触れられないまま上陸地点に釘付けにされ、副司令官まで負傷してる。
モンゴル軍の海上退却のどこに疑問が入り込む余地があるのさ?
今のテレビのキムチ臭さは異常だよな・・
偏向報道だらけのテレビよりは、正しい情報を自分で探せるネットのほうがましだろ
偏向報道だらけのテレビよりは、正しい情報を自分で探せるネットのほうがましだろ
あらあらまあまぁ。。。苦戦してたところ台風来て元寇全滅でラッキーと教わりましたよ
※1128
それはむしろあり得るんじゃないか?
「このお方をどなたと心得る」と同じ感じで。
それはむしろあり得るんじゃないか?
「このお方をどなたと心得る」と同じ感じで。
地域によって日本の勝ち方が違うのか?俺も嵐で日本が勝ったとは教わったがその嵐で大半の元寇の船が沈んで日本は残りの船に火矢で一斉掃討
からくも上陸した少数の元寇軍に名乗りを上げて殺された侍もいたが(元寇軍はそれを見て笑ったらしい)その光景を見た他の侍が元寇卑怯なりでブチ切れて怒涛の攻撃で元寇を追い払ったらしい
更に二回目の元寇も嵐が来て(両方とも台風シーズンだった教わった)全く同じ展開で日本圧勝って教わったんだが
からくも上陸した少数の元寇軍に名乗りを上げて殺された侍もいたが(元寇軍はそれを見て笑ったらしい)その光景を見た他の侍が元寇卑怯なりでブチ切れて怒涛の攻撃で元寇を追い払ったらしい
更に二回目の元寇も嵐が来て(両方とも台風シーズンだった教わった)全く同じ展開で日本圧勝って教わったんだが
弘安の役の14万の元軍の内10万は、元南宋の兵員で江南軍で軍隊兼移民団だったと言われてるし、負けてたら今頃は中国の一部になってたでしょうね。
元の主力が来てたら、どうなってたかは解らん。
元の主力が来てたら、どうなってたかは解らん。
台風で上陸できないでいるところに
近距離最強武器KATANAをもって
夜討ちで壊滅させたって説も聞いたことあるな
近距離最強武器KATANAをもって
夜討ちで壊滅させたって説も聞いたことあるな
文永の役は台風シーズンではないし、たぶんなかったのではないかとされている
ちなみに博多には到達されている
ちなみに博多には到達されている
なんでウヨはそんな必死に圧勝説を誇示したがるの
サヨが嘘つくからでしょ。たぶん。
てかソースうんぬん言ってる奴は自分で調べろ
てかソースうんぬん言ってる奴は自分で調べろ
そもそも元軍が優勢なら最初に上陸後の日本の迎撃を押し返した段階で
付近に野営場所を構築して橋頭堡にするはずだろう
わざわざ船に戻ってまた一から仕切り直す必要は無い
付近に野営場所を構築して橋頭堡にするはずだろう
わざわざ船に戻ってまた一から仕切り直す必要は無い
どうでもいいが今の時代の日中朝関係をみれば昔の雰囲気も大体想像つく。
>1163
2回とも九州に全く橋頭保を築かせないまま元軍を撃退。
元軍の戦没者は文永の役が1万3500人で、弘安の役に至っては10万人以上。
これを日本圧勝と呼ばないなんておかしいだろ。
2回とも九州に全く橋頭保を築かせないまま元軍を撃退。
元軍の戦没者は文永の役が1万3500人で、弘安の役に至っては10万人以上。
これを日本圧勝と呼ばないなんておかしいだろ。
お前らほんと楽しそうだな。
正直、数百年前の出来事なんかどうでもいいわい。
正直、数百年前の出来事なんかどうでもいいわい。
・・・日本が描いてる「元寇で武将が斬り込んでって活躍の図」だから
全体図がこの情景になってんのはあたりまえだろ・・・
米とかレスとか冗談で言ってるんだよな? まさか本気で書き込んでないよな?
全体図がこの情景になってんのはあたりまえだろ・・・
米とかレスとか冗談で言ってるんだよな? まさか本気で書き込んでないよな?
国内でこんだけ認識が割れるんだから他国と共同の歴史教科書なんて
無理だね。
事実より自分達に有利な歴史を優先させようとするやつが多すぎる。
無理だね。
事実より自分達に有利な歴史を優先させようとするやつが多すぎる。
一騎討ちというと、タイマンのイメージがあるけど
家来をたくさん連れて援護させるのが普通だったらしいよ。
家来をたくさん連れて援護させるのが普通だったらしいよ。
とりあえず、賠償金と謝罪を要求
苦戦したけど神風のお陰で助かったと教わった。
日本がピンチの時は必ず神風がふくんだって先生言ってた。
日本がピンチの時は必ず神風がふくんだって先生言ってた。
そもそも勝利側は自分の活躍を喧伝しがち。
とくに昔はな。
だから勝利側の画を根拠に圧勝というのはあてにならない。
とくに昔はな。
だから勝利側の画を根拠に圧勝というのはあてにならない。
※1169
活躍してるところを描きたいだけなら優勢とか劣勢とかはあんま関係ないよ
優勢ならこの絵のままでいいし、劣勢なら味方が逃げ出している中勇敢に敵と闘っているところとかを描けばいいだけだしね
活躍してるところを描きたいだけなら優勢とか劣勢とかはあんま関係ないよ
優勢ならこの絵のままでいいし、劣勢なら味方が逃げ出している中勇敢に敵と闘っているところとかを描けばいいだけだしね
>1174
どちら側の史料からみても元寇は日本の圧勝だろ。
元軍は寸土の領土も獲得できないまま、万単位の犠牲者だして撃退されてるんだから。
どちら側の史料からみても元寇は日本の圧勝だろ。
元軍は寸土の領土も獲得できないまま、万単位の犠牲者だして撃退されてるんだから。
良いねぇ。
何が良いかって、自国の歴史についてポジティブ・ネガティブな情報に関わらずたくさん持ち寄って熱く議論出来るのが。
隣国だと自国の歴史に不利な事を言えば、内容の真偽を問わず、「売国奴」呼ばわりされた上、社会的に抹殺されるという。
あと、日教組が元寇の歴史資料を改変して恣意的に利用しているのは、紛れも無い事実だろう。
何が良いかって、自国の歴史についてポジティブ・ネガティブな情報に関わらずたくさん持ち寄って熱く議論出来るのが。
隣国だと自国の歴史に不利な事を言えば、内容の真偽を問わず、「売国奴」呼ばわりされた上、社会的に抹殺されるという。
あと、日教組が元寇の歴史資料を改変して恣意的に利用しているのは、紛れも無い事実だろう。
教科書は指導要領とその解説書に基づいてつくられるんだろ?
日教組にそこまで自民党文教族やら文部省に対する直接の影響力はなかっただろ。現場は別だし、民主が政権とった今はしらんが。
日教組にそこまで自民党文教族やら文部省に対する直接の影響力はなかっただろ。現場は別だし、民主が政権とった今はしらんが。
これはちゃんと絵を全部載せて教育してもらいたいもんだな…
やっぱ騎馬武者は強かったんじゃん
やっぱ騎馬武者は強かったんじゃん
日教組とかどうでもいいんで
最新の学説をどんどんフィードバックして欲しいわな
最新の学説をどんどんフィードバックして欲しいわな
戦国時代を生き抜いた精鋭をもってしても、秀吉の朝鮮出兵は朝鮮に寸土をも獲得できず完全に失敗した
とか言うと各種の異論反論が噴出する不思議
とか言うと各種の異論反論が噴出する不思議
負けたらどうなるかが知りたかったんですけど
どうでもいいけど、下の絵だと見方変えると味方を攻撃しちゃってるようにも見えるぞw
こういった偏向もたくさんあるんだね
日本史は学校の教科書とは別に調べた方がいいかもしれないな・・・
日本史は学校の教科書とは別に調べた方がいいかもしれないな・・・
神風云々については「八幡愚童訓」って記録が元となってるらしいが
この書物を記したのが八幡神社の神官だそうで、
つまるところ宗教家が元を撃退したのは俺らのおかげ。って言いふらしてるのが元。
ハッキリいって根拠が薄い。このデタラメを信じたのが何故なのかは
時代によって理由も異なるんだろうけど武士が頑張ったのでは都合が悪い人たちなんでしょうな。
この書物を記したのが八幡神社の神官だそうで、
つまるところ宗教家が元を撃退したのは俺らのおかげ。って言いふらしてるのが元。
ハッキリいって根拠が薄い。このデタラメを信じたのが何故なのかは
時代によって理由も異なるんだろうけど武士が頑張ったのでは都合が悪い人たちなんでしょうな。
>1181
たぶんあんたは、その戦いが「日本VS中国(明)+属国(朝鮮)」の戦争だったことを知らないと見た
「朝鮮出兵」という呼び方が、そもそもの誤解の元なんだろうな
1回目の文禄の役は、朝鮮半島をかなり制圧していたが、明軍との間で戦線が膠着し、休戦に入る
2回目の慶長の役は、秀吉死去により戦争の目的がなくなって引き上げ
平壌あたりも一時占領状態にあったくらい、侵攻してた
たぶんあんたは、その戦いが「日本VS中国(明)+属国(朝鮮)」の戦争だったことを知らないと見た
「朝鮮出兵」という呼び方が、そもそもの誤解の元なんだろうな
1回目の文禄の役は、朝鮮半島をかなり制圧していたが、明軍との間で戦線が膠着し、休戦に入る
2回目の慶長の役は、秀吉死去により戦争の目的がなくなって引き上げ
平壌あたりも一時占領状態にあったくらい、侵攻してた
なんで日教組の陰謀論になるんだよ
そもそも神風の奇跡なんてストーリーは戦前か知られているし
単に間違った通説が広がっただけの話
ちょっ考えればわかるだろ、アホかっつーの
そもそも神風の奇跡なんてストーリーは戦前か知られているし
単に間違った通説が広がっただけの話
ちょっ考えればわかるだろ、アホかっつーの
>1187
戦前、文永の役のストーリーはこんなだったんよ↓
戦前の『国史』
「元はついに武力でわが国を屈服させようと、後宇多天皇即位の年に、高麗の兵を合わせ、数百艘の船をつらねて、朝鮮海峡を渡り、まず対馬、壱岐をおかし、さらに博多地方に迫りました。九州の豪族たちが奮戦してこれを防いだので、元軍は深く侵入できずに退却しました。文永末年のことでしたので、これを文永の役といいます。」
それが太平洋戦争で負けた途端、こうなったんだけど↓
戦後の『くにのあゆみ』
「すると忽必烈は、文永十一年(西暦一二七四年)十月、九百せきあまりの船に、およそ四万の兵を乗せて、博多湾に攻めこませました。武士たちは、勇ましく戦ひましたが、敵が上陸してきたため、大そうなんぎをしました。ところが、大風がおこつて、敵の船をくつがえしたので、これを退けることができました。」
戦前、文永の役のストーリーはこんなだったんよ↓
戦前の『国史』
「元はついに武力でわが国を屈服させようと、後宇多天皇即位の年に、高麗の兵を合わせ、数百艘の船をつらねて、朝鮮海峡を渡り、まず対馬、壱岐をおかし、さらに博多地方に迫りました。九州の豪族たちが奮戦してこれを防いだので、元軍は深く侵入できずに退却しました。文永末年のことでしたので、これを文永の役といいます。」
それが太平洋戦争で負けた途端、こうなったんだけど↓
戦後の『くにのあゆみ』
「すると忽必烈は、文永十一年(西暦一二七四年)十月、九百せきあまりの船に、およそ四万の兵を乗せて、博多湾に攻めこませました。武士たちは、勇ましく戦ひましたが、敵が上陸してきたため、大そうなんぎをしました。ところが、大風がおこつて、敵の船をくつがえしたので、これを退けることができました。」
>たぶんあんたは、その戦いが「日本VS中国(明)+属国(朝鮮)」の戦争だったことを知らないと見た
知ってるけど?
その種の意見を含めて「失敗」とか言われたら「いやいやむしろ優勢だった、日本強かった、朝鮮には負けてない、退いたのはかれこれこういう理由、沢山死んだけど戦死というより病がうんぬんかんぬん」
って言いたがるよね、って言ってんの
知ってるけど?
その種の意見を含めて「失敗」とか言われたら「いやいやむしろ優勢だった、日本強かった、朝鮮には負けてない、退いたのはかれこれこういう理由、沢山死んだけど戦死というより病がうんぬんかんぬん」
って言いたがるよね、って言ってんの
いくら真相がどうのこうの言っても絵師は日本人だからなあ…
>1189
そういうあなたは文禄・慶長の役と元寇比較してどう思う。
文禄・慶長の役で日本軍は7年間釜山の橋頭保を維持し、漢城や北京まで占領してる。
一方の元寇では、元軍は九州に橋頭保を全く確保できず、京都や鎌倉どころか、
海岸から10キロちょっとの大宰府にも指一本触れられなかった。
同じ対馬海峡越えの戦いなのに。
文禄・慶長の役と比較すれば、元寇がいかに日本軍の圧勝だったかよくわかるでしょ。
そういうあなたは文禄・慶長の役と元寇比較してどう思う。
文禄・慶長の役で日本軍は7年間釜山の橋頭保を維持し、漢城や北京まで占領してる。
一方の元寇では、元軍は九州に橋頭保を全く確保できず、京都や鎌倉どころか、
海岸から10キロちょっとの大宰府にも指一本触れられなかった。
同じ対馬海峡越えの戦いなのに。
文禄・慶長の役と比較すれば、元寇がいかに日本軍の圧勝だったかよくわかるでしょ。
ゴメン。
北京じゃなくて平壌。
北京じゃなくて平壌。
おれは昔、元寇があったから中国侵略や南京大虐殺とか
朝鮮併合や従軍慰安婦も謝罪する必要は無い!
とかぬかす糞野郎と会った事がある。
そいつはそういって募金を拒否したあげくに、
プラカードにつばを吐きやがった!
もちろん10人がかりでボコボコにしてやったけどな(笑)
朝鮮併合や従軍慰安婦も謝罪する必要は無い!
とかぬかす糞野郎と会った事がある。
そいつはそういって募金を拒否したあげくに、
プラカードにつばを吐きやがった!
もちろん10人がかりでボコボコにしてやったけどな(笑)
圧勝か神風かはどうでもいい。
とりあえずNHKは潰れろ。
在日朝鮮人は全部嫌いな日本を出て愛する同胞の待つ国に帰れ。
日教組は反日活動やめろ、てか日本から金盗るなクズ。
とりあえずNHKは潰れろ。
在日朝鮮人は全部嫌いな日本を出て愛する同胞の待つ国に帰れ。
日教組は反日活動やめろ、てか日本から金盗るなクズ。
国防においてでも、基本は守るほうが有利
日本2次大戦が負けたのは幾ら守る体制であっても補給線が長くなり補給できず
更に数で各個押しつぶされたからだし
日本2次大戦が負けたのは幾ら守る体制であっても補給線が長くなり補給できず
更に数で各個押しつぶされたからだし
>>1193
実質元寇の一般人への殺戮は相当悲惨なものがあったんだけどな
実質元寇の一般人への殺戮は相当悲惨なものがあったんだけどな
>>1193
ところで何の募金だったの?
ところで何の募金だったの?
1対1で名乗りあっている間に弓の的にされ、本隊が上陸中に神風(竜巻)が起き日本が作っていた土塁ごと破壊したってあったな。
もし日本の本隊が現場到着したとしても、九州制圧完了した後だそうだ。だから神風のお陰だと。
もし日本の本隊が現場到着したとしても、九州制圧完了した後だそうだ。だから神風のお陰だと。
>>1193
お前のような奴がいるからチョン氏ねってなるんだろ
お前のような奴がいるからチョン氏ねってなるんだろ
むしろ苦戦してたところ神が風を起こして救った、日本は神に守られている!すごい!と右派有利な解釈なんじゃないか?カミカゼを強調するのは戦前からあったことだし。教育史みてみないとわからない。
まぁ書いたのは日本人だからね
※1001
現行と元寇をかけてるのかw
現行と元寇をかけてるのかw
削った絵を載せて印象操作
全部を見られると「絵だから」「日本側のものだから」とか笑える
全部を見られると「絵だから」「日本側のものだから」とか笑える
この絵や日本側の資料だけで歴史検証するのはどうかと
やはり相互の資料を照らし合わさないとね
歴史を見極める際は現代の互いの国益とかは無視しないと
歴史は事実が明らかになるたびに修正されるし、今後の教科書と昔の教科書の記述も違っていくのは当たり前
実際、蒙古襲来絵巻は竹崎季長が安達盛宗に恩賞不十分だと訴えるために自身の活躍をこの絵巻に書かせたのが通説だが、恩賞を多くもらうために自軍の圧勝に見せかけた可能性を唱える人もいる
さらに言えば絵そのものに改筆の跡もあって、今や元寇の資料として不十分なんだわ
もっと『高麗史』とか他の資料も照らすべき
やはり相互の資料を照らし合わさないとね
歴史を見極める際は現代の互いの国益とかは無視しないと
歴史は事実が明らかになるたびに修正されるし、今後の教科書と昔の教科書の記述も違っていくのは当たり前
実際、蒙古襲来絵巻は竹崎季長が安達盛宗に恩賞不十分だと訴えるために自身の活躍をこの絵巻に書かせたのが通説だが、恩賞を多くもらうために自軍の圧勝に見せかけた可能性を唱える人もいる
さらに言えば絵そのものに改筆の跡もあって、今や元寇の資料として不十分なんだわ
もっと『高麗史』とか他の資料も照らすべき
馬鹿な俺でも分かることはこれだな
・元軍は船に帰ってた=上陸がうまくできなかった
だから圧勝かどうかは別として、優勢だったんじゃないの?
長いこと武士が耐えたから台風の時期がきて台風で船・人を大量に失う
それで残った元軍は撤退した。
・元軍は船に帰ってた=上陸がうまくできなかった
だから圧勝かどうかは別として、優勢だったんじゃないの?
長いこと武士が耐えたから台風の時期がきて台風で船・人を大量に失う
それで残った元軍は撤退した。
苦戦説が間違いでも別にいいけど、
それが圧勝説の根拠にはならんわな
それが圧勝説の根拠にはならんわな
>>1191
1181は、まさに君みたいのが出てくるよねーって事を言ったんだけどな。
戦役の成功失敗を言ってるところに、局地的な勝ち負けを持ち出してきたり、
300年違う戦役を「同じ対馬海峡越えの戦い」とか言って比較したがるのって何?って話よ?
「京都や鎌倉どころか」と言うなら、そもそも文禄・慶長の役の目的は半島ではなく明なわけで、
文禄慶長では明の領土にこれくらい侵入したのに比べて、って話になるべきなんじゃないの?
「日本VS明(+属国」って話があったけど、明の参戦以降は戦線縮小の一途じゃん。
「でも属国相手には快進撃でした」「これこれの戦では、こんな痛快に勝ちました」「何年敵地で粘りました」とか、まあ楽しいけどさw
それなら元寇だって元軍にすりゃ、大して気合い入ってないよーとか言えちゃうさ。
帰順したばっかで厄介者の南宋人なんか負けて何人沈んでも構わん、勝っても日本に植民させ祖国に帰ってこさせないぜー的な。
元寇は日本が侵攻阻止に成功した。唐入りは日本が侵攻に失敗した。
「元寇は唐入りに比較して防御側の圧勝だったでしょ!」とか、ほんと意味ないと思うんだけど。
1181は、まさに君みたいのが出てくるよねーって事を言ったんだけどな。
戦役の成功失敗を言ってるところに、局地的な勝ち負けを持ち出してきたり、
300年違う戦役を「同じ対馬海峡越えの戦い」とか言って比較したがるのって何?って話よ?
「京都や鎌倉どころか」と言うなら、そもそも文禄・慶長の役の目的は半島ではなく明なわけで、
文禄慶長では明の領土にこれくらい侵入したのに比べて、って話になるべきなんじゃないの?
「日本VS明(+属国」って話があったけど、明の参戦以降は戦線縮小の一途じゃん。
「でも属国相手には快進撃でした」「これこれの戦では、こんな痛快に勝ちました」「何年敵地で粘りました」とか、まあ楽しいけどさw
それなら元寇だって元軍にすりゃ、大して気合い入ってないよーとか言えちゃうさ。
帰順したばっかで厄介者の南宋人なんか負けて何人沈んでも構わん、勝っても日本に植民させ祖国に帰ってこさせないぜー的な。
元寇は日本が侵攻阻止に成功した。唐入りは日本が侵攻に失敗した。
「元寇は唐入りに比較して防御側の圧勝だったでしょ!」とか、ほんと意味ないと思うんだけど。
外国からの侵略を防いだ
→辛い戦いに勝ったわりに新たな褒美となる土地は手に入らなかった
→幕府「ない袖はふれない。外国から平和を防げてよかったねってことでひとつ」
→「当たり前の給料もらえねーで何が平和だ!」お互い恩に報いる社会の崩壊
→南北朝・戦国の動乱。下克上。「当たり前」とか言えてたのすらお互い忠義誠実でかけがえのない平和だったからと失ってから気付くが時すでに遅し。
→気付かなかった元従業員(侍)たち「平和?民衆?知るか!土地よこせ土地!ヒャッハー!!!」
→信長DQN「俺が一番!俺が一番になるためなら楽市楽座やらしてやんよ!とにかく俺が一番!!いちばん!!ヒャッハー!!!寺が熱くなるな…あれ?明け智ん?」
→みのもんた秀吉「奥さん。戦国時代。やですよね~。以後は○○おもいっきり江戸時代」
→300年平和。民衆「やっぱ平和が一番だわ」
→ペリー寇。幕府崩壊。世界戦国時代。
→辛い戦いに勝ったわりに新たな褒美となる土地は手に入らなかった
→幕府「ない袖はふれない。外国から平和を防げてよかったねってことでひとつ」
→「当たり前の給料もらえねーで何が平和だ!」お互い恩に報いる社会の崩壊
→南北朝・戦国の動乱。下克上。「当たり前」とか言えてたのすらお互い忠義誠実でかけがえのない平和だったからと失ってから気付くが時すでに遅し。
→気付かなかった元従業員(侍)たち「平和?民衆?知るか!土地よこせ土地!ヒャッハー!!!」
→信長DQN「俺が一番!俺が一番になるためなら楽市楽座やらしてやんよ!とにかく俺が一番!!いちばん!!ヒャッハー!!!寺が熱くなるな…あれ?明け智ん?」
→みのもんた秀吉「奥さん。戦国時代。やですよね~。以後は○○おもいっきり江戸時代」
→300年平和。民衆「やっぱ平和が一番だわ」
→ペリー寇。幕府崩壊。世界戦国時代。
>>1207
元寇を文禄・慶長の役と比較すればあきらかに圧勝だから、意味無いとか言って誤魔化すわけね。
>それなら元寇だって元軍にすりゃ、大して気合い入ってないよーとか言えちゃうさ。
元は対日戦に持ってる海軍力全部投入してるんだよ。
大して気合い入ってないなんて言えるわけないじゃん。
元史の評価でも元寇は「大失利」。
元軍にとって痛恨の大敗北だったんだが。
元寇を文禄・慶長の役と比較すればあきらかに圧勝だから、意味無いとか言って誤魔化すわけね。
>それなら元寇だって元軍にすりゃ、大して気合い入ってないよーとか言えちゃうさ。
元は対日戦に持ってる海軍力全部投入してるんだよ。
大して気合い入ってないなんて言えるわけないじゃん。
元史の評価でも元寇は「大失利」。
元軍にとって痛恨の大敗北だったんだが。
「通説で言われているほど苦戦ではなかった」がいつの間にか
「日本の圧勝だった」にすり替わってるだけだな
誤った通説が、別の誤った通説と入れ替わっただけ
「戦前に『神風』はなかった」みたいな驚異の説を唱える人もいるし
じゃあなんで特攻隊に「神風」なんてつけたんだよw
「日本の圧勝だった」にすり替わってるだけだな
誤った通説が、別の誤った通説と入れ替わっただけ
「戦前に『神風』はなかった」みたいな驚異の説を唱える人もいるし
じゃあなんで特攻隊に「神風」なんてつけたんだよw
ヤマト・ハン国
>1210
元軍が九州に橋頭保を築くことを許さないまま撃退し、元軍の戦没者は文永の役で1万3500人、
弘安の役だと10万人以上ってのは、普通に「日本の圧勝」じゃないの?
「日本の圧勝」のどこが誤ってると思う?
それから、特攻隊に「神風」ってつけたのは、命名者の家の近所に神風道場っていう剣道の道場が
あったからだよ。
元軍が九州に橋頭保を築くことを許さないまま撃退し、元軍の戦没者は文永の役で1万3500人、
弘安の役だと10万人以上ってのは、普通に「日本の圧勝」じゃないの?
「日本の圧勝」のどこが誤ってると思う?
それから、特攻隊に「神風」ってつけたのは、命名者の家の近所に神風道場っていう剣道の道場が
あったからだよ。
> 命名者の家の近所に神風道場っていう剣道の道場があったからだよ。
本気で言っているのなら、さすがにやばいと思う
本気で言っているのなら、さすがにやばいと思う
>>1209
きみが持ち出した「京都や鎌倉どころか」って表現に準じて、
同じ基準で「日本は明の領土に入れたの?」って言ったんだけど「意味ないと言って誤魔化すわけね」が反論なの?w
異なる戦役を恣意的な基準使って「圧勝度比べ」する事に、なんか意味があるって事?
あるなら、参考までにどんな意味があるか教えてくれるかな。
「意味はない! ただ圧勝だと言いたいだけだ! 認めろー!」って言うなら認める。圧勝ですね。
>元軍にとって痛恨の大敗北だったんだが。
全部投入して失った結果どんだけ痛かったかを示してくれないと、反論も納得もしようがない。
「圧勝」とか「痛恨」とか「大敗北」っていう、きみが好きな表現の用いられる基準がよくわからん。
あくまで恣意的に「日本の圧勝!」「敵方、痛恨の大敗北!」とか言いたいだけなら、それはそれでありとは思う。
でもそういう主義であるなら、目的を何一つ果たせなかった唐入りを「日本の完全なる大失敗に終わった」とか言われても、文句言っちゃいけないとおもうw
きみが持ち出した「京都や鎌倉どころか」って表現に準じて、
同じ基準で「日本は明の領土に入れたの?」って言ったんだけど「意味ないと言って誤魔化すわけね」が反論なの?w
異なる戦役を恣意的な基準使って「圧勝度比べ」する事に、なんか意味があるって事?
あるなら、参考までにどんな意味があるか教えてくれるかな。
「意味はない! ただ圧勝だと言いたいだけだ! 認めろー!」って言うなら認める。圧勝ですね。
>元軍にとって痛恨の大敗北だったんだが。
全部投入して失った結果どんだけ痛かったかを示してくれないと、反論も納得もしようがない。
「圧勝」とか「痛恨」とか「大敗北」っていう、きみが好きな表現の用いられる基準がよくわからん。
あくまで恣意的に「日本の圧勝!」「敵方、痛恨の大敗北!」とか言いたいだけなら、それはそれでありとは思う。
でもそういう主義であるなら、目的を何一つ果たせなかった唐入りを「日本の完全なる大失敗に終わった」とか言われても、文句言っちゃいけないとおもうw
※1212が出してる数字って、高麗史が出典だよね?
高麗史には文永の役にも「神風」があったと記載されていて、
正直怪しい部分がある(現在、文永の役では特筆すべき風雨は
なかったと考えられている)
高麗史に記載された神風を否定しているのに、数字だけ盲信するのは何故?
高麗史には文永の役にも「神風」があったと記載されていて、
正直怪しい部分がある(現在、文永の役では特筆すべき風雨は
なかったと考えられている)
高麗史に記載された神風を否定しているのに、数字だけ盲信するのは何故?
>1214
元寇の結果としては、まず元の領土拡張に終止符を打ったってことだな。
元寇以後の東南アジアへの侵攻作戦がことごとく海軍力の弱体化のせいで失敗してるだろ。
さらに元自体の海防体制が崩壊したってのも大きい。
お陰で元は沿岸で我が物顔で暴れまわる日本の武装商人に怯え続けなくちゃいけなくなった。
これらが元崩壊の一因になったわけだ。
それから、学校では普通に唐入りを「日本の完全なる大失敗に終わった」と教えてるだろ。
更に対モンゴル戦について、国土を蹂躙され尽くし朝貢を余儀なくされた朝鮮やベトナムを
善戦したと教えてる。
だったら、九州に橋頭保すら築かせないまま唯一完全独立を守り抜いた元寇を圧勝としなければ、
釣り合いがとれないじゃん。
元寇の結果としては、まず元の領土拡張に終止符を打ったってことだな。
元寇以後の東南アジアへの侵攻作戦がことごとく海軍力の弱体化のせいで失敗してるだろ。
さらに元自体の海防体制が崩壊したってのも大きい。
お陰で元は沿岸で我が物顔で暴れまわる日本の武装商人に怯え続けなくちゃいけなくなった。
これらが元崩壊の一因になったわけだ。
それから、学校では普通に唐入りを「日本の完全なる大失敗に終わった」と教えてるだろ。
更に対モンゴル戦について、国土を蹂躙され尽くし朝貢を余儀なくされた朝鮮やベトナムを
善戦したと教えてる。
だったら、九州に橋頭保すら築かせないまま唯一完全独立を守り抜いた元寇を圧勝としなければ、
釣り合いがとれないじゃん。
※1215
誰も神風を否定してないけど、大丈夫?
誰も神風を否定してないけど、大丈夫?
※1217
文永の役の「神風」は大半の歴史家が否定している
※欄でもその前提で話しているものと思っていたのだが
文永の役の「神風」は大半の歴史家が否定している
※欄でもその前提で話しているものと思っていたのだが
>1215
高麗史は日本から逃げ帰る途中で風雨に遭ったと書いてるだけだよ。
勝敗には全く関係してないじゃん。
高麗史は日本から逃げ帰る途中で風雨に遭ったと書いてるだけだよ。
勝敗には全く関係してないじゃん。
※1219
それを言うなら、13500という数字自体が勝敗に関係ない
補給が尽きて撤退するところで風雨に遭い、13500人が還れなかった、とある
13500という数字が出てくるのは風雨の後
文永の役に関しては、補給管理のずさんさが元の敗因
それを言うなら、13500という数字自体が勝敗に関係ない
補給が尽きて撤退するところで風雨に遭い、13500人が還れなかった、とある
13500という数字が出てくるのは風雨の後
文永の役に関しては、補給管理のずさんさが元の敗因
>1220
「補給が尽きた」とかいう記述は高麗史にはないよ。
高麗史での撤退理由は、総司令官の忽敦がこのままでは全滅だと判断したから。
「矢が尽きた」と書いてあるのは元史の方だね。
あと、高麗史によれば、元軍は武器や鎧を自分たちで投げ捨てたらしいぞ。
「矢が尽きた」のは補給管理云々が原因ではなく、武士から逃げ回る際に身軽になるためだね。
「補給が尽きた」とかいう記述は高麗史にはないよ。
高麗史での撤退理由は、総司令官の忽敦がこのままでは全滅だと判断したから。
「矢が尽きた」と書いてあるのは元史の方だね。
あと、高麗史によれば、元軍は武器や鎧を自分たちで投げ捨てたらしいぞ。
「矢が尽きた」のは補給管理云々が原因ではなく、武士から逃げ回る際に身軽になるためだね。
歴史的に見ても、あちらは異民族制服を繰り返して膨張を続けた軍事国家。
その動員人数も日本の10倍以上。
楽勝だったwとかアホなの?
蒙古襲来図は日本人武士が「我々はこんなに頑張って戦いました!」という
ことを鎌倉にアピールするために書いたもの。自己正当化的に描いている。
日本は島国で幸いだった。
それでいいじゃん。
全部ウリの力で勝ったニダw的な、朝鮮人みたいなマネはやめろよ。
その動員人数も日本の10倍以上。
楽勝だったwとかアホなの?
蒙古襲来図は日本人武士が「我々はこんなに頑張って戦いました!」という
ことを鎌倉にアピールするために書いたもの。自己正当化的に描いている。
日本は島国で幸いだった。
それでいいじゃん。
全部ウリの力で勝ったニダw的な、朝鮮人みたいなマネはやめろよ。
※1221
ああごめん、その辺は言葉が足りなかった
「風雨に遭って未帰還者が13500人いた」という、その「風雨」自体が
なかったのではないかと考えられている(=だから13500人という数字も
怪しい)、という話
その辺の怪しさが関係しているかどうかは不明だが、文永の役の勝因についても
高麗史の記述は軽視されているのが現状、ということ
ただまあ、数字にこだわらず※1216の後半部分を「圧勝」の根拠とするので
あれば、特に異論はない
ああごめん、その辺は言葉が足りなかった
「風雨に遭って未帰還者が13500人いた」という、その「風雨」自体が
なかったのではないかと考えられている(=だから13500人という数字も
怪しい)、という話
その辺の怪しさが関係しているかどうかは不明だが、文永の役の勝因についても
高麗史の記述は軽視されているのが現状、ということ
ただまあ、数字にこだわらず※1216の後半部分を「圧勝」の根拠とするので
あれば、特に異論はない
負けて、一度でも上陸されたらおしまいだっただろうから、
今の日本地図のまんまではいられなかったんだろうなぁ
今の日本地図のまんまではいられなかったんだろうなぁ
たしかそのころ元はベトナムとも戦っててボロ負けしたからそっちにも兵力を振り分けないといけなかったような事をテレビでやってた。
あと、朝鮮は負けちゃったけど反抗勢力も残ってて結構がんばってて日本にタスケテ言ったけど相手にされなかったとか・・・
あと、朝鮮は負けちゃったけど反抗勢力も残ってて結構がんばってて日本にタスケテ言ったけど相手にされなかったとか・・・
最後の絵なんかシュールだな
スレタイの議論が全くされていない件ww
>>1216
だいたい納得できるよ。
滅亡時期や元寇以降の元朝の東南アジアへの出兵意欲からみて、
失われた戦力が当時どれほど「痛恨の大敗北」だったのかは微妙かなとも思うが。
>だったら、九州に橋頭保すら築かせないまま唯一完全独立を守り抜いた元寇を圧勝としなければ、
圧勝とすること自体に異を唱えたつもりはないけどな。
「元寇を圧勝と言いたがる人って(>>1181)みたいなこと言われると『いや文禄慶長はこうこうで』とか反論したがるよねー」と言っただけで。
それは実際その通りだったろw
だいたい納得できるよ。
滅亡時期や元寇以降の元朝の東南アジアへの出兵意欲からみて、
失われた戦力が当時どれほど「痛恨の大敗北」だったのかは微妙かなとも思うが。
>だったら、九州に橋頭保すら築かせないまま唯一完全独立を守り抜いた元寇を圧勝としなければ、
圧勝とすること自体に異を唱えたつもりはないけどな。
「元寇を圧勝と言いたがる人って(>>1181)みたいなこと言われると『いや文禄慶長はこうこうで』とか反論したがるよねー」と言っただけで。
それは実際その通りだったろw
(元寇は運良く勝ったように習ってたから…)
Wiki読んできた。
鎌倉ジャパンの圧勝だとは知らなかった。
北条時宗も元の使者を全員斬首にするのを繰返しているし、
撃退する気合十分だったみたい。
元・高麗軍14万 vs 鎌倉軍約4万 と書かれているけど
鎌倉側は、防塁・小舟やその他準備が凄そうだし、
戦いには出てこないけど、全国に通達して後詰の人数を待機してそうな感じもするから
(不利になれば続々と増援を送れそうです)
全然負ける雰囲気はないです。
中国朝鮮の不良品の船 vs 鎌倉ジャパンの完璧な準備
(学校教育のときと、イメージ変わりました)
日本に限らず今残ってる当時の資料を見れば日本が普通に勝ってた事ぐらい分かるのに
これは議論が云々以前にちゃんと勉強すればはっきり分かることだぞ
ただ今のような状況になったのは色々積み重なった結果だろうし
日教組のせいだと決め付ける人はどうかと思うけど
これは議論が云々以前にちゃんと勉強すればはっきり分かることだぞ
ただ今のような状況になったのは色々積み重なった結果だろうし
日教組のせいだと決め付ける人はどうかと思うけど
>「元寇を圧勝と言いたがる人って(>>1181)みたいなこと言われると『いや文禄慶>長はこうこうで』とか反論したがるよねー」と言っただけで。
>それは実際その通りだったろw
いやだってその二つは明らかに違うだろ
元寇は状況を見れば圧勝といっても良いかも知れない
でも朝鮮からみて日本に圧勝したなんて説は見たこと無いぞ
違うものを違うって言ってるだけなのに意味分からん
>それは実際その通りだったろw
いやだってその二つは明らかに違うだろ
元寇は状況を見れば圧勝といっても良いかも知れない
でも朝鮮からみて日本に圧勝したなんて説は見たこと無いぞ
違うものを違うって言ってるだけなのに意味分からん
相手側の作戦目的を軍事的に勝利によって破砕したんだから、
単に「勝利」した、ってだけでいいだろ。
圧倒的だの辛勝だのは多分に見方によるもんでしかないだろ。
真珠湾だって、「完勝」とも「小成功に過ぎない(当時の艦隊指揮官発言ね)」ともどっちだっていえるんだからさ。
単に「勝利」した、ってだけでいいだろ。
圧倒的だの辛勝だのは多分に見方によるもんでしかないだろ。
真珠湾だって、「完勝」とも「小成功に過ぎない(当時の艦隊指揮官発言ね)」ともどっちだっていえるんだからさ。
この話を鵜呑みにする訳じゃないが、これを見るまで学校で習った神風ありきの辛勝を微塵も疑わなかったことが怖くなってくるわ…
なんかもう自分が習った日本史全てが誰かの都合のイイように曲解されているような被害妄想に襲われてきたぞ…
なんかもう自分が習った日本史全てが誰かの都合のイイように曲解されているような被害妄想に襲われてきたぞ…
普通に考えて楽勝だったらこれが尾を引いてその後鎌倉幕府財政難で滅亡しないだろうよ、、、
小学校で元寇教えてたっけかな。中学からじゃない?
>でも朝鮮からみて日本に圧勝したなんて説は見たこと無いぞ
1181にそんなこと全く書いてないだろ?w
日本にとって完全な失敗であると言ってるんであって、朝鮮が日本に圧勝したなんて表現は注意深く避けたつもりなんですけど。
朝鮮が日本に勝った、でも問題ないが、君らのたぐいはまたぞろ逆上してめんどくさいからなw
要するに「元寇は日本の圧勝!」言いたがる人らの、朝鮮がらみでの過剰反応、脳内変換っぷりを面白いねーっつって笑いたかっただけであり、
ものの見事に、君が、改めて、演じてくれたわけよ。ありがとねw
1181にそんなこと全く書いてないだろ?w
日本にとって完全な失敗であると言ってるんであって、朝鮮が日本に圧勝したなんて表現は注意深く避けたつもりなんですけど。
朝鮮が日本に勝った、でも問題ないが、君らのたぐいはまたぞろ逆上してめんどくさいからなw
要するに「元寇は日本の圧勝!」言いたがる人らの、朝鮮がらみでの過剰反応、脳内変換っぷりを面白いねーっつって笑いたかっただけであり、
ものの見事に、君が、改めて、演じてくれたわけよ。ありがとねw
米1236
だって失敗するまでの経緯が全然違うじゃん
経緯が違うから別の話だろって言ってるのに過剰反応だの何だの意味が分からない
朝鮮出兵は別の話なんだから元寇とは別に朝鮮出兵への反論が出るのは当然だろ
朝鮮に上陸できずに追い返されたとかなら言ってることは分かるが
まさか経緯が全く違うけど失敗だから同じとか言うんじゃないよな?
だって失敗するまでの経緯が全然違うじゃん
経緯が違うから別の話だろって言ってるのに過剰反応だの何だの意味が分からない
朝鮮出兵は別の話なんだから元寇とは別に朝鮮出兵への反論が出るのは当然だろ
朝鮮に上陸できずに追い返されたとかなら言ってることは分かるが
まさか経緯が全く違うけど失敗だから同じとか言うんじゃないよな?
かたや戦術的勝利について述べてるのにもう一方は戦略的勝利について語ってる
そりゃ意見が合わないわけで
そりゃ意見が合わないわけで
※1238
その辺は触れるとまたややこしそうな…w
朝鮮出兵がどのレベルの失敗か、というのは各自の判断基準で
全く変わってくるからなあ
政権に与えた影響を考えると、朝鮮に上陸して善戦したことこそが
最悪レベルの失敗、という判断もあるわけで
その辺は触れるとまたややこしそうな…w
朝鮮出兵がどのレベルの失敗か、というのは各自の判断基準で
全く変わってくるからなあ
政権に与えた影響を考えると、朝鮮に上陸して善戦したことこそが
最悪レベルの失敗、という判断もあるわけで
>だって失敗するまでの経緯が全然違うじゃん
俺は戦役そのものの成功失敗以外の話しとらん。
あのペナントレースで勝てなかったって話に対し「五月までは首位だったから!」とか「あの試合での圧勝ぶりは!」とか言い出すひとが「必ず」出てくるねーってことなの。
>まさか経緯が全く違うけど失敗だから同じとか言うんじゃないよな?
言うよw作戦目的を全く果たせない失敗にゃ違いない。経緯の違いばかりを強調する意味がようわからんよ。
きみは例えば元軍と秀吉軍の強さ比べみたいなことがしたいのかもしらんが俺はそうじゃないし、経緯は戦術によっても変わるじゃん。
それでも経緯どうこう言うなら、唐入りで日本は明領をどれだけ踏めた?
明征服って大目標無視で朝鮮に上陸したこと強調して、どれほど意味あるん。
元軍も対馬あたりでもっと粘ってりゃ、君に高評価もらえたわけか?
基本的には別の話なのは全くその通り。わかってやってるよ。
ただ「違うところ」を朝鮮に上陸したとか漢城占領したとかそういう部分に求め、そこばかり強調していきり立つ人が必ず出るのよ、きみみたいに。
侵攻目的を果たせたかとか、政権滅亡に与えた影響とか、比較できそうな部分はいろいろあるだろうに、面白いよねw
俺は戦役そのものの成功失敗以外の話しとらん。
あのペナントレースで勝てなかったって話に対し「五月までは首位だったから!」とか「あの試合での圧勝ぶりは!」とか言い出すひとが「必ず」出てくるねーってことなの。
>まさか経緯が全く違うけど失敗だから同じとか言うんじゃないよな?
言うよw作戦目的を全く果たせない失敗にゃ違いない。経緯の違いばかりを強調する意味がようわからんよ。
きみは例えば元軍と秀吉軍の強さ比べみたいなことがしたいのかもしらんが俺はそうじゃないし、経緯は戦術によっても変わるじゃん。
それでも経緯どうこう言うなら、唐入りで日本は明領をどれだけ踏めた?
明征服って大目標無視で朝鮮に上陸したこと強調して、どれほど意味あるん。
元軍も対馬あたりでもっと粘ってりゃ、君に高評価もらえたわけか?
基本的には別の話なのは全くその通り。わかってやってるよ。
ただ「違うところ」を朝鮮に上陸したとか漢城占領したとかそういう部分に求め、そこばかり強調していきり立つ人が必ず出るのよ、きみみたいに。
侵攻目的を果たせたかとか、政権滅亡に与えた影響とか、比較できそうな部分はいろいろあるだろうに、面白いよねw
一回目は高麗軍メインだからな。いくらなんでも高麗軍に負ける事は無いだろ・・・・
二回目は十分に迎撃準備を整えた上で高麗軍を跳ね返し、びびった南宋軍が様子見してる間に台風が来た。
正直、リーグニッツみたいに、平原で中央アジアの騎馬民族から機動戦闘を挑まれていたら、負けていただろう。
相手は戦術的には当時間違いなく最強だ。(ただし、平原での会戦に限る)
地理や状況からして起こり得ない妄想ではあるけれども。
二回目は十分に迎撃準備を整えた上で高麗軍を跳ね返し、びびった南宋軍が様子見してる間に台風が来た。
正直、リーグニッツみたいに、平原で中央アジアの騎馬民族から機動戦闘を挑まれていたら、負けていただろう。
相手は戦術的には当時間違いなく最強だ。(ただし、平原での会戦に限る)
地理や状況からして起こり得ない妄想ではあるけれども。
米1240
まず元寇の戦術的話をしていたわけだけどそこに
朝鮮の話をする人が居たわけだよね
当然戦術級の話をしていたわけだから戦術的な話で朝鮮出兵の
話をするわけだけどそこに突然戦術級の話は関係ない
戦略的に負けたから負けだなんて言い出したらなんだこいつとしか思わんだろ
それとなんか嫌韓とか国粋主義者がいるような書き込みだけどそんな奴いねーよ
よく見てみろ、もしいると思うならあんたちょっとズレてるぞ
まず元寇の戦術的話をしていたわけだけどそこに
朝鮮の話をする人が居たわけだよね
当然戦術級の話をしていたわけだから戦術的な話で朝鮮出兵の
話をするわけだけどそこに突然戦術級の話は関係ない
戦略的に負けたから負けだなんて言い出したらなんだこいつとしか思わんだろ
それとなんか嫌韓とか国粋主義者がいるような書き込みだけどそんな奴いねーよ
よく見てみろ、もしいると思うならあんたちょっとズレてるぞ
※1242
単純に戦術級の話をしていたわけではないと思うよ
というより、こんな古い時代の戦術レベルの勝敗は不明な部分が多すぎる
(実際、元寇時の日本の被害規模すらわかっていない)
イデオロギー系の話は正直どうでもいい
アンケートの2位に不思議な項目が上がってるから、その辺と嫌韓・国粋とを
結びつけたんじゃないの
単純に戦術級の話をしていたわけではないと思うよ
というより、こんな古い時代の戦術レベルの勝敗は不明な部分が多すぎる
(実際、元寇時の日本の被害規模すらわかっていない)
イデオロギー系の話は正直どうでもいい
アンケートの2位に不思議な項目が上がってるから、その辺と嫌韓・国粋とを
結びつけたんじゃないの
>当然戦術級の話をしていたわけだから戦術的な話で朝鮮出兵の話をするわけだけど
1181からこっちを見てみようか。
そういう話は当初からしてないからね、俺。
敢えていうなら「三百年後でも海越えの征服は困難だったね」程度?w
対するレスは「文禄慶長が対中国だと知らないとみた」とか「朝鮮から見て圧勝だなんて聞いたことない」とか、色々あったなあ。
>戦略的に負けたから負けだなんて言い出したらなんだこいつとしか思わんだろ
戦術的、局地的な話をしたがるのは勝手だけど、、何度も何度も繰り返し意図は説明してんだからさ。もっと早い段階でそういうレスが書けたら良かったよねえw
俺としては「こう書くとこうなるよー」ってのが文句なしに実現したとおもうよw
1181からこっちを見てみようか。
そういう話は当初からしてないからね、俺。
敢えていうなら「三百年後でも海越えの征服は困難だったね」程度?w
対するレスは「文禄慶長が対中国だと知らないとみた」とか「朝鮮から見て圧勝だなんて聞いたことない」とか、色々あったなあ。
>戦略的に負けたから負けだなんて言い出したらなんだこいつとしか思わんだろ
戦術的、局地的な話をしたがるのは勝手だけど、、何度も何度も繰り返し意図は説明してんだからさ。もっと早い段階でそういうレスが書けたら良かったよねえw
俺としては「こう書くとこうなるよー」ってのが文句なしに実現したとおもうよw
>> 戦国時代を生き抜いた精鋭をもってしても、秀吉の朝鮮出兵は朝鮮に寸土をも獲得できず完全に失敗した
とか言うと各種の異論反論が噴出する不思議
>> その種の意見を含めて「失敗」とか言われたら「いやいやむしろ優勢だった、日本強かった、朝鮮には負けてない・・・うんぬんかんぬん」
って言いたがるよね、って言ってんの
まあ一部分都合よく切り取って突然こんな事言うから悪いよね。
文脈の中で、話の流れの中で意見て言うわけでしょ?なんで言いたがるって、大抵韓国、朝鮮のことを念頭においての話題、関連スレのときだからじゃないの?文禄・慶長の役全体の話題じゃなく、半島において朝鮮に対しての戦果、結果、事実に関して。
とか言うと各種の異論反論が噴出する不思議
>> その種の意見を含めて「失敗」とか言われたら「いやいやむしろ優勢だった、日本強かった、朝鮮には負けてない・・・うんぬんかんぬん」
って言いたがるよね、って言ってんの
まあ一部分都合よく切り取って突然こんな事言うから悪いよね。
文脈の中で、話の流れの中で意見て言うわけでしょ?なんで言いたがるって、大抵韓国、朝鮮のことを念頭においての話題、関連スレのときだからじゃないの?文禄・慶長の役全体の話題じゃなく、半島において朝鮮に対しての戦果、結果、事実に関して。
wiki見たら本当に圧勝だなw
元寇の絵って後付けじゃなかったけ?
おまえらすぐ信じるのな
これって自分の活躍を示すための絵だから普通に考えて負けてる状況を書くはずないんだよな
なんでこんな単純なことに気付かなかったんだろ
てゆーか、真実っていってるやつはこれが誇張されて書かれてる可能性は考えて言ってるのか?
ただ単に日本教育組合(笑)を悪く言いたいだけじゃねえの
なんでこんな単純なことに気付かなかったんだろ
てゆーか、真実っていってるやつはこれが誇張されて書かれてる可能性は考えて言ってるのか?
ただ単に日本教育組合(笑)を悪く言いたいだけじゃねえの
米1244
あなたの文章読んでて思うんだけどもうちょっと理解力と
文章を読む力を持ちなよ何言われても自分がって事しか話してないよ
貴方の頭の中でどう思っていても流れ読まないし表現力低いから伝わらないし
米1249
この絵だけじゃなく他の資料や元や朝鮮の資料を見た上で
真実っていってるんじゃない?
あなたの文章読んでて思うんだけどもうちょっと理解力と
文章を読む力を持ちなよ何言われても自分がって事しか話してないよ
貴方の頭の中でどう思っていても流れ読まないし表現力低いから伝わらないし
米1249
この絵だけじゃなく他の資料や元や朝鮮の資料を見た上で
真実っていってるんじゃない?
米1250
流れ読まなくてごめんなww
1181は「こういう理由だから日本圧勝だよ」と言ってる1176を援用してみたんだよね。
俺が使ってた理屈は、あくまで「元寇は日本圧勝」と言うひとの理屈なんで、別にご都合的に戦略の話を持ち出したわけじゃないのよ。
「そういう理屈であれば、唐入りについてはこう表現できるよね。でも納得しないんだろw」ってこと。
主に反応してくれたのは1176書いた本人だったが、「元寇では鎌倉や京都に触れさせもしなかった。対して唐入りでは朝鮮で大活躍だったから、唐入りに比しても元寇では圧勝だろ?」とか言うから、
「圧勝とする基準を恣意的に変えてないか。そもそも、鎌倉どうこう言うなら戦争目的は明だってこと忘れちゃダメだろ。北京どころか明領に入れたか?」と、やはり同じ理屈で返した。
あれ?別に「自分が」って話ばかりはしとらんな。
まあ煮詰まったときに人格やら読解力を攻撃しだすのは大歓迎よ。
なんつーか、テンプレ通りだからさ。様式美だわなw
流れ読まなくてごめんなww
1181は「こういう理由だから日本圧勝だよ」と言ってる1176を援用してみたんだよね。
俺が使ってた理屈は、あくまで「元寇は日本圧勝」と言うひとの理屈なんで、別にご都合的に戦略の話を持ち出したわけじゃないのよ。
「そういう理屈であれば、唐入りについてはこう表現できるよね。でも納得しないんだろw」ってこと。
主に反応してくれたのは1176書いた本人だったが、「元寇では鎌倉や京都に触れさせもしなかった。対して唐入りでは朝鮮で大活躍だったから、唐入りに比しても元寇では圧勝だろ?」とか言うから、
「圧勝とする基準を恣意的に変えてないか。そもそも、鎌倉どうこう言うなら戦争目的は明だってこと忘れちゃダメだろ。北京どころか明領に入れたか?」と、やはり同じ理屈で返した。
あれ?別に「自分が」って話ばかりはしとらんな。
まあ煮詰まったときに人格やら読解力を攻撃しだすのは大歓迎よ。
なんつーか、テンプレ通りだからさ。様式美だわなw
一度は大宰府まで撤退を余儀なくされていたのも確か。
『元史』では矢が尽きたから撤退を決めたと何とも微妙な事が書いてあるが。
高麗軍は毒矢を使う(元軍の標準装備ではない)が、その分、一人当たりの携行数は少なかったか?
『元史』では矢が尽きたから撤退を決めたと何とも微妙な事が書いてあるが。
高麗軍は毒矢を使う(元軍の標準装備ではない)が、その分、一人当たりの携行数は少なかったか?
米1251
もしこれが最初から朝鮮の話なら朝鮮出兵と照らし合わせて大きな意味で勝ち負けはどうだったって
話になったんだろうが、あくまで主題は元寇で元との戦いと照らし合わせて
朝鮮との話ならどこそこまで攻め入ったよって話しになったわけだろ?
それに対して元なら圧勝とかいってるのに朝鮮なら反論するんだな
見たいに言ってるからかみ合わないんだよ
そりゃ話の流れと内容的に戦いの内容自体を話していたんだから
結果よりも過程について話すのは当然だろ?そこにいきなり朝鮮主題で過程よりも
結果重視の話をしだしたらそりゃ違う話だろっていいたくもなるだろ
そのことを指摘してることについては今までの米欄みれば分かるよね?
そこら辺理解せずに主題じゃない朝鮮出兵にばかり拘って話してるから
理解しろとか自分勝手とか言ったんだよ
もしこれが最初から朝鮮の話なら朝鮮出兵と照らし合わせて大きな意味で勝ち負けはどうだったって
話になったんだろうが、あくまで主題は元寇で元との戦いと照らし合わせて
朝鮮との話ならどこそこまで攻め入ったよって話しになったわけだろ?
それに対して元なら圧勝とかいってるのに朝鮮なら反論するんだな
見たいに言ってるからかみ合わないんだよ
そりゃ話の流れと内容的に戦いの内容自体を話していたんだから
結果よりも過程について話すのは当然だろ?そこにいきなり朝鮮主題で過程よりも
結果重視の話をしだしたらそりゃ違う話だろっていいたくもなるだろ
そのことを指摘してることについては今までの米欄みれば分かるよね?
そこら辺理解せずに主題じゃない朝鮮出兵にばかり拘って話してるから
理解しろとか自分勝手とか言ったんだよ
とりあえず朝鮮出兵の話は違う場所でやろうよ。
>1252
元軍の矢が尽きたのは、自分たちで捨てちゃったからだよ。
『高麗史』巻29 世家29 忠烈王2 忠烈王6年
「又た、昔、東征の時に於いて、五千三百軍の齎去せる衣甲・弓箭は、多くを棄失するあり。
僅かに収拾するを得、府庫に頓えしも支用に堪えず。」
古今東西の合戦で潰走する兵が身軽になるため武器や鎧を捨てるのはよくあること。
武士に全く歯が立たない元軍は、博多にも大宰府にも指一本触れられず、逃げ回ってただけね。
元軍の矢が尽きたのは、自分たちで捨てちゃったからだよ。
『高麗史』巻29 世家29 忠烈王2 忠烈王6年
「又た、昔、東征の時に於いて、五千三百軍の齎去せる衣甲・弓箭は、多くを棄失するあり。
僅かに収拾するを得、府庫に頓えしも支用に堪えず。」
古今東西の合戦で潰走する兵が身軽になるため武器や鎧を捨てるのはよくあること。
武士に全く歯が立たない元軍は、博多にも大宰府にも指一本触れられず、逃げ回ってただけね。
日本側が大宰府まで下がる理由がない
>1256
そういう場合、「日本側が大宰府まで下がった」という史料の信憑性が問題になるわな。
八幡愚童訓なんて所詮「神社から神様が出て来て元軍を撃退した」とか荒唐無稽なことが
書いてあるオカルト文献なわけで。
史料批判の世界基準では、この手の宗教史料の記述を鵜呑みにしたりしない。
そういう場合、「日本側が大宰府まで下がった」という史料の信憑性が問題になるわな。
八幡愚童訓なんて所詮「神社から神様が出て来て元軍を撃退した」とか荒唐無稽なことが
書いてあるオカルト文献なわけで。
史料批判の世界基準では、この手の宗教史料の記述を鵜呑みにしたりしない。
米1253
>そりゃ話の流れと内容的に戦いの内容自体を話していたんだから
ちょっと真面目に話してやろうか。
話の流れと内容的にってのが具体的にどこらへんを指してるのかしらんが、
元寇では圧勝したといえるのか、またその理由についても多く話していた。それは確認できるだろ。
で、1153や1176など経過ではなく結果から理由づけしてる内容もあった。
これらは一見すれば客観的ぽい理屈をつけてるが「そういう理屈なら唐入りはこう表現できるが、それは反論したくなるんだろ?」と書いたのが1181だ。
1176や1153あたりが「圧勝」の客観的な物差しなのか、気分悪い結果が出れば経過だなんだと他の物差しを持ち出す程度のものなのか。
得たい結論に合わせてその都度で使う物差しを変えるなら、単に「根拠がどうあれ圧勝と言いたいだけ」なわけよ。
一昨夜かな?そういう話を1176との間でしてたんであって、マジで朝鮮うんぬんにこだわって見えるなら、そりゃきみの頭が悪いよ。きみの類に対する煽りが主題に見えたってことだなw
>そりゃ話の流れと内容的に戦いの内容自体を話していたんだから
ちょっと真面目に話してやろうか。
話の流れと内容的にってのが具体的にどこらへんを指してるのかしらんが、
元寇では圧勝したといえるのか、またその理由についても多く話していた。それは確認できるだろ。
で、1153や1176など経過ではなく結果から理由づけしてる内容もあった。
これらは一見すれば客観的ぽい理屈をつけてるが「そういう理屈なら唐入りはこう表現できるが、それは反論したくなるんだろ?」と書いたのが1181だ。
1176や1153あたりが「圧勝」の客観的な物差しなのか、気分悪い結果が出れば経過だなんだと他の物差しを持ち出す程度のものなのか。
得たい結論に合わせてその都度で使う物差しを変えるなら、単に「根拠がどうあれ圧勝と言いたいだけ」なわけよ。
一昨夜かな?そういう話を1176との間でしてたんであって、マジで朝鮮うんぬんにこだわって見えるなら、そりゃきみの頭が悪いよ。きみの類に対する煽りが主題に見えたってことだなw
米1121
>誰がいちいち情けない姿を絵師に描かせるかっての
家康「……えっ?」
>誰がいちいち情けない姿を絵師に描かせるかっての
家康「……えっ?」
米1259
いやだから戦いの内容っていう過程を見て圧勝っていった人が居たわけだ
とりあえず俺は無条件に圧勝したとは思ってないと言っとくけど
そういった類の人は元は日本に武力で勝つことが出来なかったが日本は朝鮮にある程度
侵攻したが政治的な理由で断念したと過程を言っているだろ?
そこに貴方は結果だけを見て比較して判断しようとしたわけだろ
朝鮮出兵っていう今までと違う前提を持ち出してその前提をいつまでも引っ張るから
俺はこだわってると言ったわけだ
過程を見た結果圧勝って考えになったのと結果だけ見て圧勝ってのは
似ているけど前提条件は全く違うだろ
要するに俺が言いたいのは今までの前提条件を突然変えて話すのは
卑怯だし議論自体意味がなくなるから止めたほうがいいじゃないのって事だよ
だって貴方のやっていることは圧勝論について正面から議論して否定するんじゃなくて
議論から降りた状態で子供みたいに自己満足に浸ってるだけじゃん
いやだから戦いの内容っていう過程を見て圧勝っていった人が居たわけだ
とりあえず俺は無条件に圧勝したとは思ってないと言っとくけど
そういった類の人は元は日本に武力で勝つことが出来なかったが日本は朝鮮にある程度
侵攻したが政治的な理由で断念したと過程を言っているだろ?
そこに貴方は結果だけを見て比較して判断しようとしたわけだろ
朝鮮出兵っていう今までと違う前提を持ち出してその前提をいつまでも引っ張るから
俺はこだわってると言ったわけだ
過程を見た結果圧勝って考えになったのと結果だけ見て圧勝ってのは
似ているけど前提条件は全く違うだろ
要するに俺が言いたいのは今までの前提条件を突然変えて話すのは
卑怯だし議論自体意味がなくなるから止めたほうがいいじゃないのって事だよ
だって貴方のやっていることは圧勝論について正面から議論して否定するんじゃなくて
議論から降りた状態で子供みたいに自己満足に浸ってるだけじゃん
佐藤大輔の「主砲射撃準備よし! 」にも元寇で元軍に日本武士団が軍事的に勝利したというエッセイがあるね。
米1261
>いやだから戦いの内容っていう過程を見て圧勝っていった人が居たわけだ
なんで未だに過程の話ありきになんだ?w
元寇に日本が圧勝したとするについて結果を根拠にした人もいたし、
過程こそが議論の前提条件ってほどの流れじゃなかったことは、具体的に米番もあげて指摘しただろ?
>そこに貴方は結果だけを見て比較して判断しようとしたわけだろ
別に過程ありきの流れでもないところに結果重視論があったので、それに倣った結果重視論を提示してみせた。それだけのことだ。
さらに、きみが例示したような過程重視のレスに対しても、
・明征服が目的である唐入りで日本は明領へは入れていないこと
・明軍が出てきてからは戦線は縮小一途であったこと
を指摘し、そのうえで朝鮮にある程度は侵攻したというが、元軍の九州上陸との比較として妥当なのか?とも言った。
これらに回答は得ていないが、過程重視する向きに対しても「そういう理屈なら唐入りはこうなるが」となるべく同じ物差しで話してきたつもりだがね?
>いやだから戦いの内容っていう過程を見て圧勝っていった人が居たわけだ
なんで未だに過程の話ありきになんだ?w
元寇に日本が圧勝したとするについて結果を根拠にした人もいたし、
過程こそが議論の前提条件ってほどの流れじゃなかったことは、具体的に米番もあげて指摘しただろ?
>そこに貴方は結果だけを見て比較して判断しようとしたわけだろ
別に過程ありきの流れでもないところに結果重視論があったので、それに倣った結果重視論を提示してみせた。それだけのことだ。
さらに、きみが例示したような過程重視のレスに対しても、
・明征服が目的である唐入りで日本は明領へは入れていないこと
・明軍が出てきてからは戦線は縮小一途であったこと
を指摘し、そのうえで朝鮮にある程度は侵攻したというが、元軍の九州上陸との比較として妥当なのか?とも言った。
これらに回答は得ていないが、過程重視する向きに対しても「そういう理屈なら唐入りはこうなるが」となるべく同じ物差しで話してきたつもりだがね?
(続き)元寇が議論の前提なのは当たり前だし、そこに朝鮮出兵持ち出したって別に議論の前提自体は変わってない。
元寇について議論しているなかで、圧勝であるか否かが一つの話題になった。
で、圧勝とする者がもっともらしい根拠を示したので、その基準を他の戦役に援用したらこうなるがそれでいいか?って話。
「元は日本に領土獲得できず数万の犠牲だして撃退されたので、日本の圧勝→日本は明に(最終的には半島にも)領土獲得できず数万の犠牲だして撃退されたので完全に失敗」
「そのとおり」と答えて何も矛盾しないし、なにか事実と異なることを書いたわけでもないだろ。結果を重視する議論なら当然こうなる。
過程を重視する議論ではまた別の結論があるかもしれないが、結果重視論に対して過程重視論で反論するのは、反論するほうが間違ってると思うがね。
それでも反論したくなるだろうとは予想したけどw
どこに基準を置くかで結論が違う場合があるのは当たり前だが、結果重視論自体は1181以前の流れの中にあるんだ。
なのに、突然前提条件を変えた、卑怯だ、とか、どんだけアホなんですか?
元寇について議論しているなかで、圧勝であるか否かが一つの話題になった。
で、圧勝とする者がもっともらしい根拠を示したので、その基準を他の戦役に援用したらこうなるがそれでいいか?って話。
「元は日本に領土獲得できず数万の犠牲だして撃退されたので、日本の圧勝→日本は明に(最終的には半島にも)領土獲得できず数万の犠牲だして撃退されたので完全に失敗」
「そのとおり」と答えて何も矛盾しないし、なにか事実と異なることを書いたわけでもないだろ。結果を重視する議論なら当然こうなる。
過程を重視する議論ではまた別の結論があるかもしれないが、結果重視論に対して過程重視論で反論するのは、反論するほうが間違ってると思うがね。
それでも反論したくなるだろうとは予想したけどw
どこに基準を置くかで結論が違う場合があるのは当たり前だが、結果重視論自体は1181以前の流れの中にあるんだ。
なのに、突然前提条件を変えた、卑怯だ、とか、どんだけアホなんですか?
すげぇ、スレも米欄もスレタイの「もし鎌倉幕府が負けてたらどうなったの?」って話を1㍉もしてねぇ
スレタイに惹かれて読んでみた俺マジ涙目
スレタイに惹かれて読んでみた俺マジ涙目
>1264
だって、史実でモンゴル軍は鎌倉武士に全く歯が立たなかったのに、
一体どういう奇跡が起これば元寇に負けるんだよ?って思うじゃん。
だって、史実でモンゴル軍は鎌倉武士に全く歯が立たなかったのに、
一体どういう奇跡が起これば元寇に負けるんだよ?って思うじゃん。
少なくとも文永の役で日本の「圧勝」とまで言ってる史料は無いと思うわけだが・・・・
事前に防備を整えていた弘安の役は、ほぼ完璧に防ぎ切ったと言えるが。
しかし、本来のネタの日本が「負ける」という想定は難しいな。
元が南宋軍まで動員してきても、せいぜい九州を一時的に制圧される事はあっても、それ以上にはならんだろう。
人口1000万人超の国で、兵の動員力も数十万。
そこに船で海を越えて乗り込んで軍事的に勝つというのは現実的ではない。
有り得るとしても、日本が早期講和を選んだ場合に、「形式上」日本を属国と「見なす」程度まででは。
日本人がこぞって従いたくなるような宗教でも持ち込んで布教できればワカランが。
事前に防備を整えていた弘安の役は、ほぼ完璧に防ぎ切ったと言えるが。
しかし、本来のネタの日本が「負ける」という想定は難しいな。
元が南宋軍まで動員してきても、せいぜい九州を一時的に制圧される事はあっても、それ以上にはならんだろう。
人口1000万人超の国で、兵の動員力も数十万。
そこに船で海を越えて乗り込んで軍事的に勝つというのは現実的ではない。
有り得るとしても、日本が早期講和を選んだ場合に、「形式上」日本を属国と「見なす」程度まででは。
日本人がこぞって従いたくなるような宗教でも持ち込んで布教できればワカランが。
リーグニッツのように、モンゴル本来の騎馬戦術を平原で駆使されたら、まず勝てないが。
日本に侵攻する場合は地理的に考えて高麗軍・宋軍など歩兵中心の連中がメインになるし、船で大量の馬を運ぶのはコストも洒落にならない。
日本には平地での機動戦闘を展開するのに適した場所は少ないし、日本側が山岳でのゲリラ戦に引き込むなど、戦場選択の主導権を握り続けるなら、負ける要素は少ない。元軍は攻城兵器も駆使しているが、その運用も平地を想定したもので、これも日本ではほぼ脅威にはならない。
唯一問題は、日本の町は防壁を持たないから、真っ先に非戦闘員が甚大な被害を被るであろうという事ぐらいか。
日本に侵攻する場合は地理的に考えて高麗軍・宋軍など歩兵中心の連中がメインになるし、船で大量の馬を運ぶのはコストも洒落にならない。
日本には平地での機動戦闘を展開するのに適した場所は少ないし、日本側が山岳でのゲリラ戦に引き込むなど、戦場選択の主導権を握り続けるなら、負ける要素は少ない。元軍は攻城兵器も駆使しているが、その運用も平地を想定したもので、これも日本ではほぼ脅威にはならない。
唯一問題は、日本の町は防壁を持たないから、真っ先に非戦闘員が甚大な被害を被るであろうという事ぐらいか。
元がなに目的だったかにもよるだろ。
中華の征服って、安全保障や通商と密接に関わってるし。
国書だっけ。あれの内容どんなんだ。使者ぶち殺したんだから相当な要求?
中華の征服って、安全保障や通商と密接に関わってるし。
国書だっけ。あれの内容どんなんだ。使者ぶち殺したんだから相当な要求?
初めは一騎打ちしようとしてフルボッコにされたが
その日の昼ごろには既に集団戦で撃退、
元軍は撤退を試みるも海上で「神風」に迫撃されて全滅
…というのが私の記憶にあるんだが…
その日の昼ごろには既に集団戦で撃退、
元軍は撤退を試みるも海上で「神風」に迫撃されて全滅
…というのが私の記憶にあるんだが…
米1262
まず大多数の人は「元寇」について話していたけどこれはわかるよね?
そこにどうでもいい朝鮮について話す人が居たんだけど
その人は元寇と朝鮮についてくっつけて話したがるんだけど
この二つは時代も概要も決着に至るまでも違うのに
片方ではこうなのになんでこっちは考え方が変わるんだと言い出したわけだ
そりゃ全然別の話だから別々に考察しろとしか言えないよ
考察の結果考え方が違っていてもダブスタでもなんでもない
そんなシンプルな話を長々話してたわけだけど
>だって貴方のやっていることは圧勝論について正面から議論して否定するんじゃなくて
>議論から降りた状態で子供みたいに自己満足に浸ってるだけじゃん
こう書いた通り元寇の話だから圧勝論派に何が気に入らないのか話して見たらどうかな
考え方が変わるって人が気に入らないならそれこそ個人的な感想だから知らないよ
まず大多数の人は「元寇」について話していたけどこれはわかるよね?
そこにどうでもいい朝鮮について話す人が居たんだけど
その人は元寇と朝鮮についてくっつけて話したがるんだけど
この二つは時代も概要も決着に至るまでも違うのに
片方ではこうなのになんでこっちは考え方が変わるんだと言い出したわけだ
そりゃ全然別の話だから別々に考察しろとしか言えないよ
考察の結果考え方が違っていてもダブスタでもなんでもない
そんなシンプルな話を長々話してたわけだけど
>だって貴方のやっていることは圧勝論について正面から議論して否定するんじゃなくて
>議論から降りた状態で子供みたいに自己満足に浸ってるだけじゃん
こう書いた通り元寇の話だから圧勝論派に何が気に入らないのか話して見たらどうかな
考え方が変わるって人が気に入らないならそれこそ個人的な感想だから知らないよ
>1266
文永の役について金剛仏子叡尊感身学正記という史料は、
「蒙古は二十日に博多に来て即退散した」って書いてるよ。
文永の役について金剛仏子叡尊感身学正記という史料は、
「蒙古は二十日に博多に来て即退散した」って書いてるよ。
米1270
俺、盛大に釣られてんのかな?w
話の外側に基準を置かないでいいなら「こういう事実により圧勝とすべきである」って話自体が成立しないだろw
もし「日本側も最低一人は死んでるから、圧勝じゃないよ」と言っても、反論しようがないだろ?
互いに、俺基準での言い合いにしかならんのは分かるか?
それならそれでもいいんだが、同時に議論がどうしたとか言うんだから、もう笑うしかないわww
俺、盛大に釣られてんのかな?w
話の外側に基準を置かないでいいなら「こういう事実により圧勝とすべきである」って話自体が成立しないだろw
もし「日本側も最低一人は死んでるから、圧勝じゃないよ」と言っても、反論しようがないだろ?
互いに、俺基準での言い合いにしかならんのは分かるか?
それならそれでもいいんだが、同時に議論がどうしたとか言うんだから、もう笑うしかないわww
盛り上がって参りましたw
米1272
あんた何言ってるの?大丈夫?
>話の外側に基準を置かないでいいなら「こういう事実により圧勝とすべきである」って話自体が成立しないだろ
基準を設けてそれを越えたら圧勝って事?そんな戦況の見方見たこと無いよ
そりゃそんな話しをする人が居ないんだから成立するわけ無いだろ
>もし「日本側も最低一人は死んでるから、圧勝じゃないよ」と言っても、反論しようがないだろ?
そんなのいくらでも反論のしようがあると思うけど・・・
というか圧勝派の人たちに一人以上は死んでるから圧勝じゃないって聞いて見ればいいじゃない
>互いに、俺基準での言い合いにしかならんのは分かるか?
お互いって言うか俺基準を押し通そうとしてるのは貴方だけだと思うけど
一度冷静に自分の文章見直して見たら
それと今回の文章酷すぎ伝わる程度に分かりやすくしてくれ
あんた何言ってるの?大丈夫?
>話の外側に基準を置かないでいいなら「こういう事実により圧勝とすべきである」って話自体が成立しないだろ
基準を設けてそれを越えたら圧勝って事?そんな戦況の見方見たこと無いよ
そりゃそんな話しをする人が居ないんだから成立するわけ無いだろ
>もし「日本側も最低一人は死んでるから、圧勝じゃないよ」と言っても、反論しようがないだろ?
そんなのいくらでも反論のしようがあると思うけど・・・
というか圧勝派の人たちに一人以上は死んでるから圧勝じゃないって聞いて見ればいいじゃない
>互いに、俺基準での言い合いにしかならんのは分かるか?
お互いって言うか俺基準を押し通そうとしてるのは貴方だけだと思うけど
一度冷静に自分の文章見直して見たら
それと今回の文章酷すぎ伝わる程度に分かりやすくしてくれ
勘違いしてる人が多いけど、元寇で日本に攻めて来たのは本来のモンゴル軍だよ。
モンゴル軍なんて、ヨーロッパに侵攻した時も、中東に侵攻した時も、中国に侵攻した時も、
全部征服した民族主体の多民族混成軍。
例えば、1255年にモンゴル軍が南宋に侵攻した時、皇帝のモンケ直属部隊の民族構成は、
モンゴル人・漢人・女直人・高麗人で元寇とまったく一緒。
この時、モンケの配下だった劉復享は文永の役の副司令官だし。
あと、対馬海峡程度の距離なら馬を船で輸送するのなんて余裕。
だって、同時代の十字軍は大量の騎士とその馬を、元寇よりも小規模な艦隊で、ヨーロッパから
聖地まで対馬海峡の20倍以上の長距離輸送してたんだから。
モンゴル軍なんて、ヨーロッパに侵攻した時も、中東に侵攻した時も、中国に侵攻した時も、
全部征服した民族主体の多民族混成軍。
例えば、1255年にモンゴル軍が南宋に侵攻した時、皇帝のモンケ直属部隊の民族構成は、
モンゴル人・漢人・女直人・高麗人で元寇とまったく一緒。
この時、モンケの配下だった劉復享は文永の役の副司令官だし。
あと、対馬海峡程度の距離なら馬を船で輸送するのなんて余裕。
だって、同時代の十字軍は大量の騎士とその馬を、元寇よりも小規模な艦隊で、ヨーロッパから
聖地まで対馬海峡の20倍以上の長距離輸送してたんだから。
米1274
わかった。簡潔に書いてやる。
なにをもって圧勝とするかの定義もないまま「圧勝だ」「いや苦戦だろ」といくら言い合っても、
単にそれぞれの主観、感覚を押しつけ合ってるに過ぎない。いくら史書から引用しようが一緒だ。
「果物とはなにか」の定義がないまま「いちごは果物か」を議論するようなもんでな。
「いちごは赤いから果物!」「トウガラシは? 赤いが」「トウガラシは辛いから果物じゃない!」
みたいな言い合いしてるだけ。
ついでに「トウガラシといちごは形も味も育て方も違うだろ。別々に考察しろとしか言えんわ」とか言いだしたのがお前だ。
わかった。簡潔に書いてやる。
なにをもって圧勝とするかの定義もないまま「圧勝だ」「いや苦戦だろ」といくら言い合っても、
単にそれぞれの主観、感覚を押しつけ合ってるに過ぎない。いくら史書から引用しようが一緒だ。
「果物とはなにか」の定義がないまま「いちごは果物か」を議論するようなもんでな。
「いちごは赤いから果物!」「トウガラシは? 赤いが」「トウガラシは辛いから果物じゃない!」
みたいな言い合いしてるだけ。
ついでに「トウガラシといちごは形も味も育て方も違うだろ。別々に考察しろとしか言えんわ」とか言いだしたのがお前だ。
※1275
モンゴル軍は高麗女真族主体だったので雑魚とよく言われるけど
フビライは元寇後に、その雑魚の編成軍で
蒙古騎兵主体の反乱軍を破っているんだよね。
元寇も本気モードだったのかな?
ウチの歴史の先生は
「お馬さんが使えない遊牧民は雑魚同然です。
ベトナムでも日本でもあっけなく壊滅しました。」
とか教えていたけど。
モンゴル軍は高麗女真族主体だったので雑魚とよく言われるけど
フビライは元寇後に、その雑魚の編成軍で
蒙古騎兵主体の反乱軍を破っているんだよね。
元寇も本気モードだったのかな?
ウチの歴史の先生は
「お馬さんが使えない遊牧民は雑魚同然です。
ベトナムでも日本でもあっけなく壊滅しました。」
とか教えていたけど。
明史
「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」 (日本との七年に及ぶ戦争によって我が明は膨大な犠牲を強いられた。 我が国と属国朝鮮に勝算は無かったが、関白豊臣秀吉の死によって戦争は終わった)
「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」 (日本との七年に及ぶ戦争によって我が明は膨大な犠牲を強いられた。 我が国と属国朝鮮に勝算は無かったが、関白豊臣秀吉の死によって戦争は終わった)
>1277
フビライは元寇に全海軍力投入してるんだから、あきらかに本気モード。
それから、モンゴル軍は1257年に僅か3000騎でベトナムへ侵攻し、首都・大羅を占領破壊。
翌年、ベトナムはモンゴル帝国に降伏し、属国化してる。
モンゴル軍は普通にベトナムでも圧倒的な強さだったわけ。
その後、再びベトナムが反乱起こした時も、モンゴル軍は陸戦で連戦連勝だったんだよ。
でも、元寇で江南艦隊が全滅し、海軍力が極度に弱体化してたのが致命的だった。
フビライは兵糧を何度もベトナムへ海上輸送しようとしたんだけど、海軍がことごとく失敗し、
陸軍も結局食料が尽きて撤退に追い込まれた。
元寇はフビライにとってまさに痛恨の敗北だったってこと。
フビライは元寇に全海軍力投入してるんだから、あきらかに本気モード。
それから、モンゴル軍は1257年に僅か3000騎でベトナムへ侵攻し、首都・大羅を占領破壊。
翌年、ベトナムはモンゴル帝国に降伏し、属国化してる。
モンゴル軍は普通にベトナムでも圧倒的な強さだったわけ。
その後、再びベトナムが反乱起こした時も、モンゴル軍は陸戦で連戦連勝だったんだよ。
でも、元寇で江南艦隊が全滅し、海軍力が極度に弱体化してたのが致命的だった。
フビライは兵糧を何度もベトナムへ海上輸送しようとしたんだけど、海軍がことごとく失敗し、
陸軍も結局食料が尽きて撤退に追い込まれた。
元寇はフビライにとってまさに痛恨の敗北だったってこと。
明の文献が本当なら、秀吉軍は当時のアジアを征服するだけの実力あったのかもw
ふーむ。元寇の時の元軍には、騎兵部隊がどの位の割合居たんだろう?
ふーむ。元寇の時の元軍には、騎兵部隊がどの位の割合居たんだろう?
米1275
>この時、モンケの配下だった劉復享は文永の役の副司令官だし。
劉復享と言えば文永の役で射られた奴だが、劉復享を射落としたのは日本の史料では少弐景資とされてるな。
で、少弐景資は文永の役の総大将という説がある。異説もあるかも。
とすると、日本の史料は誰が総大将かもはっきりしない程度の信憑性なんだが、
ともかくこの副司令官と(史料によっては退却中殿軍をつとめていた)日本総大将が接敵し、射落とした。日本側史料ではそうなってる。
これはあまり芳しい戦況とは思えない。
高麗史では「船焼いて根性決めればいける!」って高麗武将に、
元軍総司令が「このまま戦い続けたら捕虜になっちゃう。退却するしかない」と言ったされるが、
これは孫子の引用であり「兵法に曰く、うんちゃらかんちゃら」という前置き部分。
「兵は疲れているのに敵は日ごとに湧いてくる。戦い続けるのは良策ではない、兵を退くべし」と続くのが主文であり、
「思ったより手強いから撤退しよう」派と「根性決めればいけるよ」派。
そういう意見対立と考えるべきではないかね。
明が編んだ元史ではまた別の記述だし、どの史料に拠るかで、想定される戦況は全然違ってくんだよな。
>この時、モンケの配下だった劉復享は文永の役の副司令官だし。
劉復享と言えば文永の役で射られた奴だが、劉復享を射落としたのは日本の史料では少弐景資とされてるな。
で、少弐景資は文永の役の総大将という説がある。異説もあるかも。
とすると、日本の史料は誰が総大将かもはっきりしない程度の信憑性なんだが、
ともかくこの副司令官と(史料によっては退却中殿軍をつとめていた)日本総大将が接敵し、射落とした。日本側史料ではそうなってる。
これはあまり芳しい戦況とは思えない。
高麗史では「船焼いて根性決めればいける!」って高麗武将に、
元軍総司令が「このまま戦い続けたら捕虜になっちゃう。退却するしかない」と言ったされるが、
これは孫子の引用であり「兵法に曰く、うんちゃらかんちゃら」という前置き部分。
「兵は疲れているのに敵は日ごとに湧いてくる。戦い続けるのは良策ではない、兵を退くべし」と続くのが主文であり、
「思ったより手強いから撤退しよう」派と「根性決めればいけるよ」派。
そういう意見対立と考えるべきではないかね。
明が編んだ元史ではまた別の記述だし、どの史料に拠るかで、想定される戦況は全然違ってくんだよな。
米1276
>なにをもって圧勝とするかの定義もないまま「圧勝だ」「いや苦戦だろ」といくら言い合っても、
>単にそれぞれの主観、感覚を押しつけ合ってるに過ぎない。いくら史書から引用しようが一緒だ
そもそも圧勝の定義なんてものは存在しねーよ
歴史ってのは色んな主張を持っている人がいるがそういった人たちが議論して
妥当なものが見えてくるんだろ?
例えば圧勝派が気に入らないならここは違うから圧勝じゃないですよって言えばいいのに
「圧勝の基準が分からないから話することが出来ませんまず朝鮮出兵と比べましょう」なんて言い出したら
頭が残念なのかと思ってしまうだろ
しかもそんな訳が分からない理由で他の人に突っかかって
「こっちは圧勝なのに朝鮮には反論するんですね」なんて言い出したら
なにこいつってなるだろ?
その訳が分からない物に対して貴方の言ってることは歴史とは違うんじゃないかな?
って言ったらこんな言い合いになっちゃった訳だけど
>なにをもって圧勝とするかの定義もないまま「圧勝だ」「いや苦戦だろ」といくら言い合っても、
>単にそれぞれの主観、感覚を押しつけ合ってるに過ぎない。いくら史書から引用しようが一緒だ
そもそも圧勝の定義なんてものは存在しねーよ
歴史ってのは色んな主張を持っている人がいるがそういった人たちが議論して
妥当なものが見えてくるんだろ?
例えば圧勝派が気に入らないならここは違うから圧勝じゃないですよって言えばいいのに
「圧勝の基準が分からないから話することが出来ませんまず朝鮮出兵と比べましょう」なんて言い出したら
頭が残念なのかと思ってしまうだろ
しかもそんな訳が分からない理由で他の人に突っかかって
「こっちは圧勝なのに朝鮮には反論するんですね」なんて言い出したら
なにこいつってなるだろ?
その訳が分からない物に対して貴方の言ってることは歴史とは違うんじゃないかな?
って言ったらこんな言い合いになっちゃった訳だけど
ちなみに、鎌倉幕府だけでなく
琉球王国も自力で元軍を追っ払ってる。
モンゴル勢力は端から本気出してないんだろ。
琉球王国も自力で元軍を追っ払ってる。
モンゴル勢力は端から本気出してないんだろ。
スレ読んでると正規軍が来てたみたいね。
撤回します。
撤回します。
学の無い私の勝手な想像(妄想)
鎌倉武士団「一時退却!やっべこのままだと大宰府まで押し込まれるぞ!」
元軍「オラー!いけいけ!へへっ日本人大した事ないじゃんw」
少弐景資「ハァハァ、大将の俺が殿とかマジヤベェし」
劉復享「者ドモー!我に続けー!!(絶賛調子のり中)」
少弐景資「あ、うん?何か派手な奴がいんぞ…」
少弐景資「このまま撤退すんのもつまんねぇし、とりあえず射掛けてみよう」
劉復享「トス(胸に矢が命中)あ、痛い…(馬から落ちる)」
元軍「劉復享さまー!?やばい、副官殿がやられた逃げろーい!!」
少弐景資「よし!当たった…て、あれ?敵が撤退していくぞ…なんか知らんけどラッキーw」
鎌倉武士団「一時退却!やっべこのままだと大宰府まで押し込まれるぞ!」
元軍「オラー!いけいけ!へへっ日本人大した事ないじゃんw」
少弐景資「ハァハァ、大将の俺が殿とかマジヤベェし」
劉復享「者ドモー!我に続けー!!(絶賛調子のり中)」
少弐景資「あ、うん?何か派手な奴がいんぞ…」
少弐景資「このまま撤退すんのもつまんねぇし、とりあえず射掛けてみよう」
劉復享「トス(胸に矢が命中)あ、痛い…(馬から落ちる)」
元軍「劉復享さまー!?やばい、副官殿がやられた逃げろーい!!」
少弐景資「よし!当たった…て、あれ?敵が撤退していくぞ…なんか知らんけどラッキーw」
米1279
ベトナムは地の利を生かした焦土・ゲリラ戦術をとったんじゃないのかね?
「連戦連勝だった」とかあまりに恣意的過ぎないか?
水際防御は、決まればそりゃ「ろくに国土を踏ませず」に勝てるだろうさ。
しかし強大な敵と地続きの国では、ハナから選べない戦術だ。
日本だって、上陸させないことが最重要だと考えたから防塁建築に勤しんだ。
上陸させて殲滅させることを狙わなかったのは、陸戦で正面決戦したい相手じゃなかったっつーことだろ。
防塁で完封はしたが、殲滅できたのはあくまで僥倖だ。
ベトナムは地の利を生かした焦土・ゲリラ戦術をとったんじゃないのかね?
「連戦連勝だった」とかあまりに恣意的過ぎないか?
水際防御は、決まればそりゃ「ろくに国土を踏ませず」に勝てるだろうさ。
しかし強大な敵と地続きの国では、ハナから選べない戦術だ。
日本だって、上陸させないことが最重要だと考えたから防塁建築に勤しんだ。
上陸させて殲滅させることを狙わなかったのは、陸戦で正面決戦したい相手じゃなかったっつーことだろ。
防塁で完封はしたが、殲滅できたのはあくまで僥倖だ。
>1281
少弐景資は蒙古襲来絵詞をはじめとする元寇関連の史料で軒並み総大将だろ。
異論なんて聞かないぞ。
あと、少弐景資が接敵して劉復享を射たというのは八幡愚童訓って史料の記述なんだけど、
その部分は書き間違いで元々は部下に命じて射させたことになっていた。
八幡ノ蒙古記(1289年成立)
「その時、景資か旗の、せみくちを、鳩かけりしかは、八幡大菩薩の御影向と、たのもしく思ひ、
究竟の馬廻に、弓の上手ありしかは、それに下知して、逸物の上馬にのせ、一鞭うちて、
はせ出させたり、かの奴原を見かへりて、よつひき、はなつ矢、一はんにかけたる大男の、
直中を射つらぬき、逆にこそ、おちたりけれ」
↓
八幡愚童訓(鎌倉末期成立)
「其時、景資ガ旗ノ上ニ、鳩翔リ舞シカバ、八幡大菩薩ノ御影向トゾ憑敷覚ケリ。
究竟ノ馬乗、弓ノ上手也シカバ、逸物ノ馬ニハ乗タリ、一鞭打テ馳延ビ
見帰テ放ツ矢ニ、一番ニ懸ケル大男ガ真中射テ、馬ヨリ逆様ニ落シケリ」
まあ、八幡ノ蒙古記も八幡愚童訓も信憑性に問題ある史料なんだけど、少なくとも
そのことを根拠に日本側があまり芳しい戦況とは思えないってのは間違いだから。
少弐景資は蒙古襲来絵詞をはじめとする元寇関連の史料で軒並み総大将だろ。
異論なんて聞かないぞ。
あと、少弐景資が接敵して劉復享を射たというのは八幡愚童訓って史料の記述なんだけど、
その部分は書き間違いで元々は部下に命じて射させたことになっていた。
八幡ノ蒙古記(1289年成立)
「その時、景資か旗の、せみくちを、鳩かけりしかは、八幡大菩薩の御影向と、たのもしく思ひ、
究竟の馬廻に、弓の上手ありしかは、それに下知して、逸物の上馬にのせ、一鞭うちて、
はせ出させたり、かの奴原を見かへりて、よつひき、はなつ矢、一はんにかけたる大男の、
直中を射つらぬき、逆にこそ、おちたりけれ」
↓
八幡愚童訓(鎌倉末期成立)
「其時、景資ガ旗ノ上ニ、鳩翔リ舞シカバ、八幡大菩薩ノ御影向トゾ憑敷覚ケリ。
究竟ノ馬乗、弓ノ上手也シカバ、逸物ノ馬ニハ乗タリ、一鞭打テ馳延ビ
見帰テ放ツ矢ニ、一番ニ懸ケル大男ガ真中射テ、馬ヨリ逆様ニ落シケリ」
まあ、八幡ノ蒙古記も八幡愚童訓も信憑性に問題ある史料なんだけど、少なくとも
そのことを根拠に日本側があまり芳しい戦況とは思えないってのは間違いだから。
>>1282
圧勝の定義が存在しないことと、
議論において仮のものであっても定義を共有することの重要性を理解してるかしていないかは、全っ然違う。
ハナから「圧勝」なんて曖昧なもんについて話してんのに、
互いに相手がどういう意味で言ってんのかもわからんまま、
好き放題に言い合ってたら妥当なものが見えてくる?
なにが見えてくるっつーの。アホかw
>例えば圧勝派が気に入らないならここは違うから圧勝じゃないですよって言えばいいのに
そりゃアホの水掛け論そのものだな。
「いちごは外は赤いですけど中が赤くないから圧勝じゃないですよ」みたいなww
「あんたの定義によれば、他の例ではこうなるが、よろしいか?」
と、相手の述べた定義らしきものに拠って確認を取るとするだろ?
「よろしい」であれば、以降は少なくとも俺のその相手の間では一応は同じ言葉を同じ意味で使って話ができんだよ。わかるか?
未だに「訳の分からない理由」とか言ってるお前の頭が残念過ぎる。
本当に馬鹿なんだって、もっと早く気づくべきだったよ。
圧勝の定義が存在しないことと、
議論において仮のものであっても定義を共有することの重要性を理解してるかしていないかは、全っ然違う。
ハナから「圧勝」なんて曖昧なもんについて話してんのに、
互いに相手がどういう意味で言ってんのかもわからんまま、
好き放題に言い合ってたら妥当なものが見えてくる?
なにが見えてくるっつーの。アホかw
>例えば圧勝派が気に入らないならここは違うから圧勝じゃないですよって言えばいいのに
そりゃアホの水掛け論そのものだな。
「いちごは外は赤いですけど中が赤くないから圧勝じゃないですよ」みたいなww
「あんたの定義によれば、他の例ではこうなるが、よろしいか?」
と、相手の述べた定義らしきものに拠って確認を取るとするだろ?
「よろしい」であれば、以降は少なくとも俺のその相手の間では一応は同じ言葉を同じ意味で使って話ができんだよ。わかるか?
未だに「訳の分からない理由」とか言ってるお前の頭が残念過ぎる。
本当に馬鹿なんだって、もっと早く気づくべきだったよ。
>>1287
総大将で良いのか? じゃ、総大将ということで。
>そのことを根拠に日本側があまり芳しい戦況とは思えないってのは間違い
何故間違いなのか、そこが肝心だろ? 「何故」だよ。結論だけ書くな。
俺は「総大将と敵の副司令官が接敵できる状況」が最低でも大混戦、
あとは史料によっては退却戦中のできごととなっているのを論拠にしている。
あとあなたは史料に非常に詳しそうだから尋ねるが、
「八幡ノ蒙古記」と「八幡愚童訓」と、それぞれ「その時」という言葉を使ってるが、
「その時」とはどういうとき? 戦況はどういう状況だとされているのかな。
劉復享は少数の伴を連れ、先頭に立って日本軍に向けて突っ込んできているんだよな。
対して日本軍は「その時」前進中なのか、後退中なのか。どう描かれている?
進み出た騎馬武者が「みかえりて」射かけたとは背面騎射したともとれる描写だが、
蒙古襲来絵詞に描かれた騎射姿にそれらしきものはない。みんな前を見て射ている。
背面騎射がデフォって事はなさそうだ。「みかえりて」とはどういう意味なんだと考える?
総大将で良いのか? じゃ、総大将ということで。
>そのことを根拠に日本側があまり芳しい戦況とは思えないってのは間違い
何故間違いなのか、そこが肝心だろ? 「何故」だよ。結論だけ書くな。
俺は「総大将と敵の副司令官が接敵できる状況」が最低でも大混戦、
あとは史料によっては退却戦中のできごととなっているのを論拠にしている。
あとあなたは史料に非常に詳しそうだから尋ねるが、
「八幡ノ蒙古記」と「八幡愚童訓」と、それぞれ「その時」という言葉を使ってるが、
「その時」とはどういうとき? 戦況はどういう状況だとされているのかな。
劉復享は少数の伴を連れ、先頭に立って日本軍に向けて突っ込んできているんだよな。
対して日本軍は「その時」前進中なのか、後退中なのか。どう描かれている?
進み出た騎馬武者が「みかえりて」射かけたとは背面騎射したともとれる描写だが、
蒙古襲来絵詞に描かれた騎射姿にそれらしきものはない。みんな前を見て射ている。
背面騎射がデフォって事はなさそうだ。「みかえりて」とはどういう意味なんだと考える?
>1286
実際「連戦連勝だった」としか言いようがないんだから、仕方ないだろ。
ベトナムも当初は紅河を防衛ラインにしようとして、象部隊まで動員してた。
でも、あっさりとモンゴル軍3000騎に渡河作戦決められてるし。
その程度の軍しかなかったんだよ。
一方の日本は、当初上陸させて殲滅させることを狙い、水城を防衛ラインに設定してた。
でもモンゴル軍が思ったより弱くて、水城に到達することすらできないから、海岸に防塁築いて
完封勝ち狙うことにしたんじゃん。
だって、水城は高さ10メートル以上あるのに、防塁は高さ2~3メートルだぜ。
あきらかにモンゴル軍の戦闘力を下方修正してるだろ。
実際「連戦連勝だった」としか言いようがないんだから、仕方ないだろ。
ベトナムも当初は紅河を防衛ラインにしようとして、象部隊まで動員してた。
でも、あっさりとモンゴル軍3000騎に渡河作戦決められてるし。
その程度の軍しかなかったんだよ。
一方の日本は、当初上陸させて殲滅させることを狙い、水城を防衛ラインに設定してた。
でもモンゴル軍が思ったより弱くて、水城に到達することすらできないから、海岸に防塁築いて
完封勝ち狙うことにしたんじゃん。
だって、水城は高さ10メートル以上あるのに、防塁は高さ2~3メートルだぜ。
あきらかにモンゴル軍の戦闘力を下方修正してるだろ。
鎌倉JAPANワロタ
>1289
八幡ノ蒙古記には背面騎射のように書かれてるわな。
>1281では、日本総大将が接敵し、射落としたとこを論拠にしてただろ。
だから、日本総大将が接敵し、射落としたわけじゃなく、部下に命じて射させたということを
指摘したんだよ。
それから、史料によっては少弐景資が劉復享を討ち取った場所を、百道原としてるものもある。
これだと、思いっきり攻め込んでる最中ということになる。
八幡ノ蒙古記には背面騎射のように書かれてるわな。
>1281では、日本総大将が接敵し、射落としたとこを論拠にしてただろ。
だから、日本総大将が接敵し、射落としたわけじゃなく、部下に命じて射させたということを
指摘したんだよ。
それから、史料によっては少弐景資が劉復享を討ち取った場所を、百道原としてるものもある。
これだと、思いっきり攻め込んでる最中ということになる。
アルファルファはもうそういう人たちのアーキテクチャになってるな
もう用はないや
もう用はないや
おっと
誤爆
誤爆
ベトナムだけじゃなく、たまには元軍を敵をを手玉に取ったマジャパヒト王国創始者クルタラージャサ・ジャヤワルダナのことも語ってあげてください。
米1284
正規軍と言えば正規軍だが、元寇で日本の武士が直接干戈を交えたのは結局は高麗人。
弘安の役でやっと南宋軍10万が登場するが、夜襲に脅えながら海上待機してるうちに壊滅したわけだし。
正直、西進して中央アジアで遊牧民騎兵を吸収しながらヨーロッパに雪崩れ込んだ連中とは比べられん。戦術も兵の質も。
馬は運べると言ってる奴もいるが、そもそも高麗や南宋の編成は歩兵中心だから大して意味は無いし、一部遊牧民騎兵が編入されていたとしても、海岸線での攻防ではあまり役に立たない。
本来イメージされるような「モンゴル」との戦いは起こり得なかったという事。
正規軍と言えば正規軍だが、元寇で日本の武士が直接干戈を交えたのは結局は高麗人。
弘安の役でやっと南宋軍10万が登場するが、夜襲に脅えながら海上待機してるうちに壊滅したわけだし。
正直、西進して中央アジアで遊牧民騎兵を吸収しながらヨーロッパに雪崩れ込んだ連中とは比べられん。戦術も兵の質も。
馬は運べると言ってる奴もいるが、そもそも高麗や南宋の編成は歩兵中心だから大して意味は無いし、一部遊牧民騎兵が編入されていたとしても、海岸線での攻防ではあまり役に立たない。
本来イメージされるような「モンゴル」との戦いは起こり得なかったという事。
>1296
だから、その認識は間違いだって。
文永の役の編成は蒙漢軍2万5000人と高麗軍8000人。
高麗軍は全体の4分の1に過ぎない。
元寇資料館に保存されている元軍の遺品には、ヨーロッパ軍からの戦利品と言われてる兜がある。
昔ヨーロッパへ攻め込んだモンゴル軍の子孫が、元寇で日本にやって来て武士に敗れたということ。
だから、その認識は間違いだって。
文永の役の編成は蒙漢軍2万5000人と高麗軍8000人。
高麗軍は全体の4分の1に過ぎない。
元寇資料館に保存されている元軍の遺品には、ヨーロッパ軍からの戦利品と言われてる兜がある。
昔ヨーロッパへ攻め込んだモンゴル軍の子孫が、元寇で日本にやって来て武士に敗れたということ。
米1288
>互いに相手がどういう意味で言ってんのかもわからんまま、
>好き放題に言い合ってたら妥当なものが見えてくる?
>なにが見えてくるっつーの。アホかw
だってあなた相手の言ってること理解する気が無いから見える訳無いじゃないw
でも普通のひとは分かろうとしながら話すから成立するんだよ
気に入らないことでも筋が通っていたら受け入れなきゃいけないしね
>議論において仮のものであっても定義を共有することの重要性を理解してるかしていないかは、全っ然違う。
討論会なら定義が必要だろうけど誰も討論しようなんて言ってないよ
なんども検証の為の議論だって言っていたけど伝わらなかったのかな
検証って理解できる?
>互いに相手がどういう意味で言ってんのかもわからんまま、
>好き放題に言い合ってたら妥当なものが見えてくる?
>なにが見えてくるっつーの。アホかw
だってあなた相手の言ってること理解する気が無いから見える訳無いじゃないw
でも普通のひとは分かろうとしながら話すから成立するんだよ
気に入らないことでも筋が通っていたら受け入れなきゃいけないしね
>議論において仮のものであっても定義を共有することの重要性を理解してるかしていないかは、全っ然違う。
討論会なら定義が必要だろうけど誰も討論しようなんて言ってないよ
なんども検証の為の議論だって言っていたけど伝わらなかったのかな
検証って理解できる?
元軍2万5000て中心は北宋軍だろ。
米1298
今日も絶好調にバカなようでなにより。
君が正真のバカであることは理解したから、そういう扱い方するけど気を悪くしないでね。
で、なんだ。討論と議論と検証ってか。
俺の考えでは全て言葉の定義が重要だが、君はそうではないらしいね。
この時点で話は平行線だ。
さてどうする?
今日も絶好調にバカなようでなにより。
君が正真のバカであることは理解したから、そういう扱い方するけど気を悪くしないでね。
で、なんだ。討論と議論と検証ってか。
俺の考えでは全て言葉の定義が重要だが、君はそうではないらしいね。
この時点で話は平行線だ。
さてどうする?
日教組の陰謀、というだけで信じ込んでくれる人がいる、というのだけはわかった。
>>1301
それだけ学校で習ったのと大人になって知った最新の学説との間に、隔たりがあるのにショックを受けた人が多いって事だと思うよ。
それだけ学校で習ったのと大人になって知った最新の学説との間に、隔たりがあるのにショックを受けた人が多いって事だと思うよ。
※1300
話の内容はともかく、意識的にまぜっかえすためのコメントしといて、
上から目線で相手を嘲弄するってのは見てて気分悪いよ。
あなたにコメントしてる時点で釣られてるのかも知れんが。
話の内容はともかく、意識的にまぜっかえすためのコメントしといて、
上から目線で相手を嘲弄するってのは見てて気分悪いよ。
あなたにコメントしてる時点で釣られてるのかも知れんが。
米1303
まぜっかえすためのコメントしたつもりはあまりないが、気分悪いか。そらすまん。
まぜっかえすためのコメントしたつもりはあまりないが、気分悪いか。そらすまん。
素直に都合よく解釈するなら日本は苦戦したけど快勝しましただわな
これだけみて結論するのも愚かしいけれど、、
これだけみて結論するのも愚かしいけれど、、
>>1290
象部隊を動員してモンゴル軍3000騎と戦ったってのは、初めて見た。
第三次の話だよな。興味あるんで、史料を挙げてくれると有り難い。
方針としては首都をも放棄しての持久・ゲリラ戦であった事には異議ない?
>一方の日本は、当初上陸させて殲滅させることを狙い、水城を防衛ラインに設定してた。
これはあまりにも無理がある。
逃げ惑う敗兵が水際へと追い詰められたとしたら、小舟での秩序だった退却など到底不可能。
上陸地点にほど近いところで戦闘に入り、追いまくりの勝ちまくりって状態だったのなら、
なにも後方である水城どうこう言わず、そのまま海岸で殲滅すれば良い話だ。
>だって、水城は高さ10メートル以上あるのに、防塁は高さ2~3メートルだぜ。
防塁は御家人含む九州の領主たちが「領地あたり」で幕府に割り当てられて作ったものだ。
もし10メートルの高さを作ろうとしたら、文永の役でろくな恩賞を与えられなかったところへ、
幕府はさらに御家人に対して相当な負担を強いるという事になる。
何故御家人や寺社領に賦役を課してまで、高さ2mにせよ急いで防塁を築いたのかと考えるべきで、
「水城までも来られなかったから海岸に防塁築いてやろ」とか、有り得ない。
象部隊を動員してモンゴル軍3000騎と戦ったってのは、初めて見た。
第三次の話だよな。興味あるんで、史料を挙げてくれると有り難い。
方針としては首都をも放棄しての持久・ゲリラ戦であった事には異議ない?
>一方の日本は、当初上陸させて殲滅させることを狙い、水城を防衛ラインに設定してた。
これはあまりにも無理がある。
逃げ惑う敗兵が水際へと追い詰められたとしたら、小舟での秩序だった退却など到底不可能。
上陸地点にほど近いところで戦闘に入り、追いまくりの勝ちまくりって状態だったのなら、
なにも後方である水城どうこう言わず、そのまま海岸で殲滅すれば良い話だ。
>だって、水城は高さ10メートル以上あるのに、防塁は高さ2~3メートルだぜ。
防塁は御家人含む九州の領主たちが「領地あたり」で幕府に割り当てられて作ったものだ。
もし10メートルの高さを作ろうとしたら、文永の役でろくな恩賞を与えられなかったところへ、
幕府はさらに御家人に対して相当な負担を強いるという事になる。
何故御家人や寺社領に賦役を課してまで、高さ2mにせよ急いで防塁を築いたのかと考えるべきで、
「水城までも来られなかったから海岸に防塁築いてやろ」とか、有り得ない。
>>1292
蒙古襲来絵詞で敵に向けて突撃中の武士たちは、弓を構えているが背面騎射などしていない。
少なくとも敵に向けて突撃しているとは考えにくい。ではどういう状況だろうか。
も一度問うが>>1287で君が引用した、八幡ノ蒙古記 及び 八幡愚童訓 において、
引用文冒頭の「そのとき」とはどういう状況であると描写されている?
>部下に命じて射させたということを指摘したんだよ。
総大将が自ら指名し「逸物の上馬にのせ」たんだし、馬廻という立場からも部下は総大将と同じ場所にいたって事だ。
ってことは、総大将自身が射ようが実際に射たものが間近にいた小者であろうが、
日本総大将と敵との距離、位置関係にはさほど影響がないと思うが、どうだろう?
>それから、史料によっては少弐景資が劉復享を討ち取った場所を、百道原としてるものもある。
俺がちょっとググったくらいでは判らなかったので、その史料を引用なりしてもらえると有り難い。
蒙古襲来絵詞で敵に向けて突撃中の武士たちは、弓を構えているが背面騎射などしていない。
少なくとも敵に向けて突撃しているとは考えにくい。ではどういう状況だろうか。
も一度問うが>>1287で君が引用した、八幡ノ蒙古記 及び 八幡愚童訓 において、
引用文冒頭の「そのとき」とはどういう状況であると描写されている?
>部下に命じて射させたということを指摘したんだよ。
総大将が自ら指名し「逸物の上馬にのせ」たんだし、馬廻という立場からも部下は総大将と同じ場所にいたって事だ。
ってことは、総大将自身が射ようが実際に射たものが間近にいた小者であろうが、
日本総大将と敵との距離、位置関係にはさほど影響がないと思うが、どうだろう?
>それから、史料によっては少弐景資が劉復享を討ち取った場所を、百道原としてるものもある。
俺がちょっとググったくらいでは判らなかったので、その史料を引用なりしてもらえると有り難い。
>>1296
>>1297
蒙古襲来絵詞を見る限り、元軍は圧倒的に歩兵中心の編成で描かれてる。
実際に戦った日本人から見て、騎兵が目立つような編成でなかったのは間違いないんじゃないかな。
日本側も同様だけど、こっちは描かれてない従者が騎馬武者の数倍はいたはず。
兜被らず軽装で長刀持ったり旗指物持ったりしてる姿が、ちょっと描かれてるが。
>>1297
蒙古襲来絵詞を見る限り、元軍は圧倒的に歩兵中心の編成で描かれてる。
実際に戦った日本人から見て、騎兵が目立つような編成でなかったのは間違いないんじゃないかな。
日本側も同様だけど、こっちは描かれてない従者が騎馬武者の数倍はいたはず。
兜被らず軽装で長刀持ったり旗指物持ったりしてる姿が、ちょっと描かれてるが。
モンゴル騎兵と騎馬武者。
弓騎兵同士の射掛け合い。
短弓と長弓。
お互いの馬術や馬の質。
接近戦の能力。
南宋兵と高麗兵の重装・軽装歩兵。
徒歩武者。
戦場であちこちで聞こえる叫びがモンゴル語や中国語や朝鮮語に日本語。
ロマン有り過ぎだなw
弓騎兵同士の射掛け合い。
短弓と長弓。
お互いの馬術や馬の質。
接近戦の能力。
南宋兵と高麗兵の重装・軽装歩兵。
徒歩武者。
戦場であちこちで聞こえる叫びがモンゴル語や中国語や朝鮮語に日本語。
ロマン有り過ぎだなw
>>1306
第一次の話だよ。
元史卷二百九 安南傅
「乃遣徹徹都等各將千人,分道進兵,抵安南京北トウ江上,複遣其子阿術往為之援,
並覘其虚實。交人亦盛陳兵衛。阿術遣軍還報,兀良合台倍道兼進,令徹徹都為先鋒,
阿術居後為殿。」
先鋒の徹徹都、本隊を率いる兀良合台、殿軍の阿術の各将がそれぞれ1000人の
合計3000騎のモンゴル軍がベトナムへ侵攻。
対するベトナム軍については、
元史卷百二十一 兀良合台傅
「冬十月,进兵压境。其国主陳日煚,隔江列象骑、步卒甚盛」
ベトナム王の陳日煚が河(紅河)を隔て、象部隊まで動員して迎え撃ってる。
あと、安南志略という史料にもベトナム軍が象部隊を動員して迎え撃った記事がある。
第一次の話だよ。
元史卷二百九 安南傅
「乃遣徹徹都等各將千人,分道進兵,抵安南京北トウ江上,複遣其子阿術往為之援,
並覘其虚實。交人亦盛陳兵衛。阿術遣軍還報,兀良合台倍道兼進,令徹徹都為先鋒,
阿術居後為殿。」
先鋒の徹徹都、本隊を率いる兀良合台、殿軍の阿術の各将がそれぞれ1000人の
合計3000騎のモンゴル軍がベトナムへ侵攻。
対するベトナム軍については、
元史卷百二十一 兀良合台傅
「冬十月,进兵压境。其国主陳日煚,隔江列象骑、步卒甚盛」
ベトナム王の陳日煚が河(紅河)を隔て、象部隊まで動員して迎え撃ってる。
あと、安南志略という史料にもベトナム軍が象部隊を動員して迎え撃った記事がある。
戦前は右翼が「どんなに苦戦してても神風で勝つ」と洗脳してて、
戦後は左翼が「苦戦してたけど台風でたまたま勝てた」と洗脳してるわけだ。
実態は普通に日本側の完勝で撃退。
歴史にセーブポイントがあって何度もロードしても、殆ど日本側が勝つ。
元寇が日本に勝つのって、秀吉の朝鮮出兵で北京陥落させるのより難易度高い。
戦後は左翼が「苦戦してたけど台風でたまたま勝てた」と洗脳してるわけだ。
実態は普通に日本側の完勝で撃退。
歴史にセーブポイントがあって何度もロードしても、殆ど日本側が勝つ。
元寇が日本に勝つのって、秀吉の朝鮮出兵で北京陥落させるのより難易度高い。
>>1306
それから、日本側が当初は水城を防衛ラインに設定してたというのは、文永の役以前の
正嘉三年に鎌倉幕府が大宰府の城郭修築を命じてるからだよ。
新御式目
「一、城郭事、
次岩門并宰府構城郭之條、為九州官軍可得其構云々、早為領主所之沙汰可致其構云々、」
それから、日本側が当初は水城を防衛ラインに設定してたというのは、文永の役以前の
正嘉三年に鎌倉幕府が大宰府の城郭修築を命じてるからだよ。
新御式目
「一、城郭事、
次岩門并宰府構城郭之條、為九州官軍可得其構云々、早為領主所之沙汰可致其構云々、」
戦いでの報償は自己申告による部分が多いから、武士としては誇大に言った方が得だった。
「元なんてカスでしたwww」より、
「パネェくらい強かったが命がけで勝ちましたキリッ」のほうが、
幕府に好印象を与えるからな。
「元なんてカスでしたwww」より、
「パネェくらい強かったが命がけで勝ちましたキリッ」のほうが、
幕府に好印象を与えるからな。
>>1313
鎌倉時代の恩賞のシステムはそんな単純なものじゃないから。
恩賞を貰うには、敵を討ち取ったり、負傷したりといった具体的な結果が必要だし、
更にそれを証明する証人も求められる。
鎌倉時代の恩賞のシステムはそんな単純なものじゃないから。
恩賞を貰うには、敵を討ち取ったり、負傷したりといった具体的な結果が必要だし、
更にそれを証明する証人も求められる。
>恩賞を貰うには、敵を討ち取ったり、
生首ですねオソロシス。
生首ですねオソロシス。
米1314
その「強かったです」って証明のためにこの絵巻作ったんだぞ
実際真ん中で負傷してる人は後々出世してる
その「強かったです」って証明のためにこの絵巻作ったんだぞ
実際真ん中で負傷してる人は後々出世してる
よく知らんが、地の利では圧倒的有利だから圧勝でも全然驚かないなあ。
俺、14万とはいえ日本を追い詰めた元スゲーって思ってたもの。
まあ歴史研究で「確実な事実」なんて早々見つかるもんじゃないだろうし、結局「今現在学会で一致した見解」かどうか?って事でしょ。その時々で変わるもんでしょ。
まあそれを義務教育で使われる教科書でも使うべきなわけだが、
まあ他国が関わる部分だと、日本以外の学者も関わってきたり、政治的な問題もあるからそうもいかない点もあるだろうねえ。
で、「圧勝」とか「劣勢じゃなかった」ってのは今現在一致した見解なのかね?主流なのか?って言葉でもいいけど。
俺、14万とはいえ日本を追い詰めた元スゲーって思ってたもの。
まあ歴史研究で「確実な事実」なんて早々見つかるもんじゃないだろうし、結局「今現在学会で一致した見解」かどうか?って事でしょ。その時々で変わるもんでしょ。
まあそれを義務教育で使われる教科書でも使うべきなわけだが、
まあ他国が関わる部分だと、日本以外の学者も関わってきたり、政治的な問題もあるからそうもいかない点もあるだろうねえ。
で、「圧勝」とか「劣勢じゃなかった」ってのは今現在一致した見解なのかね?主流なのか?って言葉でもいいけど。
一番役に立ってないのが南宋軍10万である事は疑いない。
>>1316
蒙古襲来絵詞が手柄の証明のために作られたってのは、悪質なデマだから忘れて。
作者の竹崎季長が恩賞もらったのは1276年で、絵巻作成は1293年。
こういう絵巻って莫大な製作費が掛かるから、恩賞獲得前の貧乏御家人状態の竹崎季長では
作成なんてとても無理だし、コストパフォーマンスも合わないの。
竹崎季長は絵巻作ったから出世したんじゃなく、出世して裕福になったから絵巻作れたんだよ。
蒙古襲来絵詞が手柄の証明のために作られたってのは、悪質なデマだから忘れて。
作者の竹崎季長が恩賞もらったのは1276年で、絵巻作成は1293年。
こういう絵巻って莫大な製作費が掛かるから、恩賞獲得前の貧乏御家人状態の竹崎季長では
作成なんてとても無理だし、コストパフォーマンスも合わないの。
竹崎季長は絵巻作ったから出世したんじゃなく、出世して裕福になったから絵巻作れたんだよ。
>>1307
少弐景資が劉復享を討ち取った場所を百道原としてる史料ってのは、
少弐系譜、武藤系圖、筑紫系圖といった史料ね。
ただ、これらの史料の信憑性はかなり低い。
まあ、信憑性に問題あるという点では八幡ノ蒙古記も八幡愚童訓も同様だけど。
だから、八幡ノ蒙古記についてどうこう言ってもあまり意味はないよ。
元寇について史料の価値という点では、実際に戦闘に参加した武士によって作成された
一次史料の蒙古襲来絵詞が断トツなんだよ。
少弐景資が劉復享を討ち取った場所を百道原としてる史料ってのは、
少弐系譜、武藤系圖、筑紫系圖といった史料ね。
ただ、これらの史料の信憑性はかなり低い。
まあ、信憑性に問題あるという点では八幡ノ蒙古記も八幡愚童訓も同様だけど。
だから、八幡ノ蒙古記についてどうこう言ってもあまり意味はないよ。
元寇について史料の価値という点では、実際に戦闘に参加した武士によって作成された
一次史料の蒙古襲来絵詞が断トツなんだよ。
劉某は討ち取られていないし、そう書いてあるとしたらそれは信憑性は全くないな。
ただ、だからと言って八幡系がこれらと同列とはならないことに留意すべき。
蒙古襲来絵詞が貴重なのは間違いないが、これは当時の武士の戦い方であるとか、蒙古軍の軍装であるとか、防塁の描写であるとかの、竹崎の利害と無関係な部分についての価値が第一であって、
当事者が自分自身の功名を描いた物であるのだからこそ、戦いの形勢などに関わる内容については他の資料と突き合わせるなどして慎重に吟味する必要がある。
ただ、だからと言って八幡系がこれらと同列とはならないことに留意すべき。
蒙古襲来絵詞が貴重なのは間違いないが、これは当時の武士の戦い方であるとか、蒙古軍の軍装であるとか、防塁の描写であるとかの、竹崎の利害と無関係な部分についての価値が第一であって、
当事者が自分自身の功名を描いた物であるのだからこそ、戦いの形勢などに関わる内容については他の資料と突き合わせるなどして慎重に吟味する必要がある。
>>1321
八幡系は箱崎宮から神様で出てきて元軍を撃退したとか書いてるわけで、
それこそ信憑性なんて全くないだろ。
この手の宗教史料の記述を真に受けたりしないってのは、史料を扱う際の世界基準だし。
そもそも、八幡系の史料は箱崎宮関係者が元軍撃退したのは八幡神の霊験のお陰だと
書いてるわけで、当事者の利害云々を言うのなら蒙古襲来絵詞より遥かに問題が多い。
それから、蒙古襲来絵詞の内容は、現実に元軍が僅か1日で敗退してる以上、
他の資料の内容と矛盾しないよ。
八幡系は箱崎宮から神様で出てきて元軍を撃退したとか書いてるわけで、
それこそ信憑性なんて全くないだろ。
この手の宗教史料の記述を真に受けたりしないってのは、史料を扱う際の世界基準だし。
そもそも、八幡系の史料は箱崎宮関係者が元軍撃退したのは八幡神の霊験のお陰だと
書いてるわけで、当事者の利害云々を言うのなら蒙古襲来絵詞より遥かに問題が多い。
それから、蒙古襲来絵詞の内容は、現実に元軍が僅か1日で敗退してる以上、
他の資料の内容と矛盾しないよ。
>>1310
第一次なのか。興味深かったが、ちょっと待って欲しい。
君は>>1279で「再びベトナムが反乱起こした時も、モンゴル軍は陸戦で連戦連勝だった」と書いた。
それに対する俺のレスに、君は「実際に連戦連勝だったからしょうがないだろう」として、
>>1290で「ベトナムも当初は紅河を防衛ラインにしようとして、象部隊まで動員してた」
と述べたんじゃなかったのか?
第一次の話では「再びベトナムが反乱を起こした時も陸戦で連戦連勝だった」例にならないだろう。
第一次なのか。興味深かったが、ちょっと待って欲しい。
君は>>1279で「再びベトナムが反乱起こした時も、モンゴル軍は陸戦で連戦連勝だった」と書いた。
それに対する俺のレスに、君は「実際に連戦連勝だったからしょうがないだろう」として、
>>1290で「ベトナムも当初は紅河を防衛ラインにしようとして、象部隊まで動員してた」
と述べたんじゃなかったのか?
第一次の話では「再びベトナムが反乱を起こした時も陸戦で連戦連勝だった」例にならないだろう。
>>1312
防衛ラインをそこに設定していた、とするのは良いんだよ。
問題は「敵は防衛ライン到達もできませんでした。それ以前に陸戦で余裕で撃退できました」とするなら、
「上陸させて陸戦で撃退する」という当初の作戦がうまく機能した、とすべきことだ。
圧勝で陸戦で勝てる自信を深めたなら、せいぜい異国警固番役を用意しただけで足りるはずだ。
防塁建築は、これに加えた経済負担を御家人たちに強いるものだろう?
にも関わらず弘安の役の後も、こちらの方針は変更されず、
幕府滅亡の直前に至るまで、防塁の工事と補修は延々と続けられている。
うまく機能したものを、なぜ変える必要があるのか。
なぜ「上陸させない」という方針に切り換えたのか。
なぜ窮乏する御家人たちに負担を強い続けてまで、防塁工事は続けられたのか。
防衛ラインをそこに設定していた、とするのは良いんだよ。
問題は「敵は防衛ライン到達もできませんでした。それ以前に陸戦で余裕で撃退できました」とするなら、
「上陸させて陸戦で撃退する」という当初の作戦がうまく機能した、とすべきことだ。
圧勝で陸戦で勝てる自信を深めたなら、せいぜい異国警固番役を用意しただけで足りるはずだ。
防塁建築は、これに加えた経済負担を御家人たちに強いるものだろう?
にも関わらず弘安の役の後も、こちらの方針は変更されず、
幕府滅亡の直前に至るまで、防塁の工事と補修は延々と続けられている。
うまく機能したものを、なぜ変える必要があるのか。
なぜ「上陸させない」という方針に切り換えたのか。
なぜ窮乏する御家人たちに負担を強い続けてまで、防塁工事は続けられたのか。
>>1322
オカルトな部分だけをスルーして読んではどうだろう。
例えば>>1287の八幡ノ蒙古記であるなら、
「その時、景資か旗の、せみくちを、鳩かけりしかは、八幡大菩薩の御影向と、たのもしく思ひ」
この部分だけが全くの作り話であるとして読めば問題ない。
神さまが出てきた云々は、当時の日本人から見て「なんで帰ったの?」という状態を、
神さまのお陰であるという形で説明しようとしたものではなかろうか。
よく「日本が苦戦してたんなら、なんですぐ帰るんだよw」とか言われるが、
日本側の主観で「苦戦」であったからといって、元軍が戦況を「楽勝」と認識していたとは限らない。
一日の激闘の末、小さな部分で齟齬はあるにせよ概ね八幡系に描かれている展開を辿ったとする。
日本は日本で「やべー、押し込まれた」と思い、
元軍は元軍で「なんか手強い。これだけの兵じゃヤバイっぽくね? あんま深入りしたら孤立するかも」と考え(「高麗史」金方慶伝)早期撤退を決めた。
という説明ではどうかな。なにか資料的に矛盾するかな?
オカルトな部分だけをスルーして読んではどうだろう。
例えば>>1287の八幡ノ蒙古記であるなら、
「その時、景資か旗の、せみくちを、鳩かけりしかは、八幡大菩薩の御影向と、たのもしく思ひ」
この部分だけが全くの作り話であるとして読めば問題ない。
神さまが出てきた云々は、当時の日本人から見て「なんで帰ったの?」という状態を、
神さまのお陰であるという形で説明しようとしたものではなかろうか。
よく「日本が苦戦してたんなら、なんですぐ帰るんだよw」とか言われるが、
日本側の主観で「苦戦」であったからといって、元軍が戦況を「楽勝」と認識していたとは限らない。
一日の激闘の末、小さな部分で齟齬はあるにせよ概ね八幡系に描かれている展開を辿ったとする。
日本は日本で「やべー、押し込まれた」と思い、
元軍は元軍で「なんか手強い。これだけの兵じゃヤバイっぽくね? あんま深入りしたら孤立するかも」と考え(「高麗史」金方慶伝)早期撤退を決めた。
という説明ではどうかな。なにか資料的に矛盾するかな?
で、まとめてみる。
あくまでも当時の日本側の主観としての話だが、
「どうやら元相手の陸上戦は、あまり良い方策ではない」というのが、
文永の役後、報告を受けた幕府首脳が出した結論だったのではないかと。
これなら幕府が文永の役の後、「上陸させない」ことを方針として、
御家人に経済負担を強いながらも防塁建築に勤しんだことや、
それが図に当たった弘安の役後、幕府滅亡の直前まで政策として継続されたことなど、
矛盾なく説明できるとおもうんだけれど。
あくまでも当時の日本側の主観としての話だが、
「どうやら元相手の陸上戦は、あまり良い方策ではない」というのが、
文永の役後、報告を受けた幕府首脳が出した結論だったのではないかと。
これなら幕府が文永の役の後、「上陸させない」ことを方針として、
御家人に経済負担を強いながらも防塁建築に勤しんだことや、
それが図に当たった弘安の役後、幕府滅亡の直前まで政策として継続されたことなど、
矛盾なく説明できるとおもうんだけれど。
>>1323
ゴメン、書き方が悪かった。
>>1290は、「しかし強大な敵と地続きの国では、ハナから選べない戦術だ」についての
反論のつもりだった。
つまり、ベトナムにだって強力な軍さえあればろくに国土を踏ませずに勝つ選択肢があったし、
実際に当初はそれを狙ってたってことを言いたかった。
>>1324
内陸に敵を引き込んで戦うって選択肢は、可能なら避けたい選択でしょ。
水城を防衛ラインに設定するってことは、その手前の民間への被害には目を瞑るってことだから。
文永の役以前の鎌倉幕府は、モンゴル軍が滅茶苦茶強いと想定してたから水城を防衛ラインに
してたけど、それ程強くないのならもっと前で防衛したいと思うじゃん。
そっちの方が民間への被害も少ないわけで。
ゴメン、書き方が悪かった。
>>1290は、「しかし強大な敵と地続きの国では、ハナから選べない戦術だ」についての
反論のつもりだった。
つまり、ベトナムにだって強力な軍さえあればろくに国土を踏ませずに勝つ選択肢があったし、
実際に当初はそれを狙ってたってことを言いたかった。
>>1324
内陸に敵を引き込んで戦うって選択肢は、可能なら避けたい選択でしょ。
水城を防衛ラインに設定するってことは、その手前の民間への被害には目を瞑るってことだから。
文永の役以前の鎌倉幕府は、モンゴル軍が滅茶苦茶強いと想定してたから水城を防衛ラインに
してたけど、それ程強くないのならもっと前で防衛したいと思うじゃん。
そっちの方が民間への被害も少ないわけで。
>>1325
オカルト文献ってオカルトな部分だけをスルーすれば良いってものじゃないでしょ。
オカルトな部分と辻褄合わせるため、当然それ以外の部分も事実を歪めてるわけで。
それに、当時の日本人は「なんで帰ったの?」なんて思ってないんだよ。
文永の役について鎌倉年代記裏書には合戦で「異賊敗北」と書かれてるし、帝王編年記にも
合戦で「賊船一隻を捕え、その他は皆追い返した」と書いてある。
で、八幡系の史料って、「元軍は武士に撃退されたわけじゃなく神様に撃退されたんだ」と主張
するために書かれたんだから、あたかも武士が苦戦してたかのように書く必要があるんだよ。
例え事実と違っていてもね。
オカルト文献ってオカルトな部分だけをスルーすれば良いってものじゃないでしょ。
オカルトな部分と辻褄合わせるため、当然それ以外の部分も事実を歪めてるわけで。
それに、当時の日本人は「なんで帰ったの?」なんて思ってないんだよ。
文永の役について鎌倉年代記裏書には合戦で「異賊敗北」と書かれてるし、帝王編年記にも
合戦で「賊船一隻を捕え、その他は皆追い返した」と書いてある。
で、八幡系の史料って、「元軍は武士に撃退されたわけじゃなく神様に撃退されたんだ」と主張
するために書かれたんだから、あたかも武士が苦戦してたかのように書く必要があるんだよ。
例え事実と違っていてもね。
さ、再び盛り上がって参りましたw
>>1327
モンゴルが強大な敵であることを、身をもって実感したのが第一次と考えてはどうか。
きみの引用した史料によれば、恐らくは虎の子の象部隊まで用意し、
国王自身が指揮をとって戦い、そして敗れたということになる。
で、敵が「地続きである敵はまことで強大である」ことを実感してからは、
戦うのであれば別の方針を選ばざるを得なかった。
一方、日本が「敵は強大である」ことを実感した後に選んだのは、
ベトナムとは別の意味で陸上決戦を避ける方針だったとして、矛盾はあるだろうか。
モンゴルが強大な敵であることを、身をもって実感したのが第一次と考えてはどうか。
きみの引用した史料によれば、恐らくは虎の子の象部隊まで用意し、
国王自身が指揮をとって戦い、そして敗れたということになる。
で、敵が「地続きである敵はまことで強大である」ことを実感してからは、
戦うのであれば別の方針を選ばざるを得なかった。
一方、日本が「敵は強大である」ことを実感した後に選んだのは、
ベトナムとは別の意味で陸上決戦を避ける方針だったとして、矛盾はあるだろうか。
>>1326
>>1330
鎌倉幕府は文永の役の後に、「異国征伐」といって日本側から朝鮮半島へ
侵攻する計画を立ててるんだよ。
もし、「どうやら元相手の陸上戦は、あまり良い方策ではない」というのが、
幕府首脳が出した結論ならこんな計画立てないでしょ。
弘安の役でも志賀島に上陸した元軍に対し、海の中道通って連日攻撃した揚句、
結局撃退してる。
武士たちは元相手の陸上戦にかなりの自信を持ってたってこと。
>>1330
鎌倉幕府は文永の役の後に、「異国征伐」といって日本側から朝鮮半島へ
侵攻する計画を立ててるんだよ。
もし、「どうやら元相手の陸上戦は、あまり良い方策ではない」というのが、
幕府首脳が出した結論ならこんな計画立てないでしょ。
弘安の役でも志賀島に上陸した元軍に対し、海の中道通って連日攻撃した揚句、
結局撃退してる。
武士たちは元相手の陸上戦にかなりの自信を持ってたってこと。
>>1327
>内陸に敵を引き込んで戦うって選択肢は、可能なら避けたい選択でしょ。
>>1290より。
>一方の日本は、当初上陸させて殲滅させることを狙い、水城を防衛ラインに設定してた
そして今回。
>文永の役以前の鎌倉幕府は、モンゴル軍が滅茶苦茶強いと想定してたから水城を防衛ラインにしてた
日本はベトナム軍と違い陸続きというわけではないから、
敵を引き込んで戦うって選択肢を避けようと思うなら「上陸させない」のが選択肢の第一だ。
しかしきみの意見では、敵を引き込まずに戦う為の有効な選択肢があるにも関わらず、
文永の役ではその案は最初から放棄されたということになる。
それにも関わらず、方針として内陸に敵を引き込み、陸上戦力で決戦を挑んで殲滅させる事を狙ったという事か。
この説明はちょっと矛盾があるようにおもうんだが。
>内陸に敵を引き込んで戦うって選択肢は、可能なら避けたい選択でしょ。
>>1290より。
>一方の日本は、当初上陸させて殲滅させることを狙い、水城を防衛ラインに設定してた
そして今回。
>文永の役以前の鎌倉幕府は、モンゴル軍が滅茶苦茶強いと想定してたから水城を防衛ラインにしてた
日本はベトナム軍と違い陸続きというわけではないから、
敵を引き込んで戦うって選択肢を避けようと思うなら「上陸させない」のが選択肢の第一だ。
しかしきみの意見では、敵を引き込まずに戦う為の有効な選択肢があるにも関わらず、
文永の役ではその案は最初から放棄されたということになる。
それにも関わらず、方針として内陸に敵を引き込み、陸上戦力で決戦を挑んで殲滅させる事を狙ったという事か。
この説明はちょっと矛盾があるようにおもうんだが。
>>1332
敵が強力だと想定した場合、水際防衛は防衛ラインが広く浅くなるから選択しづらいんだよ。
一度突破を許すと粘りが効かないし。
太平洋戦争でも日本軍は、次第に水際防衛から内陸へ引き込んで持久戦を目指すようになる。
鎌倉幕府は当初モンゴル軍が強いと想定してたから内地持久を選択した。
でも実際に戦ってみたら楽勝だったから水際防衛で十分だと思うようになった。
ベトナムのちょうど逆だね。
敵が強力だと想定した場合、水際防衛は防衛ラインが広く浅くなるから選択しづらいんだよ。
一度突破を許すと粘りが効かないし。
太平洋戦争でも日本軍は、次第に水際防衛から内陸へ引き込んで持久戦を目指すようになる。
鎌倉幕府は当初モンゴル軍が強いと想定してたから内地持久を選択した。
でも実際に戦ってみたら楽勝だったから水際防衛で十分だと思うようになった。
ベトナムのちょうど逆だね。
>>1328
まずオカルトな部分をスルーしてみたら良いと思うよ。
オカルトな部分をスルーした八幡ノ蒙古記は、
劉が射られて負傷した話とは整合するとされてて、劉を射たのは誰それであると推察されるわけだ。
>文永の役について鎌倉年代記裏書には合戦で「異賊敗北」と書かれてるし、帝王編年記にも
>合戦で「賊船一隻を捕え、その他は皆追い返した」と書いてある。
これらは結果を述べているのであって、攻めてきた敵が皆帰ったのだから、
「異賊敗北」でも「賊船一隻を捕え、その他は皆追い返した」でも、なにも矛盾しない。
>「元軍は武士に撃退されたわけじゃなく神様に撃退されたんだ」と主張するため
これ自体は否定しないが、同時に現代人の感覚で考えすぎではないかとおもう。
つまり、当時の人々は良い事があれば、ごく当たり前に「神仏の加護」が念頭に浮かび、
竹崎さんも蒙古襲来絵詞に「領地貰えたのは神さまの意」と書き記し、
朝廷や幕府もこぞって寺社に異国調伏のための祈祷や祈願を行う。
そんな時代、同時代の事実を極端に歪める必要まであるかな?
まずオカルトな部分をスルーしてみたら良いと思うよ。
オカルトな部分をスルーした八幡ノ蒙古記は、
劉が射られて負傷した話とは整合するとされてて、劉を射たのは誰それであると推察されるわけだ。
>文永の役について鎌倉年代記裏書には合戦で「異賊敗北」と書かれてるし、帝王編年記にも
>合戦で「賊船一隻を捕え、その他は皆追い返した」と書いてある。
これらは結果を述べているのであって、攻めてきた敵が皆帰ったのだから、
「異賊敗北」でも「賊船一隻を捕え、その他は皆追い返した」でも、なにも矛盾しない。
>「元軍は武士に撃退されたわけじゃなく神様に撃退されたんだ」と主張するため
これ自体は否定しないが、同時に現代人の感覚で考えすぎではないかとおもう。
つまり、当時の人々は良い事があれば、ごく当たり前に「神仏の加護」が念頭に浮かび、
竹崎さんも蒙古襲来絵詞に「領地貰えたのは神さまの意」と書き記し、
朝廷や幕府もこぞって寺社に異国調伏のための祈祷や祈願を行う。
そんな時代、同時代の事実を極端に歪める必要まであるかな?
>>1331
それは「敵が強い」ので防塁建築が為されたという見解を否定することにはならないとおもう。
異国征伐も目的とするところは「征服」ではなく「侵略阻止」なのであろうし、
積極的に安全保障をはかる先制攻撃論は、相手を強大だと見積もっていても出てきて良いんではないか。
「どうせ戦わねばならんなら、こっちから動いた方が」という理屈だね。
同時に、防塁建築を含めたこの戦時体制を通じて幕府、というより得宗が、
御家人たちへの指揮権を強め権力を独占していったとされていることから、
国内事情絡みであった可能性もあることは、考慮に入れなければならないと思う。
以上を踏まえた上で、俺は異国征伐は行われず防塁建築は続いた事を重視する見解。
それは「敵が強い」ので防塁建築が為されたという見解を否定することにはならないとおもう。
異国征伐も目的とするところは「征服」ではなく「侵略阻止」なのであろうし、
積極的に安全保障をはかる先制攻撃論は、相手を強大だと見積もっていても出てきて良いんではないか。
「どうせ戦わねばならんなら、こっちから動いた方が」という理屈だね。
同時に、防塁建築を含めたこの戦時体制を通じて幕府、というより得宗が、
御家人たちへの指揮権を強め権力を独占していったとされていることから、
国内事情絡みであった可能性もあることは、考慮に入れなければならないと思う。
以上を踏まえた上で、俺は異国征伐は行われず防塁建築は続いた事を重視する見解。
>>1334
繰り返すけど、八幡ノ蒙古記みたいなオカルト文献の記述を真に受けないってのは、
史料を扱う際の世界基準なんだよ。
それに、八幡ノ蒙古記は実際に事実を極端に歪めてるから。
100余騎を率いて元軍に合戦を挑んだ菊池次郎武房は八幡ノ蒙古記だと
「家の子、郎党が多く討たれ菊池だけが討ち洩らされた」とあたかも壊滅的損害を
被ったかのように書かれている。
でも、蒙古襲来絵詞で竹崎季長は戦闘の後に100余騎を率いて涼しげな様子の
菊池次郎武房と挨拶交わしてるんだよ。
こういうことがあるから、八幡ノ蒙古記の記述はオカルトな部分以外も信用できない。
繰り返すけど、八幡ノ蒙古記みたいなオカルト文献の記述を真に受けないってのは、
史料を扱う際の世界基準なんだよ。
それに、八幡ノ蒙古記は実際に事実を極端に歪めてるから。
100余騎を率いて元軍に合戦を挑んだ菊池次郎武房は八幡ノ蒙古記だと
「家の子、郎党が多く討たれ菊池だけが討ち洩らされた」とあたかも壊滅的損害を
被ったかのように書かれている。
でも、蒙古襲来絵詞で竹崎季長は戦闘の後に100余騎を率いて涼しげな様子の
菊池次郎武房と挨拶交わしてるんだよ。
こういうことがあるから、八幡ノ蒙古記の記述はオカルトな部分以外も信用できない。
ふーむ、よくは判らんけど簡単な話。
文永の役も弘安の役も鎌倉武士の実力で追い返した。
文永の役→前半苦戦。後半有利に展開。
弘安の役→鎌倉武士団圧倒的有利で終始する。
VIP 竹崎選手
じゃおかしいかな?
文永の役も弘安の役も鎌倉武士の実力で追い返した。
文永の役→前半苦戦。後半有利に展開。
弘安の役→鎌倉武士団圧倒的有利で終始する。
VIP 竹崎選手
じゃおかしいかな?
>>1333
日本軍が水際防衛を持久戦へと変えるようになったのは間違いないが、
それは水際防衛が「有効でなかったから変えた」という事に過ぎないだろう。
単に「有効でなかったプランは、変更される」という事で良いんじゃないか。
有効性が確認された方針を「成功だった」ので、よりリスクの高い方針に変えたという説はとても同意できん。
君の説を採用するなら、防衛ラインが広く浅くなり選択しづらく、御家人にも経済的負担を強い、
一度突破を許すと粘りが効かないプランを「民間防衛の被害軽減になる」と、採用したという事になる。
失敗した場合のリスク、幕府滅亡の御家人の窮乏を招いた負担に比べ、
メリットが十分とは言えないと思うがどうかな。
日本軍が水際防衛を持久戦へと変えるようになったのは間違いないが、
それは水際防衛が「有効でなかったから変えた」という事に過ぎないだろう。
単に「有効でなかったプランは、変更される」という事で良いんじゃないか。
有効性が確認された方針を「成功だった」ので、よりリスクの高い方針に変えたという説はとても同意できん。
君の説を採用するなら、防衛ラインが広く浅くなり選択しづらく、御家人にも経済的負担を強い、
一度突破を許すと粘りが効かないプランを「民間防衛の被害軽減になる」と、採用したという事になる。
失敗した場合のリスク、幕府滅亡の御家人の窮乏を招いた負担に比べ、
メリットが十分とは言えないと思うがどうかな。
>>1335
もし、「敵が強い」ので防塁建築が為されたのなら、弘安の役でも敵が防塁に押し寄せるまで
待ってればいいじゃん。
でも、鎌倉武士たちはそんな消極的な戦い方はしていない。
敵が志賀島に上陸すれば海の中道から連日攻撃し、敵が壱岐まで退却すればそれを追撃し、
鷹島までも船で出かけていってる。
あきらかに自信に満ちた戦い方だろ。
文永の役で僅か1日の戦闘で敗退した元軍を弱いと認識してるってこと。
もし、「敵が強い」ので防塁建築が為されたのなら、弘安の役でも敵が防塁に押し寄せるまで
待ってればいいじゃん。
でも、鎌倉武士たちはそんな消極的な戦い方はしていない。
敵が志賀島に上陸すれば海の中道から連日攻撃し、敵が壱岐まで退却すればそれを追撃し、
鷹島までも船で出かけていってる。
あきらかに自信に満ちた戦い方だろ。
文永の役で僅か1日の戦闘で敗退した元軍を弱いと認識してるってこと。
>>1336
わかっているよ。
しかし、オカルトな記述や史実と整合性のとれない部分について無視すれば良いのであって、
例えば新約聖書が宗教書だからと言って史実部分が皆無というわけではない。
「オカルト文献だから」と頭から否定してかかるようなのはどんなもんかな。
で、菊池の話。
『ここに菊池次郎、おもひ切て、百騎はかりを二手に分け、おしよせて、さんさんに、かけちらし、上になり下になり、勝負をけつし、家のこ、らうとう等、多くうたれにけり、いかしたりけん、菊池はかりは、うちもらされて、死人の中より、かけいて、頸とも数多とりつけ、御方の陣に入しこそ、いさましけれ』
思い切って100騎を二手に分けて、駆け散らし上になり下になり、勝負を決し、首を数多く取り味方の陣に入った。実に勇ましかった、と。
蒙古襲来絵詞では「くび二、たちとなぎなたのさきに」とあるが、
こちらでは「数多」ともっと取ったようにも書いてるし、何よりちゃんと勇ましく勝っている。
この程度のディテールの違いで「食い違う!信憑性が!」って言ってたら、
史書なんかとても読めないんじゃないかな、食い違うことだらけだ。
蒙古襲来絵詞のその部分の記述が、これに比して特に信憑性が高いとする理由もないし。
わかっているよ。
しかし、オカルトな記述や史実と整合性のとれない部分について無視すれば良いのであって、
例えば新約聖書が宗教書だからと言って史実部分が皆無というわけではない。
「オカルト文献だから」と頭から否定してかかるようなのはどんなもんかな。
で、菊池の話。
『ここに菊池次郎、おもひ切て、百騎はかりを二手に分け、おしよせて、さんさんに、かけちらし、上になり下になり、勝負をけつし、家のこ、らうとう等、多くうたれにけり、いかしたりけん、菊池はかりは、うちもらされて、死人の中より、かけいて、頸とも数多とりつけ、御方の陣に入しこそ、いさましけれ』
思い切って100騎を二手に分けて、駆け散らし上になり下になり、勝負を決し、首を数多く取り味方の陣に入った。実に勇ましかった、と。
蒙古襲来絵詞では「くび二、たちとなぎなたのさきに」とあるが、
こちらでは「数多」ともっと取ったようにも書いてるし、何よりちゃんと勇ましく勝っている。
この程度のディテールの違いで「食い違う!信憑性が!」って言ってたら、
史書なんかとても読めないんじゃないかな、食い違うことだらけだ。
蒙古襲来絵詞のその部分の記述が、これに比して特に信憑性が高いとする理由もないし。
>>1339
「陸上で会戦しない」ことを目的にしているんだから、押し寄せるまで待つ必要はない。
ただ幕府側は元側の動向をわりと正確につかんでいたようで、
江南軍十万が到着する前に、状況をなるべく良くしておきたかったんじゃないか。
東路軍四万であれば幕府軍としても数的不利は感じないだろうが、
指を咥えて十万の江南軍と合流するのを待つのは、自ら仕掛けるより愚策であるという見解だ。
攻撃も、会戦を挑むというよりは「襲撃」「急襲」のニュアンスが強いだろう?
「陸上で会戦しない」方針であったとして、上記の説明で矛盾があるだろうか。
焦土持久を選んだベトナム軍だって、陸戦を絶対にしなかったってわけじゃないんだよ。
「陸上で会戦しない」ことを目的にしているんだから、押し寄せるまで待つ必要はない。
ただ幕府側は元側の動向をわりと正確につかんでいたようで、
江南軍十万が到着する前に、状況をなるべく良くしておきたかったんじゃないか。
東路軍四万であれば幕府軍としても数的不利は感じないだろうが、
指を咥えて十万の江南軍と合流するのを待つのは、自ら仕掛けるより愚策であるという見解だ。
攻撃も、会戦を挑むというよりは「襲撃」「急襲」のニュアンスが強いだろう?
「陸上で会戦しない」方針であったとして、上記の説明で矛盾があるだろうか。
焦土持久を選んだベトナム軍だって、陸戦を絶対にしなかったってわけじゃないんだよ。
>>1340
現実には僅か1日で元軍を撃退した武士が苦戦してるかのように書かれてる時点で、
八幡ノ蒙古記の記述は全面的に史実と整合性がとれていないだろ。
八幡ノ蒙古記は弘安の役の志賀島の戦闘の場面でも、武士の印象が悪くなるように
改変しようとした形跡があるんだよ。
あと、菊池の話でいえば蒙古襲来絵詞には、
「武房に、凶徒赤坂の陣を駆け落とされて、二手になりて大勢は麁原に向きて退く。
小勢は別府の塚原へ退く。」
と、元軍が戦闘の後敗走したと書かれてるが、八幡ノ蒙古記はそれについて一言も触れてない。
だいたい、蒙古襲来絵詞はオカルト文献じゃないんだから、八幡ノ蒙古記に比して信憑性が
高いとする理由は大ありじゃん。
現実には僅か1日で元軍を撃退した武士が苦戦してるかのように書かれてる時点で、
八幡ノ蒙古記の記述は全面的に史実と整合性がとれていないだろ。
八幡ノ蒙古記は弘安の役の志賀島の戦闘の場面でも、武士の印象が悪くなるように
改変しようとした形跡があるんだよ。
あと、菊池の話でいえば蒙古襲来絵詞には、
「武房に、凶徒赤坂の陣を駆け落とされて、二手になりて大勢は麁原に向きて退く。
小勢は別府の塚原へ退く。」
と、元軍が戦闘の後敗走したと書かれてるが、八幡ノ蒙古記はそれについて一言も触れてない。
だいたい、蒙古襲来絵詞はオカルト文献じゃないんだから、八幡ノ蒙古記に比して信憑性が
高いとする理由は大ありじゃん。
>>1341
地図を見ればわかるけど、志賀島に上陸した元軍を、海の中道通って攻撃するってのは、
どうしても戦力の逐次投入になるから数的には絶対不利になる。
それでも武士は連日実行したわけだ。
何故なら、元軍が陸戦で武士の敵では無いってことを、文永の役の経験で知ってたから。
武士はあきらかに「陸上で会戦する」ことを求めてたんだよ。
地図を見ればわかるけど、志賀島に上陸した元軍を、海の中道通って攻撃するってのは、
どうしても戦力の逐次投入になるから数的には絶対不利になる。
それでも武士は連日実行したわけだ。
何故なら、元軍が陸戦で武士の敵では無いってことを、文永の役の経験で知ってたから。
武士はあきらかに「陸上で会戦する」ことを求めてたんだよ。
>>1342
>現実には僅か1日で元軍を撃退した武士が苦戦してるかのように書かれてる時点で、
>八幡ノ蒙古記の記述は全面的に史実と整合性がとれていないだろ。
これについては十分に整合性がとれる仮説を提示した。
「僅か一日で元軍を撃退した」事実と「苦戦だった」事実は、矛盾しない。
苦戦だったかどうかは、あくまでも元側の事情を知らない人間の主観だからだ。
主観的には「苦戦」でありながら、客観的事実としては「一日で元軍がいなくなった」。
この説明でなにも問題はないはずだ。
「一日で元軍がいなくなった」事実は、
戦っていた当事者が「楽勝だ」と認識していた事の根拠にはならない。
菊池の話。
蒙古襲来絵詞の記述を裏付けるものがあるならともかく、
そうでないなら価値としては八幡ノ蒙古記と大差ないと考える。
蒙古襲来絵詞はオカルト文献とはされていないが、その内容が全て事実とは限らない。
全て事実であるとすると、きみの主張と合わせた時に、ちょっと不思議な状況も生まれる。
それは次レスで。
>現実には僅か1日で元軍を撃退した武士が苦戦してるかのように書かれてる時点で、
>八幡ノ蒙古記の記述は全面的に史実と整合性がとれていないだろ。
これについては十分に整合性がとれる仮説を提示した。
「僅か一日で元軍を撃退した」事実と「苦戦だった」事実は、矛盾しない。
苦戦だったかどうかは、あくまでも元側の事情を知らない人間の主観だからだ。
主観的には「苦戦」でありながら、客観的事実としては「一日で元軍がいなくなった」。
この説明でなにも問題はないはずだ。
「一日で元軍がいなくなった」事実は、
戦っていた当事者が「楽勝だ」と認識していた事の根拠にはならない。
菊池の話。
蒙古襲来絵詞の記述を裏付けるものがあるならともかく、
そうでないなら価値としては八幡ノ蒙古記と大差ないと考える。
蒙古襲来絵詞はオカルト文献とはされていないが、その内容が全て事実とは限らない。
全て事実であるとすると、きみの主張と合わせた時に、ちょっと不思議な状況も生まれる。
それは次レスで。
>>1343
>どうしても戦力の逐次投入になるから数的には絶対不利になる。
で、続き。きみの説明によれば文永の役以前の鎌倉幕府は、
「モンゴル軍が滅茶苦茶強いと想定してたから水城を防衛ラインにしてた」のだろ?
しかし蒙古襲来絵詞の記述が正しければ、日本側は水城の遥か前で戦いを挑んでいる。
内陸に引き込んで戦う方針だったなどとは、とても表現できない描写が続く。
しかもその戦い方は、少数の御家人たちを逐次投入するというものだ。
「武士の敵ではないことを知っていたから」戦力の逐次投入を厭わなかったとするなら、
滅茶苦茶強いと想定していた文永の役でこんな戦い方をすることは、とても説明できない。
きみの説と蒙古襲来絵詞の描写は、矛盾するところがある。
しかし、下のような仮説をとれば整合させることができるかもしれない。どうかな。
A、鎌倉武士は、恩賞のためなら有利不利を考えず、また軍として統一された行動をとれない。
基本的に「我が家門」という単位で思考し、行動する。
B、鎌倉武士は、戦力の逐次投入が不利であるという認識が全く無い。
C、菊池、竹崎、白石らの戦った敵部隊は、じつは菊池の部隊より少数だった。
>どうしても戦力の逐次投入になるから数的には絶対不利になる。
で、続き。きみの説明によれば文永の役以前の鎌倉幕府は、
「モンゴル軍が滅茶苦茶強いと想定してたから水城を防衛ラインにしてた」のだろ?
しかし蒙古襲来絵詞の記述が正しければ、日本側は水城の遥か前で戦いを挑んでいる。
内陸に引き込んで戦う方針だったなどとは、とても表現できない描写が続く。
しかもその戦い方は、少数の御家人たちを逐次投入するというものだ。
「武士の敵ではないことを知っていたから」戦力の逐次投入を厭わなかったとするなら、
滅茶苦茶強いと想定していた文永の役でこんな戦い方をすることは、とても説明できない。
きみの説と蒙古襲来絵詞の描写は、矛盾するところがある。
しかし、下のような仮説をとれば整合させることができるかもしれない。どうかな。
A、鎌倉武士は、恩賞のためなら有利不利を考えず、また軍として統一された行動をとれない。
基本的に「我が家門」という単位で思考し、行動する。
B、鎌倉武士は、戦力の逐次投入が不利であるという認識が全く無い。
C、菊池、竹崎、白石らの戦った敵部隊は、じつは菊池の部隊より少数だった。
>>1344
八幡ノ蒙古記の著者である箱崎宮の社官が、戦っていた武士の主観を知ってるわけないじゃん。
八幡ノ蒙古記は、元側の事情を知らないだけでなく、武士側のの事情も知らない人間によって
書かれた文献だよ。
戦っていた当事者がどのように認識していたかについては、戦っていた当事者が残した
蒙古襲来絵詞に優る史料は存在しないわけだ。
そして、その蒙古襲来絵詞に描かれてるのは、武士に全く歯が立たず逃げ回る元軍の姿だけ。
戦っていた当事者が「楽勝だ」と認識していた事の動かぬ証拠だろ。
八幡ノ蒙古記の著者である箱崎宮の社官が、戦っていた武士の主観を知ってるわけないじゃん。
八幡ノ蒙古記は、元側の事情を知らないだけでなく、武士側のの事情も知らない人間によって
書かれた文献だよ。
戦っていた当事者がどのように認識していたかについては、戦っていた当事者が残した
蒙古襲来絵詞に優る史料は存在しないわけだ。
そして、その蒙古襲来絵詞に描かれてるのは、武士に全く歯が立たず逃げ回る元軍の姿だけ。
戦っていた当事者が「楽勝だ」と認識していた事の動かぬ証拠だろ。
>>1345
まず、Aの可能性は皆無だね。
正嘉三年の新御式目
「一、寄役所致自由合戦、
縦雖抜群之忠、不可被行其賞、所詮随大将命、可令進退由厳密可被相触九州守護並御家人」
軍として統一された行動以外は恩賞の対象にならない。
Bの可能性もない。
御家人は大将の少弐氏の指揮のもと博多の陣に集結し、元軍に対して一斉に追いもの射るように
厳命されていた。
菊池、竹崎、白石らは少弐氏の許可を得て、先駆けとして一種の威力偵察を行っていただけ。
彼にCだとして、じゃあその他の元軍はどこにいたの?
博多にも大宰府にも指一本触れられないまま大損害受けて逃げ帰ったその他の元軍は、
一体どこで油売ってたのさ?
まず、Aの可能性は皆無だね。
正嘉三年の新御式目
「一、寄役所致自由合戦、
縦雖抜群之忠、不可被行其賞、所詮随大将命、可令進退由厳密可被相触九州守護並御家人」
軍として統一された行動以外は恩賞の対象にならない。
Bの可能性もない。
御家人は大将の少弐氏の指揮のもと博多の陣に集結し、元軍に対して一斉に追いもの射るように
厳命されていた。
菊池、竹崎、白石らは少弐氏の許可を得て、先駆けとして一種の威力偵察を行っていただけ。
彼にCだとして、じゃあその他の元軍はどこにいたの?
博多にも大宰府にも指一本触れられないまま大損害受けて逃げ帰ったその他の元軍は、
一体どこで油売ってたのさ?
>>1346
前半。神に感謝し奉納する際など、武士から神官へ話が伝わる機会はいくらでもあったはずだ。
「知ってるわけない」とはいえない。可能性は十分以上にある。
次、蒙古襲来絵詞の、特に文永の役についての内容。
少弐景資が「生きて帰れるとは思わないが、生きて帰れたら「見参に入れ」ましょう」と言った。
そこで私は僅か5騎で戦った。
なのに、もらった感状には「先駆け」の功績がなく、
総大将が約束してくれた「見参」にも入れなかった。
だから鎌倉へ行った。道中も神に祈り、鎌倉についてすぐ宿にも行かず八幡にお祈りした。
奉行は会ってくれなかった。「神明の加護」を願いまた八幡にお祈りした。
安達様が会ってくれた。手柄を認められて、領地と馬をもらった。
これは鎌倉へ行くとき夢でお告げをしてくれた甲佐大明神のおかげです。
という具合で「自分の功績と受けた非正規ルートでもらった恩賞の正当性」を書いた内容。
少弐景資は死んでるし、安達泰盛も死んでる。
八幡ノ蒙古記などに比べて、細かい内容の信憑性をあまり高く評価する理由はないよ。
前半。神に感謝し奉納する際など、武士から神官へ話が伝わる機会はいくらでもあったはずだ。
「知ってるわけない」とはいえない。可能性は十分以上にある。
次、蒙古襲来絵詞の、特に文永の役についての内容。
少弐景資が「生きて帰れるとは思わないが、生きて帰れたら「見参に入れ」ましょう」と言った。
そこで私は僅か5騎で戦った。
なのに、もらった感状には「先駆け」の功績がなく、
総大将が約束してくれた「見参」にも入れなかった。
だから鎌倉へ行った。道中も神に祈り、鎌倉についてすぐ宿にも行かず八幡にお祈りした。
奉行は会ってくれなかった。「神明の加護」を願いまた八幡にお祈りした。
安達様が会ってくれた。手柄を認められて、領地と馬をもらった。
これは鎌倉へ行くとき夢でお告げをしてくれた甲佐大明神のおかげです。
という具合で「自分の功績と受けた非正規ルートでもらった恩賞の正当性」を書いた内容。
少弐景資は死んでるし、安達泰盛も死んでる。
八幡ノ蒙古記などに比べて、細かい内容の信憑性をあまり高く評価する理由はないよ。
>>1347
鎌倉時代前後って抜け駆け禁止令はたくさん出されていて、ほぼ毎度破られてる。
統一行動に服すべし、という認識が文永の役で浸透していたとは思えない。
建治元年七月の「次に戦いサボったり領地守るとか言って動かなかったらしばくからな」という手紙や、
弘安三年の「お前らワガママいわず不和を起さず大将のいうことちゃんと聞け」という手紙からも、
鎌倉武士たちは決して統制の取れた集団ではないとも考えられる。
が、実のところ俺もAは微妙かなともおもう。
蒙古襲来絵詞を信じるなら、少弐景資は竹崎に恩賞を約束したとも取れる言葉を与えてる。
新御式目がどうかに関わらず、とにかく少弐景資は約束したのだ、と、
竹崎が主張しているだけかもしれないけどね。
鎌倉時代前後って抜け駆け禁止令はたくさん出されていて、ほぼ毎度破られてる。
統一行動に服すべし、という認識が文永の役で浸透していたとは思えない。
建治元年七月の「次に戦いサボったり領地守るとか言って動かなかったらしばくからな」という手紙や、
弘安三年の「お前らワガママいわず不和を起さず大将のいうことちゃんと聞け」という手紙からも、
鎌倉武士たちは決して統制の取れた集団ではないとも考えられる。
が、実のところ俺もAは微妙かなともおもう。
蒙古襲来絵詞を信じるなら、少弐景資は竹崎に恩賞を約束したとも取れる言葉を与えてる。
新御式目がどうかに関わらず、とにかく少弐景資は約束したのだ、と、
竹崎が主張しているだけかもしれないけどね。
次にBとCに関わることだが「一斉に追いもの射るように」は
「赤坂は馬の立ちが悪いから、ここで待っていれば必ず攻め寄せてくる」からだよね。
敵陣を攻めるつもりはなかったのに菊池を「威力偵察」に出すのも謎だが、
そうであるとしても、その帰りすら待たずに、
「生きて帰れるとは思わないが」と言って竹崎を送り出している。
百騎の後に「生きて帰れない」前提で竹崎で威力偵察ってのは意味不明。
そして白石の追加投入。菊池の報告の有無に関わらず、これもまた意味不明。
なにより「馬の立ちが悪い」赤坂から敵を追い払ったのに、
その後の史実は「威力偵察」によりきわめて弱体であると知れた敵を、
何故かそのまま海へ追い落とすでもなく、船に乗って帰還させている。
これもまた意味不明ということになる。
Cは、蒙古襲来絵詞でいう「本隊」は敵本隊ではなく少数の斥候的なものだった、とすれば成立する。
博多と大宰府うんぬんは、大部隊同士の会戦の結果次第となる。
負傷した竹崎が関わらなかったであろう戦いについて、蒙古襲来絵詞での記述はない。
「赤坂は馬の立ちが悪いから、ここで待っていれば必ず攻め寄せてくる」からだよね。
敵陣を攻めるつもりはなかったのに菊池を「威力偵察」に出すのも謎だが、
そうであるとしても、その帰りすら待たずに、
「生きて帰れるとは思わないが」と言って竹崎を送り出している。
百騎の後に「生きて帰れない」前提で竹崎で威力偵察ってのは意味不明。
そして白石の追加投入。菊池の報告の有無に関わらず、これもまた意味不明。
なにより「馬の立ちが悪い」赤坂から敵を追い払ったのに、
その後の史実は「威力偵察」によりきわめて弱体であると知れた敵を、
何故かそのまま海へ追い落とすでもなく、船に乗って帰還させている。
これもまた意味不明ということになる。
Cは、蒙古襲来絵詞でいう「本隊」は敵本隊ではなく少数の斥候的なものだった、とすれば成立する。
博多と大宰府うんぬんは、大部隊同士の会戦の結果次第となる。
負傷した竹崎が関わらなかったであろう戦いについて、蒙古襲来絵詞での記述はない。
これモンゴル側が無礼な手紙を日本に送ってきたんだよね。
それを日本側が無礼だと返してるんだよね。それが
格好良いわ。
それを日本側が無礼だと返してるんだよね。それが
格好良いわ。
細かい部分をどうとでも脚色できる、しかも味方側の描いた絵を見て
これが真相とか言ってしまえるのも極端すぎると思う
小学校高学年にもなれば
こういう類の絵に脚色が入ってるくらい想像できると思うけど
真ん中を抜粋したのは単に前線で両軍が収まるからというのもあるんだろう
これが真相とか言ってしまえるのも極端すぎると思う
小学校高学年にもなれば
こういう類の絵に脚色が入ってるくらい想像できると思うけど
真ん中を抜粋したのは単に前線で両軍が収まるからというのもあるんだろう
>>256さん、ありがたい。
元寇は失敗したとばかり思っていましたが、圧勝だったとは。
文部省、ちょっとしばかないきませんね。
元寇は失敗したとばかり思っていましたが、圧勝だったとは。
文部省、ちょっとしばかないきませんね。
てか、日本の教育は試験用の教育なのが問題
大体事実を知っていたところで0点だろ
大体事実を知っていたところで0点だろ
学校の先生ってアンチョコ持ってるじゃんか
「〇〇指導書」みたいなさ
やる気の無いデモシカ先生が古いのをそのまま使ってんじゃないのかね?
「〇〇指導書」みたいなさ
やる気の無いデモシカ先生が古いのをそのまま使ってんじゃないのかね?
>>1348
いや、八幡ノ蒙古記はオカルト文献って時点で、細かい内容の信憑性において
蒙古襲来絵詞の足元にも及ばないから。
いや、八幡ノ蒙古記はオカルト文献って時点で、細かい内容の信憑性において
蒙古襲来絵詞の足元にも及ばないから。
>>1350
>博多と大宰府うんぬんは、大部隊同士の会戦の結果次第となる。
その結果は既に確定事項。
モンゴル軍は博多にも大宰府にも指一本触れられないまま、僅か1日の戦闘で惨敗。
博多も大宰府も被災したことを裏付ける史料が皆無だからね。
博多湾に上陸しておきながら、目と鼻の先の博多に何の損害も与えられずに逃げ帰るなんて、
モンゴル軍の幼稚な戦術は、鎌倉武士の優れた組織戦術の前に鎧袖一触だったってこと。
>博多と大宰府うんぬんは、大部隊同士の会戦の結果次第となる。
その結果は既に確定事項。
モンゴル軍は博多にも大宰府にも指一本触れられないまま、僅か1日の戦闘で惨敗。
博多も大宰府も被災したことを裏付ける史料が皆無だからね。
博多湾に上陸しておきながら、目と鼻の先の博多に何の損害も与えられずに逃げ帰るなんて、
モンゴル軍の幼稚な戦術は、鎌倉武士の優れた組織戦術の前に鎧袖一触だったってこと。
>>1356
1352さんのいうとおり、蒙古襲来絵詞が八幡ノ蒙古記よりましだとしても、信憑性という点においては五十歩百歩ではないですかね?
味方側が書いた「絵巻物」で、後に手を加えた後もあるわけですし。
1352さんのいうとおり、蒙古襲来絵詞が八幡ノ蒙古記よりましだとしても、信憑性という点においては五十歩百歩ではないですかね?
味方側が書いた「絵巻物」で、後に手を加えた後もあるわけですし。
>>1358
その基準おかしくね?
何で味方側である日本人の記録は信用できなくて、敵側の記録なら信用できるの?
どちら側であろうと、戦闘当事者が残した記録の信憑性が断トツだよ。
オカルト文献なんかとは比較にならない。
それと、後で手を加えた跡なら八幡ノ蒙古記にもあるんだけど。
その基準おかしくね?
何で味方側である日本人の記録は信用できなくて、敵側の記録なら信用できるの?
どちら側であろうと、戦闘当事者が残した記録の信憑性が断トツだよ。
オカルト文献なんかとは比較にならない。
それと、後で手を加えた跡なら八幡ノ蒙古記にもあるんだけど。
>>1356
蒙古襲来絵詞も「夢のお告げでどうしたこうした」ってオカルト記述があるって指摘したじゃん。
オカルトでない部分は信用できるので採用するってことなら、
八幡ノ蒙古記にも同じ態度で臨まないといかんだろっての。
>>1357
その点については繰り返し説明済み。
20日の激闘の末の「痛み分け」だったとすれば何の矛盾もなく説明がつく。
蒙古襲来絵詞も「夢のお告げでどうしたこうした」ってオカルト記述があるって指摘したじゃん。
オカルトでない部分は信用できるので採用するってことなら、
八幡ノ蒙古記にも同じ態度で臨まないといかんだろっての。
>>1357
その点については繰り返し説明済み。
20日の激闘の末の「痛み分け」だったとすれば何の矛盾もなく説明がつく。
>>1359
八幡ノ蒙古記のなかで、菊池隊が敵陣中に突進して壊滅寸前の被害を被るのは、
「竹崎五郎兵衛尉季長」が「よくふるまひ」の状況であった、ずっと後のこと。
菊池隊が最初に戦った相手は、ちょうど菊池隊がそうだったように、
元側が出した少数の先遣隊というか斥候的ななものだった、とすると、
蒙古襲来絵詞と八幡ノ蒙古記はさほどの矛盾なく共存できる。
八幡ノ蒙古記は「敵の船一艘を捕まえた」という帝王編年記の記述にも合う。
敵の捕虜から「射られたのは流(劉)です」との供述を得たとあり、
これは元・高麗側の史書とも整合する。
オカルト部分と事実に即した部分を慎重に見極めるべきではあるが、
オカルト文書だから即座に信憑性がない、とするのは軽率極まりない。
八幡ノ蒙古記のなかで、菊池隊が敵陣中に突進して壊滅寸前の被害を被るのは、
「竹崎五郎兵衛尉季長」が「よくふるまひ」の状況であった、ずっと後のこと。
菊池隊が最初に戦った相手は、ちょうど菊池隊がそうだったように、
元側が出した少数の先遣隊というか斥候的ななものだった、とすると、
蒙古襲来絵詞と八幡ノ蒙古記はさほどの矛盾なく共存できる。
八幡ノ蒙古記は「敵の船一艘を捕まえた」という帝王編年記の記述にも合う。
敵の捕虜から「射られたのは流(劉)です」との供述を得たとあり、
これは元・高麗側の史書とも整合する。
オカルト部分と事実に即した部分を慎重に見極めるべきではあるが、
オカルト文書だから即座に信憑性がない、とするのは軽率極まりない。
米1
なぜスレにいなかった……
なぜスレにいなかった……
蒙古襲来絵詞を根拠に語られてるのに、ネット上の与太話と
混同して「ネットの書き込みほどアテにならないものはない」に
投票しちゃう馬鹿って・・・
混同して「ネットの書き込みほどアテにならないものはない」に
投票しちゃう馬鹿って・・・
>>1359
>>それと、後で手を加えた跡なら八幡ノ蒙古記にもあるんだけど。
じゃあ、両方とも資料としてはアウトということではないの?
蒙古襲来絵詞それ自体は資料として評価できるものなの?八幡ノ蒙古記より信用できるとかいう相対的な評価ではなく。もう一方が信用できないからこっちは全面的に正しいというのは変だと思う。
>>どちら側であろうと、戦闘当事者が残した記録の信憑性が断トツだよ。
自分たちの活躍を誇張したりということはありそうな気がするんだけど。
>>それと、後で手を加えた跡なら八幡ノ蒙古記にもあるんだけど。
じゃあ、両方とも資料としてはアウトということではないの?
蒙古襲来絵詞それ自体は資料として評価できるものなの?八幡ノ蒙古記より信用できるとかいう相対的な評価ではなく。もう一方が信用できないからこっちは全面的に正しいというのは変だと思う。
>>どちら側であろうと、戦闘当事者が残した記録の信憑性が断トツだよ。
自分たちの活躍を誇張したりということはありそうな気がするんだけど。
>>1360
え~っ?、夢なんて誰だって普通に見るじゃん。
夢を見たと書いてあるからオカルトって無理やり過ぎ。
一方的にモンゴル軍だけしか痛みを受けてないのに、「痛み分け」なわけないだろ。
モンゴル軍は博多にも大宰府にも何の損害も与えていないんだよ。
モンゴル軍は1万3500人も人的損害を出してるけど、日本側にはそれに比するような
損害はないんだよ。
あきらかに日本軍の圧勝だろ。
どこに「痛み分け」といえる要素があるのさ?
>>1361
だから何度も書いてるように、オカルト文献に信憑性がないと考えるのは、
史料を扱う際の世界基準なの。
軽率極まりないというのは、オカルト文献を他の史料と同列に扱うことだよ。
え~っ?、夢なんて誰だって普通に見るじゃん。
夢を見たと書いてあるからオカルトって無理やり過ぎ。
一方的にモンゴル軍だけしか痛みを受けてないのに、「痛み分け」なわけないだろ。
モンゴル軍は博多にも大宰府にも何の損害も与えていないんだよ。
モンゴル軍は1万3500人も人的損害を出してるけど、日本側にはそれに比するような
損害はないんだよ。
あきらかに日本軍の圧勝だろ。
どこに「痛み分け」といえる要素があるのさ?
>>1361
だから何度も書いてるように、オカルト文献に信憑性がないと考えるのは、
史料を扱う際の世界基準なの。
軽率極まりないというのは、オカルト文献を他の史料と同列に扱うことだよ。
>>1364
数百年も昔の史料がそのまま現代に伝わるなんてことは、ほとんど無いんだよ。
後から手を加えられたり、一部が失われたりすることは、ごく普通にある。
それでもオリジナルが現存するのはまだマシで、何世代後かわからない写本しかない
なんてことの方が多いくらい。
写本は手作業だから、繰り返すうちに内容も少しずつ変わってくるしね。
史料ってのはそういう物なの。
蒙古襲来絵詞自体は、モンゴル関係の史料として世界中の研究者がその信憑性を
高く評価してるよ。
数百年も昔の史料がそのまま現代に伝わるなんてことは、ほとんど無いんだよ。
後から手を加えられたり、一部が失われたりすることは、ごく普通にある。
それでもオリジナルが現存するのはまだマシで、何世代後かわからない写本しかない
なんてことの方が多いくらい。
写本は手作業だから、繰り返すうちに内容も少しずつ変わってくるしね。
史料ってのはそういう物なの。
蒙古襲来絵詞自体は、モンゴル関係の史料として世界中の研究者がその信憑性を
高く評価してるよ。
>>1365
「夢を見た」じゃないよ。「夢のお告げ」。
あと一方的にモンゴル軍しか痛みを受けてないというのは、一方的に日本側の蒙古襲来絵詞だけを採用しての言葉だね。
当日の野戦が「痛み分け」だったのでは、というの。
太宰府うんぬんはその野戦の結果次第。
日本側が相当に痛んでいたとして、元側が太宰府攻略を諦めなきゃならない程度に痛んでいたというのは、高麗史にも合致するだろ。というかループさせるな。
元側の被害人数は海難含むものじゃないのか?
日本側の被害は確かに数値がない。しかし参戦人数さえ数字を残せない国に、被害人数などまとめる発想があるわけがない。
>オカルト文献に信憑性がないと考えるのは、史料を扱う際の世界基準なの。
日本書記は日本最古の歴史書として、それはそれで真面目に研究対象とされていますが?
聖書にすら史実は含まれるのに、宗教文献だからと初めから嘘しか書いてないとか考える世界標準など存在しません。
正史だって編纂した者の思惑まじりと考えるのが世界標準。
信憑性うんぬんは正史だろうが聖書だろうが、他の史料との突き合わせでしか計れない。
「夢を見た」じゃないよ。「夢のお告げ」。
あと一方的にモンゴル軍しか痛みを受けてないというのは、一方的に日本側の蒙古襲来絵詞だけを採用しての言葉だね。
当日の野戦が「痛み分け」だったのでは、というの。
太宰府うんぬんはその野戦の結果次第。
日本側が相当に痛んでいたとして、元側が太宰府攻略を諦めなきゃならない程度に痛んでいたというのは、高麗史にも合致するだろ。というかループさせるな。
元側の被害人数は海難含むものじゃないのか?
日本側の被害は確かに数値がない。しかし参戦人数さえ数字を残せない国に、被害人数などまとめる発想があるわけがない。
>オカルト文献に信憑性がないと考えるのは、史料を扱う際の世界基準なの。
日本書記は日本最古の歴史書として、それはそれで真面目に研究対象とされていますが?
聖書にすら史実は含まれるのに、宗教文献だからと初めから嘘しか書いてないとか考える世界標準など存在しません。
正史だって編纂した者の思惑まじりと考えるのが世界標準。
信憑性うんぬんは正史だろうが聖書だろうが、他の史料との突き合わせでしか計れない。
>蒙古襲来絵詞自体は、モンゴル関係の史料として世界中の研究者がその信憑性を
>高く評価してるよ。
文永の役の戦闘推移の史料じゃなく、モンゴル関係の史料としての信憑性な。
>高く評価してるよ。
文永の役の戦闘推移の史料じゃなく、モンゴル関係の史料としての信憑性な。
蒙古蒙古ってモンゴルだと思うだろ?
壱岐・対馬で暴虐の限りを働いて
戦果を証明するために首じゃなくて一般人の鼻を削いだのは
高麗==朝鮮の軍なんだぞ!
壱岐・対馬で暴虐の限りを働いて
戦果を証明するために首じゃなくて一般人の鼻を削いだのは
高麗==朝鮮の軍なんだぞ!
あら、まだ論争が続いてた。
熱心だねぇ。
ってかその資料に資料的価値が有るか無いかって話になっとる。
解釈の違い云々ですらないのかw
熱心だねぇ。
ってかその資料に資料的価値が有るか無いかって話になっとる。
解釈の違い云々ですらないのかw
『元史』は船で期間中に暴風雨に遭ったと言っているから、戦闘による損害なんてワカランだろ。
>>1367
だから、当日の野戦に「痛み分け」なんて言える要素は皆無なんだよ。
蒙古襲来絵詞だけの問題じゃない。
大宰府や博多が被災したことを裏付ける史料が一切無いんだから、野戦の結果は
日本側の圧勝で確定なの。
当時日本有数の大都市だった博多が被災したり、御家人に大量の戦死者が出たりしたら、
当時の史料がそのことに全く言及しないわけないだろ。
つまり日本側には元軍側の1万3500人に比するような損害は無かったってこと。
だから、当日の野戦に「痛み分け」なんて言える要素は皆無なんだよ。
蒙古襲来絵詞だけの問題じゃない。
大宰府や博多が被災したことを裏付ける史料が一切無いんだから、野戦の結果は
日本側の圧勝で確定なの。
当時日本有数の大都市だった博多が被災したり、御家人に大量の戦死者が出たりしたら、
当時の史料がそのことに全く言及しないわけないだろ。
つまり日本側には元軍側の1万3500人に比するような損害は無かったってこと。
蒙古襲来は2回ありました。
1回目は苦戦、2回目は石塁とかあったから楽勝、だったきがするのですが。
1回目は苦戦、2回目は石塁とかあったから楽勝、だったきがするのですが。
負けても朝鮮人ばっかで士気が低く、文化も、なにより言葉も違う元軍は、すぐに撤退したと思う。
300年後、陸戦で圧勝して、首都まで堕とした豊臣軍が結局朝鮮を統治できなかったんだから、どう考えても恒久的な支配は無理だろ。
結論から言うと、日本により強い朝鮮文化が浸透するぐらい。
300年後、陸戦で圧勝して、首都まで堕とした豊臣軍が結局朝鮮を統治できなかったんだから、どう考えても恒久的な支配は無理だろ。
結論から言うと、日本により強い朝鮮文化が浸透するぐらい。
>>1374
戦闘員に占める高麗兵の割合は、文永の役が4分の1、弘安の役が14分の1で
朝鮮人ばっかというのは誤り。
さらに、朝鮮人は日本侵略にノリノリで士気も低くない。
戦闘員に占める高麗兵の割合は、文永の役が4分の1、弘安の役が14分の1で
朝鮮人ばっかというのは誤り。
さらに、朝鮮人は日本侵略にノリノリで士気も低くない。
>>1372
当時の、そして君のいう「博多」がどこからどこまでなのか俺にはよくわからんが、
当時にいう「博多」が丸焼けになったとかいうことはないと見て良いかと思う。
そもそも夜のうちに博多湾から元船が消えたというところからみて、
その夜は朝鮮半島方向への風が吹いていたはず。
たとえ北側で火をつけても南側(太宰府方面)へは延焼せず、被害は拡大しない。
逆に言うと、逆風のなかでも火をつけちゃうバカとかでない限り、
仮に「博多」に到来していたとしても、元側が大規模な焼き討ちに出るとは少し考えにくい。
八幡ノ蒙古記あたりを見ると、そのバカな真似をして自分たちの船が類焼したんじゃないか、
と思えるような描写がちょろっと出てくるけどね。
当時の、そして君のいう「博多」がどこからどこまでなのか俺にはよくわからんが、
当時にいう「博多」が丸焼けになったとかいうことはないと見て良いかと思う。
そもそも夜のうちに博多湾から元船が消えたというところからみて、
その夜は朝鮮半島方向への風が吹いていたはず。
たとえ北側で火をつけても南側(太宰府方面)へは延焼せず、被害は拡大しない。
逆に言うと、逆風のなかでも火をつけちゃうバカとかでない限り、
仮に「博多」に到来していたとしても、元側が大規模な焼き討ちに出るとは少し考えにくい。
八幡ノ蒙古記あたりを見ると、そのバカな真似をして自分たちの船が類焼したんじゃないか、
と思えるような描写がちょろっと出てくるけどね。
で、それらは野戦の結果とはまた別の話。
君らのたぐいは「海難」を記した高麗史の記述を引用して「日本圧勝」を誇示したがるが、
元&高麗軍が「野戦で」大損害を受けたと確定できる史料はあるんだろうか。
日本側の軍忠状なりで分捕り首の積算なりしたものでも良いけど。
その高麗史では、
「道を分ちて進み、殺す所過当なり」「倭兵、突き至りて中軍を衝き、長剣左右に交わる」
「李唐公・金天禄・辛奕等力戦し、倭兵大いに敗れ、伏屍すること麻の如し」
となり、日本側は(日本側も)大きな損害を出している、ということになるよな。
「敵方の言い分」ではあるが、後の志賀島攻防戦での苦戦、敗戦は、かなりあからさまに描いている。
文永の役と弘安の役とで差をつける理由は、特に無いんじゃないかとおもうんだが。
あと「御家人に被害が出てたら書かないわけがない」は反論しようがないな。
天皇や公家、神官が幕府に不利な記述をしていても、それはウソということになるんだろ?
竹崎さん見る限り、御家人ってのは自家以外には無関心っぽいが、
他者について武士が詳しくものを書くということがあるんだろか。
君らのたぐいは「海難」を記した高麗史の記述を引用して「日本圧勝」を誇示したがるが、
元&高麗軍が「野戦で」大損害を受けたと確定できる史料はあるんだろうか。
日本側の軍忠状なりで分捕り首の積算なりしたものでも良いけど。
その高麗史では、
「道を分ちて進み、殺す所過当なり」「倭兵、突き至りて中軍を衝き、長剣左右に交わる」
「李唐公・金天禄・辛奕等力戦し、倭兵大いに敗れ、伏屍すること麻の如し」
となり、日本側は(日本側も)大きな損害を出している、ということになるよな。
「敵方の言い分」ではあるが、後の志賀島攻防戦での苦戦、敗戦は、かなりあからさまに描いている。
文永の役と弘安の役とで差をつける理由は、特に無いんじゃないかとおもうんだが。
あと「御家人に被害が出てたら書かないわけがない」は反論しようがないな。
天皇や公家、神官が幕府に不利な記述をしていても、それはウソということになるんだろ?
竹崎さん見る限り、御家人ってのは自家以外には無関心っぽいが、
他者について武士が詳しくものを書くということがあるんだろか。
絵をフツーに見れば、日本の武士がやられているように見える。
馬も血吹いてるし、小型の弓矢で余裕そうに矢を放ってるモンゴル人
をみると、やはり苦戦したんじゃないか?
まあ、ほんの60年前に日本による南京の虐殺がホントにあったのかなかったのか
議論されてるくらいだから、苦戦したか、余裕だったかはちょっと分からないのでは?
馬も血吹いてるし、小型の弓矢で余裕そうに矢を放ってるモンゴル人
をみると、やはり苦戦したんじゃないか?
まあ、ほんの60年前に日本による南京の虐殺がホントにあったのかなかったのか
議論されてるくらいだから、苦戦したか、余裕だったかはちょっと分からないのでは?
>>1377
『高麗史』巻87 表2 年表2 元宗15年
「十月、金方慶、元の元帥の忽敦・洪茶丘等と与に、日本を征す。壱岐に至りて
戦い敗れ、軍の還らざる者万三千五百余人」
高麗史の年表は損害1万3500余人の要因を「戦い敗れ」と書いてるけど。
加えて、『高麗史』巻29 世家29 忠烈王2 忠烈王6年
「又た、昔、東征の時に於いて、五千三百軍の齎去せる衣甲・弓箭は、
多くを棄失するあり。 僅かに収拾するを得、府庫に頓えしも支用に堪えず。」
元軍が「海難」で損害を受けただけなら、生還した兵の多くが衣甲・弓箭を
棄失してるわけないじゃん。
古今東西の合戦で兵が武器や鎧を棄失するのは、敗走する時に身軽になるため。
高麗は文永の役に投入した兵8000人のうち2700人を失い、武器や鎧を投げ捨てた
5300人だけが辛うじて逃げ帰ることができたわけで、正に絵に描いたような
「野戦で大損害を受けた敗残兵」だろ。
『高麗史』巻87 表2 年表2 元宗15年
「十月、金方慶、元の元帥の忽敦・洪茶丘等と与に、日本を征す。壱岐に至りて
戦い敗れ、軍の還らざる者万三千五百余人」
高麗史の年表は損害1万3500余人の要因を「戦い敗れ」と書いてるけど。
加えて、『高麗史』巻29 世家29 忠烈王2 忠烈王6年
「又た、昔、東征の時に於いて、五千三百軍の齎去せる衣甲・弓箭は、
多くを棄失するあり。 僅かに収拾するを得、府庫に頓えしも支用に堪えず。」
元軍が「海難」で損害を受けただけなら、生還した兵の多くが衣甲・弓箭を
棄失してるわけないじゃん。
古今東西の合戦で兵が武器や鎧を棄失するのは、敗走する時に身軽になるため。
高麗は文永の役に投入した兵8000人のうち2700人を失い、武器や鎧を投げ捨てた
5300人だけが辛うじて逃げ帰ることができたわけで、正に絵に描いたような
「野戦で大損害を受けた敗残兵」だろ。
>>1377
それから日本側の戦闘損失についてだけど、日蓮書状には「松浦党は数百人打れ」
という記述があり、高麗史の「倭兵大いに敗れ、伏屍すること麻の如し」に
該当するのはそれだろ。
日蓮書状は、蒙古の恐ろしさを強調する意図で書かれてるわけで、日本側の損害を
誇張することはあっても、過少に書くことはありえない。
つまり、日本側の戦闘員には、それ以上の損害は無かったってこと。
元軍は松浦党数百人を討つのが精一杯で、より装備や兵数の充実した御家人には
手も足も出ずに粉砕されたんだよ。
あと、竹崎さんは蒙古襲来絵詞の中で、自家以外他者の損害や手柄のついて
詳細な注釈付けてるぞ。
それから日本側の戦闘損失についてだけど、日蓮書状には「松浦党は数百人打れ」
という記述があり、高麗史の「倭兵大いに敗れ、伏屍すること麻の如し」に
該当するのはそれだろ。
日蓮書状は、蒙古の恐ろしさを強調する意図で書かれてるわけで、日本側の損害を
誇張することはあっても、過少に書くことはありえない。
つまり、日本側の戦闘員には、それ以上の損害は無かったってこと。
元軍は松浦党数百人を討つのが精一杯で、より装備や兵数の充実した御家人には
手も足も出ずに粉砕されたんだよ。
あと、竹崎さんは蒙古襲来絵詞の中で、自家以外他者の損害や手柄のついて
詳細な注釈付けてるぞ。
>>1379
上。
それ「金方慶與元元帥忽敦洪茶丘等征日本、至壹岐戰敗、軍不還者萬三千五百餘人」だよね。
原文に句読点があるのか白文なのか知らんが、
「壱岐に至りて戦い敗れ、軍の還らざる者…」とするのか、
「壱岐に至りて戦い敗れる。軍の還らざる者…」とするのかで、ニュアンス変わるぞ。
つか、これこのまま受け入れると壱岐で戦いに敗れてるわけだが、それで良いのか?
かなり省略しつつ結果を記しているだけで「要因」なんて書こうともしてないんじゃない?
下。
鎧や武器を投げ捨てながら必死で逃げた軍が、それを後から「収拾」したというのかね?
かなり不自然な解釈だと思うがなあ。
古今東西、というなら、海難に遭った船が積荷を捨てて船体を軽くしようとするのは、
それこそ古今東西変わらない事実だ。そちらの可能性のが強いんじゃないかね。
俺は「献上」された捕虜が二百人しかいないのを、捕虜も棄てられたんじゃないかと思ってるよ。
「ひどい暴風に悩まされたので、翌日には人々は積み荷を海に捨て始め、
三日目には自分たちの手で船具を投げ捨ててしまった(使徒言行録)」
他にも「共同海損」「投げ荷」などで調べてみると良い。
上。
それ「金方慶與元元帥忽敦洪茶丘等征日本、至壹岐戰敗、軍不還者萬三千五百餘人」だよね。
原文に句読点があるのか白文なのか知らんが、
「壱岐に至りて戦い敗れ、軍の還らざる者…」とするのか、
「壱岐に至りて戦い敗れる。軍の還らざる者…」とするのかで、ニュアンス変わるぞ。
つか、これこのまま受け入れると壱岐で戦いに敗れてるわけだが、それで良いのか?
かなり省略しつつ結果を記しているだけで「要因」なんて書こうともしてないんじゃない?
下。
鎧や武器を投げ捨てながら必死で逃げた軍が、それを後から「収拾」したというのかね?
かなり不自然な解釈だと思うがなあ。
古今東西、というなら、海難に遭った船が積荷を捨てて船体を軽くしようとするのは、
それこそ古今東西変わらない事実だ。そちらの可能性のが強いんじゃないかね。
俺は「献上」された捕虜が二百人しかいないのを、捕虜も棄てられたんじゃないかと思ってるよ。
「ひどい暴風に悩まされたので、翌日には人々は積み荷を海に捨て始め、
三日目には自分たちの手で船具を投げ捨ててしまった(使徒言行録)」
他にも「共同海損」「投げ荷」などで調べてみると良い。
>>1380
上。
「負けたから松浦党だ」って、そりゃ酷すぎるだろw
で、金方慶と松浦党であるとしても、その前に軍を二手に分けて進軍してる。
(捨舟三郎浦分道而進所殺過當倭兵突至衝中軍)
どちらについても、弘安の役と違って「苦しい戦い」を示すものが文中にないことは変わらん。
次。当時の日蓮さんは身延山あたりにいたのかな。遠いね。
そのせいか宋は逃げた少弐も逃げたと適当な事ばかり。
文永の役からそう間がなく情報が錯綜していたのか、悪意の故か、それは知らん。
他に戦死したとされる者、例えば墓も残る原田種照などについて知っていたのかどうかさえ不明。
いえることは、日蓮さんの言葉を切り抜いて事実を推し量ろうとするのは無駄ってことだな。
八幡ノ蒙古記は敵の数にしても良い線いってるとおもうが。
竹崎さんは確かに絵詞内で自分が接触した人間については少し触れている。
しかし自分が関わっていない、或いは触れたくない事は徹底スルー。
例えば単身突撃後の戦況。弘安の役でも自分が博多に着く前の戦況ついてなど華麗にスルー。
絵詞を残すこと自体が極めて特異なわけだが、その竹崎さんですらこの有り様ってことよ。
上。
「負けたから松浦党だ」って、そりゃ酷すぎるだろw
で、金方慶と松浦党であるとしても、その前に軍を二手に分けて進軍してる。
(捨舟三郎浦分道而進所殺過當倭兵突至衝中軍)
どちらについても、弘安の役と違って「苦しい戦い」を示すものが文中にないことは変わらん。
次。当時の日蓮さんは身延山あたりにいたのかな。遠いね。
そのせいか宋は逃げた少弐も逃げたと適当な事ばかり。
文永の役からそう間がなく情報が錯綜していたのか、悪意の故か、それは知らん。
他に戦死したとされる者、例えば墓も残る原田種照などについて知っていたのかどうかさえ不明。
いえることは、日蓮さんの言葉を切り抜いて事実を推し量ろうとするのは無駄ってことだな。
八幡ノ蒙古記は敵の数にしても良い線いってるとおもうが。
竹崎さんは確かに絵詞内で自分が接触した人間については少し触れている。
しかし自分が関わっていない、或いは触れたくない事は徹底スルー。
例えば単身突撃後の戦況。弘安の役でも自分が博多に着く前の戦況ついてなど華麗にスルー。
絵詞を残すこと自体が極めて特異なわけだが、その竹崎さんですらこの有り様ってことよ。
>>1381
海難で積荷を捨てた船が、それを後から「収拾」したという方が余程不自然な解釈だと思うがな。
当時の船ってのは悪天候に耐えるための復元性の多くを積荷の重さに依ってるんよ。
達磨を傾けても底の重りで起き上がるのと同じ原理だな。
元艦隊の大船はもともと米3000~4000石の積載を前提に設計されているわけで、
兵糧を大量に消費した復路は唯でさえ軽すぎる状態。
その上積荷を海洋投棄なんかしたら、復元性が失われてちょっとした波風で簡単に転覆する
ようになっちまう。
悪天候の中、完全な自殺行為だな。
つまり、大船300隻の艦隊の、しかも生還した艦艇の多くが積荷を海洋投棄してるなんて
状況はあり得ないわけ。
無理やり不自然な解釈しないで、素直に元軍は武器や鎧を投げ捨てて逃げ回っていたんだと
認めなさい。
海難で積荷を捨てた船が、それを後から「収拾」したという方が余程不自然な解釈だと思うがな。
当時の船ってのは悪天候に耐えるための復元性の多くを積荷の重さに依ってるんよ。
達磨を傾けても底の重りで起き上がるのと同じ原理だな。
元艦隊の大船はもともと米3000~4000石の積載を前提に設計されているわけで、
兵糧を大量に消費した復路は唯でさえ軽すぎる状態。
その上積荷を海洋投棄なんかしたら、復元性が失われてちょっとした波風で簡単に転覆する
ようになっちまう。
悪天候の中、完全な自殺行為だな。
つまり、大船300隻の艦隊の、しかも生還した艦艇の多くが積荷を海洋投棄してるなんて
状況はあり得ないわけ。
無理やり不自然な解釈しないで、素直に元軍は武器や鎧を投げ捨てて逃げ回っていたんだと
認めなさい。
>>1382
「負けたから松浦党だ」と言ってるわけじゃなく、日本側に該当する損害がそれしか無いんだから
仕方がないだろ。
高麗史の記述だって、対馬、壱岐の次なんだから、松浦党との戦闘の話だと考えるのが
順番的にも自然じゃん。
それから、「孟明の焚船、淮陰の背水」や「小敵の堅は、大敵の檎」はあきらかに「苦しい戦い」
をしてる側が持ち出す兵法なんだが・・・
高麗史の年表ですら「戦い敗れ」と書いてるのに・・・
元軍が「苦しい戦い」をしてなかったら、目前の博多の町やそこに布陣する少弐氏麾下の
御家人たちに何の損害も与えられないまま、その日のうちに退散するわけないじゃん。
竹崎さんが自分で直接確認したことしか書いてないってのは、それだけ蒙古襲来絵詞の
史料としての信憑性が高いってことでしょ。
自分は八幡ノ蒙古記みたいなオカルト文献の都合のいい所だけ切り抜きしておきながら、
都合の悪い同時代史料は否定するのって如何なものかと思うぞ。
「負けたから松浦党だ」と言ってるわけじゃなく、日本側に該当する損害がそれしか無いんだから
仕方がないだろ。
高麗史の記述だって、対馬、壱岐の次なんだから、松浦党との戦闘の話だと考えるのが
順番的にも自然じゃん。
それから、「孟明の焚船、淮陰の背水」や「小敵の堅は、大敵の檎」はあきらかに「苦しい戦い」
をしてる側が持ち出す兵法なんだが・・・
高麗史の年表ですら「戦い敗れ」と書いてるのに・・・
元軍が「苦しい戦い」をしてなかったら、目前の博多の町やそこに布陣する少弐氏麾下の
御家人たちに何の損害も与えられないまま、その日のうちに退散するわけないじゃん。
竹崎さんが自分で直接確認したことしか書いてないってのは、それだけ蒙古襲来絵詞の
史料としての信憑性が高いってことでしょ。
自分は八幡ノ蒙古記みたいなオカルト文献の都合のいい所だけ切り抜きしておきながら、
都合の悪い同時代史料は否定するのって如何なものかと思うぞ。
これは面白い仮定だな。
元寇の実態は、実はほとんどが朝鮮半島の連中だった。
元の連中は確か100人も居なかったんだっけ。
実態は高麗による日本侵略だった。
成功していたら目も当てられない状況だっただろう。
元寇の実態は、実はほとんどが朝鮮半島の連中だった。
元の連中は確か100人も居なかったんだっけ。
実態は高麗による日本侵略だった。
成功していたら目も当てられない状況だっただろう。
日教組が朝鮮人の犬だという事がよく分かる記事だね
コメントにもキムチ臭が漂う奴が沸いてるし
コメントにもキムチ臭が漂う奴が沸いてるし
大分昔の本で佐藤大輔がこの件について書いてたな
元軍は西国武士軍にかなりの痛手を被り船に撤退する
一方武士軍も戦力と指揮系統の再編のために博多方面に後退
そこを神風が・・・
結局戦力が不足しすぎて占領するのは不可能だったはずとかいう結論だった
あと武士団単位の各個攻撃は戦力の補充の効かない元軍には効果的とか興味深かった
元軍は西国武士軍にかなりの痛手を被り船に撤退する
一方武士軍も戦力と指揮系統の再編のために博多方面に後退
そこを神風が・・・
結局戦力が不足しすぎて占領するのは不可能だったはずとかいう結論だった
あと武士団単位の各個攻撃は戦力の補充の効かない元軍には効果的とか興味深かった
はっきりした事実は、日本が勝ち、元軍が負けたこと。
苦戦とか苦戦じゃないとか、わざわざ色をつける必要があるのかね?
苦戦とか苦戦じゃないとか、わざわざ色をつける必要があるのかね?
どちらにせよ
橋頭保も確保できず戦略目標の大宰府どころか
水城が見えるところまですら到達できず
福岡平野沿岸部をうろうろしただけで先駆けレベルの武士団だけで返り討ち
弘安に至っては上陸すらままならず数カ月も海上を逃げ回った蒙古・高麗軍
橋頭保も確保できず戦略目標の大宰府どころか
水城が見えるところまですら到達できず
福岡平野沿岸部をうろうろしただけで先駆けレベルの武士団だけで返り討ち
弘安に至っては上陸すらままならず数カ月も海上を逃げ回った蒙古・高麗軍
※1385
文永の役での高麗軍はわずかに8000、弘安の役東路軍の高麗軍は10000だけです
元寇をそそのかしたのは高麗ですが
人数の面では高麗軍はさほどの数ではありません
文永の役での高麗軍はわずかに8000、弘安の役東路軍の高麗軍は10000だけです
元寇をそそのかしたのは高麗ですが
人数の面では高麗軍はさほどの数ではありません
そもそも、ろくに戦ってないのに、防人で鎌倉幕府は体力消費、元の方も明らかに無理な
海越えで自爆、ってイメージだった。
大人になって、何万人も来たって読んで、あら、無茶したなあ、元。って思った。
たとえ勝ったって無理だっただろ、当時の技術で日本占領とか。大陸ならともかく、
山ばっかだし。
海越えで自爆、ってイメージだった。
大人になって、何万人も来たって読んで、あら、無茶したなあ、元。って思った。
たとえ勝ったって無理だっただろ、当時の技術で日本占領とか。大陸ならともかく、
山ばっかだし。
戦闘に勝ってたら、当時の技術で日本を占領することに何の問題も無い。
現にイギリスなんて何度も占領されてるし。
モンゴル軍は武士よりも弱かったから負けた。
ただ、それだけ。
現にイギリスなんて何度も占領されてるし。
モンゴル軍は武士よりも弱かったから負けた。
ただ、それだけ。
Q:もし鎌倉幕府が元寇に負けてたらどうなったの?
A:日蓮宗崩壊>日蓮正宗存在せず>創価学会も存在せず かなぁ。
A:日蓮宗崩壊>日蓮正宗存在せず>創価学会も存在せず かなぁ。
主に朝鮮に船作らせて、それが手抜き工事で+台風シーズン到来であぼんと言う話を聞いたな
ついでに元は他方面にかかりきりでできれば戦は避けたかったとも そりゃどこも一緒か
学校教育では1の言ってる通りのことを学んだが
ついでに元は他方面にかかりきりでできれば戦は避けたかったとも そりゃどこも一緒か
学校教育では1の言ってる通りのことを学んだが
>>1394
朝鮮が自分たちも乗る船に手抜き工事をするはずがない。
そんなちょっと考えれば分かるレベルの馬鹿げた嘘が堂々とまかり通っているのが、
戦後のインチキ歴史教育。
朝鮮が手抜き工事をしたなんて史料は一切ない。
それどころか、現実には弘安の役の台風で沈んだのは中国で作られた船だけで、
朝鮮で作られら船に乗ってた連中は無事に逃げ帰ってる。
朝鮮が日本侵略の加害者だということを誤魔化すために、そんな嘘を教えてるんだよ。
朝鮮が自分たちも乗る船に手抜き工事をするはずがない。
そんなちょっと考えれば分かるレベルの馬鹿げた嘘が堂々とまかり通っているのが、
戦後のインチキ歴史教育。
朝鮮が手抜き工事をしたなんて史料は一切ない。
それどころか、現実には弘安の役の台風で沈んだのは中国で作られた船だけで、
朝鮮で作られら船に乗ってた連中は無事に逃げ帰ってる。
朝鮮が日本侵略の加害者だということを誤魔化すために、そんな嘘を教えてるんだよ。
クビライ・ハンの遺伝子が日本にもばら撒かれただろう。
彼は兵士に略奪を許したが美女だけは自分に差し出させた。
彼の遺伝子型は大陸の広い範囲から朝鮮半島まで、かつてのモンゴル帝国の
勢力範囲に分布しているが、日本にはほとんど存在しないことが最近の遺伝子調査で
分かっている。
彼は兵士に略奪を許したが美女だけは自分に差し出させた。
彼の遺伝子型は大陸の広い範囲から朝鮮半島まで、かつてのモンゴル帝国の
勢力範囲に分布しているが、日本にはほとんど存在しないことが最近の遺伝子調査で
分かっている。
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