パン屋、肉屋、仕立て屋、靴屋、石工、金細工、牧人、刑使、
ビール醸造職人、水車職人(粉引き)、渡し守、等など
楽士、浴場主、居酒屋、農民、塔守・・・
冒険者ギルドがありました
魔女、乞食、放浪学生、狩人、
夕べ、指輪王の放映があったからなあ。
いや、でも中世の固定化された職業観って好きだよ。
貧民にでも生まれたら、上昇の機会が無いから悲惨だけどさ。
んじゃ踊り子。
お金を貰うと娼婦に早変わりしたとかどうとか・・・
炭焼きは被差別民だったそうだね。
ルネサンス以前にも馬車はあったよね?
そりゃ勿論。
既出ではないのは占い師(カウンセラーも兼ねた)・産婆(堕胎や薬剤師も兼ねた)かな。
産婆か……やっぱ魔女裁判で大勢が犠牲になったんだろうな……。
堕胎はキリスト教の教えに反しているし、薬の調合は魔女行為の一と見なされたから。
写学生、洗濯女、死刑執行人
洗濯女
19世紀にもいたな
それとも神官がバイト感覚でやってたの?
1215年のラテラノ公会議以降、異端審問令がしかれ
法王直属の異端審問官がおかれたのは1230年代から50年代にかけて、
徐々に司教のパートタイムから専門職のドミニカンの修道士とかを用いるようになった。
女性を鞭打つ際には彼女らがその役を果たしたとか。ちなみに男性は
見てはいけなかった。
鞭打ちの回数を数えるのって子供の役割だったとも聞いたけど、この場合女の子だけ?
そうだと思いますが、そこまでは書かれていませんでした。
医者は瀉血をしていたというが
静脈血を抜いて気休めをしていたのだろうか
傭兵も忘れちゃいけない。
ノルマン=シチリア王朝を建てたのはノルマン人傭兵
中世っていうと300年ぐらい前はもう近世か?
商人とかギルドとかよくわからないので知りたい
ギルド株ってのはあったの?世襲?
ところで仕立て屋さんって服屋さんみたいなもんでしょ?
衣服のデザインもやってたのかな?
それとも縫ったりして作るだけでデザインは別担当?
なんとなく庶民用のこじんまりとした店なら
店主のだんなが新でも未亡人とかでもできそうな
数少ない職業のイメージがあるんだけど
どんなもんでしょうか?
決まりがあったから、全くのオリジナルってのは難しいのでは無いかな。
デザインはお客のリクエストとツンフトや参事会の決まりとを調整して
決めていたと思われ
貴族や裕福な市民がお客の中心で、それ以外は自分で服を作るか古着を着ることが多かった。
縫製は技術的な問題があり縫製する部分が少ない作りになっていて、曲線部分や曲面もスリット
と呼ばれる切れ目を入れて運動をしやすくしたり、パーツに分解してリボンなどで結んでパーツを
つなげたり、紐や帯・ベルトなどでしめたり・しばったりする服なので複雑な構造にはなっていない。
>>57にあるように階級や職業による決まり以外でも、奢侈禁止令などの規定が定められることが
よくあるので、それらを考慮して作成する必要があります。とはいえ、相手が位の高い貴族だったり
するとだいたいインチキします(というかさせられたりします)。
チョーサーが出たニャ。
なら、カンタベリー物語で物語を語った職業の人達の内でこのスレで出ていない人達を並べてみるニャ。
修道僧 教区司祭 托鉢僧 召喚吏 学僧 貿易商人 近習 郷士 医者 免罪符売り 船長 尼僧院長 粉屋 料理人 弁護士 大工 賄い方
ほわい?
妻子は見張りの仕事の邪魔になるから、と聞いたことがある。
子供はともかく美人の妻は確かに見張りの邪魔だな
当時の医者は医学校などで正規の医学を修めた内科医(本道医)と理髪師兼業の外科医(外道医)などがあった。
社会的なステータスとしては「本道医>>>外道医」みたいな感じだったとか。
当時の外科医の位置付けは現代の薬剤師や鍼灸師、マッサージ師相当だったそうな。
床屋兼外科医の徒弟修行はまず親方に弟子入りしある程度腕を磨いてから
臨床経験を積むために軍医として従軍したりしたそうな。
又、軍医はその性質上殆どが外科医だったそうな。
軍隊が貴族中心で高度に組織化されてはいないであろう中世に軍医はどういう形態で雇われたの?
騎士一人一人お抱えの軍医がいて戦場につれて行くとかなんだろうか。
概念そのものが抽象的だからなぁ・・・
金細工職人が染物職人になる程度の職業移転も無理だったんですか?
よくわからんが、もし金細工職人が染物職人になろうと思えば、
金細工職人→染物徒弟にならなきゃならんと思うんだが、
出来る出来ないは別にしてそういう人はいなかったんじゃないかな。
モグリの職人は別だろうけど。
さーて、少なくとも絹職人のような特に重要度の高い技術の持ち主は、
移住の自由すらなく、余所に出る手引きをした者すら死刑にされるほど
だったそうだ。
記憶が大分あやふやだが、媒染技術だかなんだかを漏らしたせいで
暗殺されたとかいう話を聞いたことがあるような。
上流階級のいいなりだったということですか。
例えば、現代社会には他企業に自社の技術を秘密にする企業秘密が
あると思いますが、それと同じように職業組合にはその職業の技術は
秘密で、余所には漏らさないことで、自分たちの優勢を維持していた
りします。また、職業組合が相互に自分たちのテリトリーを主張しあい、
領域侵犯などをめぐり、対立したり敵対していたり警戒していたり
しがちなので、隣接したような職業では特に仲が悪いことが多く、
移るのは難しいと思います。
そうだ。手紙の往来なども市当局の検査が必要だったらしい。ある西洋史家の
Aさんによるとニュルンベルクでは職人の組合結成の自由も認められていなかった
という話だ(でもNHKの番組では12世紀頃結成されたと言っていたが。詳しい
情報希望w)。・・・と職業選択の話からズレてしまったが・・・。
フランドルの毛織物工などは、ツンフト闘争及び1338年エドワード三世の
羊毛輸出禁止令に際してイギリスに渡り、毛織物業におけるフランドルの
後退とイギリスの飛躍に貢献している。
図師、鋳物師、塗師
サンカは中世ではありません。
言葉や風習を調べた研究者がいたそうですね。日本語と文法が違って
いたとか聞いたような記憶があります。
の史料で、幕末に生じた流民のようなものであったようです。
>言葉や風習を調べた研究者がいたそうですね。日本語と文法が違って
三角先生ですか?引用された史料の中に胡散臭いものが多く、今ではその
まま受け取っている人はいないようですよ。
>幕末に生じた流民のようなもの
僅か数十年で流民が山野で野衾のような漂泊生活に定着してしまうと言うのも、
にわかに信じがたい。逆にそのころから漂泊していたサンカの定住現象が顕著に
なったという説もあるようだ。
やはりかなり前から何らかの事情で山住まいとなったと考えるべきではないのか。
例によって外来民族説などもあるようだが、あまりあてにはならない。
日本でいうところの士農工商の率といえばわかりやすいでしょうか。
農民階級が一番多いのは当然だと思いますが、具体的な割合はどんな感じだったのかなぁと。
無論、時代や場所によっても大きく異なるので、平均的な、というのは無理でしょう。
できればそれらも明示してもらえるとありがたいです。
情報源があればよりべたー。
文化に関わらず大体似たような率になると思うんですがね。都市部と農村部とかによって。
「士農工商」といっても、日本はスカスカですからね。
農・工・商の間は結婚も制約ないし、農民の次男以下で土地を分けてもらえないと
職人か商人のところへ徒弟奉公に行く。次世代からは工・商。
大商人が農地を買って、豪農になってもお咎めなし。
江戸時代も末期になると、旗本や御家人の株を買えば(養子縁組の形式が多いが)
武士にもなれる。
幕末の気骨や能力のある直参で、三河以来なんてのはまずいない。
その増え方だと農民の絶対数が変わらず商人・職人系ばかり増えていくのでは?
洋の東西問わず、中世ぐらいになると農民が直に土地を持っているのではなく、
耕す土地を庄屋(だっけ? これは商人として扱うのかな)に借りているのではないかな。
詳しい方、教えてください。
ついでに率というのは、人口比で知りたいのだと考えてください。
例えば300人の農村で実際に農地を耕しているのは全体の何%で、
3000人の街で同じように農地を耕して生活していたのは何%、というような。
城塞都市だろうが一次生産者が皆無ということはなかったでしょうが、
この辺とりあつかってるような文献にはであったことがないんですよね。
日本はどうだか知らないけれどさ、都市のほうが死亡率が高いんじゃない?
(人口密集による衛生悪化などのせいで)
すると、都市では人口がどんどん減っていくけれど、
近隣の農村からの余剰人口が流入する。
それで、だいたい都市と農村のバランスは取れるのかと。
「旧制度アンシャンレジームでは第一身分の僧侶が0.5%,第二身分の貴族が1.5%
で、計2%の人がフランスの耕地の40%を所有し重要な官職を独占しかも免税である
上、多額の年金が支給されていた。第三身分は人口の80%を農民が占め18%が市民
(ブルジョア)で政治的発言権は無かった。」
という記述があるホームページにありました。17~18世紀の解説です。
エマニュエル・ル・ロワ・ラデュリ『モンタイユー ピレネーの村 1294-1324』
刀水書房という本がある。舞台はフランス南部、オクシタニーのピレネー山脈に
ある寒村モンタイユー。
パミエの司教ジャック・フルニエ(後のローマ教皇ベネディクトゥス12世)により
カタリ派(異端)に対する異端審問が行なわれた。この結果、その尋問のようす
が記録として現存する。その内容は異端審問には不必要と思われるような内容に
も及んでおり後世の史料として役立つこととなる。
さてこの村の人口はというと、1294年から1324年で、著者は人口は200ないし250
と見積もっている。ジャック・フルニエの証言では204名が登場するが、調査から
抜けている者がいるはず。またかなり多数の嬰児や幼子が脱落しているのが確実
だからである。逆に住民は204名とするが数字は過大で、全員が常に村に住んでいる
わけでもない部分もあり。さらに、途中で死んでいった者、村から出ていった者、
生まれてきた者などがある。ゆえに概算で200から250認としてしかわからない。
なお、14世紀末のフォア伯爵世帯台帳および地代台帳では、人口はおよそ100、
戸数23が記載されているにとどまる。戦乱や疫病などによって大きく人口変動は
生じるので流動性がある。
90%は農民だという記述がありましたな。場所はさっぱり見ていませんが。
国レベルでみるとやはり生産力の低いころは一次生産者がこれぐらいでないと
体制が維持できないんでしょう。
現代日本ではサービス業の方が多くなってるんだっけ。
多分世界レベルでみるとやっぱりこれぐらいの率になってるんだろうな。
農耕技術も科学技術も比べ物にならないからそうでもないかもしれない。
もうひとつ、専業戦士階級の率というのはどれぐらいだったのでしょうかね。
中世西洋だと騎士と従者あたりまでが含まれるのかな? 貴族がそれにあたるのか?
日本は武士と公家でわかれてたんだよね。この辺も文化の差か。
時代によっては傭兵というのも勘定にいれてもよいでしょうか。たいした数じゃないかね、これは。
戦時となると農民だろうが都市民だろうが兵隊にされていたと思うのだけど、
いわゆる正規兵は平常時どれぐらいいたのだろうなぁと。
それにしても歴史関係の資料書は高いなぁ。需要がないからだな、きっと。
>いわゆる正規兵は平常時どれぐらいいたのだろうなぁと。
常備軍という意味では、シャルル7世まで存在しないような。
合戦場で戦闘後に残された兵馬の遺体から武具甲冑・衣服・馬具などを
「採取」して売る職業、たしか西洋にも日本にもありましたよね。なんて名前だったか失念スマソ・・
社会不満から悪徳修道院を襲撃したことがあったよね。
この職業は、現代でも軽く見られる
あら、埋もれかけた良スレ発見。ではまだ出ていなさそうなところを。
石鹸作り職人 綱作り職人 靴屋 羊飼い、山羊飼い 炙り肉屋 菓子屋 パン屋
大工 車大工 薬剤師 お針子 花売り娘 皮剥ぎ(賤民ですね)
筆耕業者(写学生は既出だけど) 印刷屋(16世紀以降)
墓堀り人足 荷担ぎ人足 遍歴学生 遍歴詩人 書生 遍歴教師
ヨーロッパには、確か宿屋は11世紀前後(正確な時期はいま手元に資料がありません)
までは無かったと思う。ペルシアにもギリシアにもゲルマンにも、異人歓待(クセノドキア)の風習が
あったから、宿屋は無用だったのですな。
客人を友人としてもてなす古き良き習慣。ギリシア神話によく出てきたり、
あとタキトゥスの『ゲルマニア』にも言及されてました。
7世紀から10世紀あたりだと、食べ物は出さずに寝床を提供するというのが
一般的だったみたい。
いつしか異人歓待は民間では廃れ、宿屋、居酒屋が発達するようになった。
異人歓待の風習は、その後修道院が担うようになって、
修道院で旅人に一夜の宿を貸してくれたり、スープの施しを与えたりするのは
その名残りだと読んだことがあります。
ピート掘りは出てないね。
鉱業関係は出てたっけ?
探鉱家は占い師を兼ねてた人が多かったようで。
英国などは現代でさえ職業引き電話帳を引くと水道修理工事のページにダウザーの広告が載ってたりする位。
村々町々を回って農具や日用品の修繕を請け負う職人。
ジプシーが「旅の鋳掛け屋」を生業とする地域は英国ほかけっこうあったらしい。
昔は正業に就いていたんだ
現在でも、ルーマニアでの人口比はすごいな
インテリや有名な人の中にも、先祖がロマの人がいそうなものだが
親方クラスにならないと家族を養えないと読んだ気がします。
傭兵の収入も職人の親方クラスらしかったそうですが、
こっちは支出が多く残らないと聞きました。
こちらもご存じでしたらお願いします。
そもそも職人は結婚できないとする所もある。
イタリアの都市部では、13世紀の初め頃には既にいたみたいだね。
パリ大学進学を意識してなのかどうかわからんが、フランス語の家庭教師なん
かの需要があった模様。
15世紀の商人アントニオ・ルスティキは息子のために、
通っていた塾の教師を引き抜いて家庭教師にしている。
非人、猿曳、鉢叩、弦差、石切、土器師、放下師、笠縫、渡守、山守、
青屋、坪立、筆結、墨師、関守、鉦打、獅子舞、蓑作、傀儡師、傾城屋
「弾左衛門由緒書」には弾左衛門の支配下の諸職として、>>293 の29の
「道の者」の名を挙げています
これの諸職には鎌倉初期には存在していなかったものがあること、
朱印状を受けたとされる治承4年(1180)は頼朝が石橋山での挙兵
に失敗した時期であり、朱印状を与えられるような状態ではなかった
ことから、この由緒書きは後世の偽作だと推測されています
髪 捻り 算置易者 薦置 薦僧(虚無僧) 高野聖 巡礼 鐘叩 胸叩
へうぼう絵師 張殿 渡守 興舁農人 庭掃 材木売 竹売 結桶師 火鉢売
糖粽(ちまき)売 地黄煎売 箕作 樒売 菜売 鳥売
三十二番職人歌合絵巻に出てくる職業ですね
鎌倉時代以降に成立する『職人歌合(しょくにんうたあわせ)』
という一連の絵巻は中世の「職人」を主題とした歌合絵巻ですが、
そこには、現代人のいわゆる職人とはイメージのことなる人々も
描かれています。彼らは当時は職人とは呼ばれず「道々(みちみち)
の者(もの)」といわれたようです。もの売りの商人、遊行(ゆぎょう)
の聖(ひじり)、河原を生活の場とした雑芸能民、医師、
陰陽師(おんみょうじ)、博打(ばくち)、そして遊君(ゆうぎみ)など。
これらには「賤(しず)が民(たみ)」と差別された人々も数多く描かれ
ています。これら「職人」の世界には、差別を超えた生きることへの執着と、
厳しい現実への嘆きが描き出されているのです。
そこには下克上の世の中に、欠くことのできない存在として台頭してきた
「職人」たちの姿があります。
なんと聞こえのいい言葉かーー!
君もTRPGファンなら盗賊ギルドと言いたまえw
公認?
インドには、泥棒カーストが存在するというが
現在では、死刑の是非について議論されているところですが、江戸時代に
は、死刑の種類が実に6種類もありました。公事方御定書(くじがたおさだ
めがき)下巻、いわゆる御定書百箇条の第103条に・・・
御仕置形之事
・・・とあり、その中で鋸挽き、磔、獄門、火罪、死罪、下手人と定まって
いました。鋸挽きは鋸で罪人の首を斬っていくこと。大変な苦痛を伴うもの
で、江戸時代には、罪人を首まで土中に埋めて、その側に鋸を置くという
形式的な形だけとった後、磔にかけることが多かったようです。磔は木の柱
などに高く縛り付けられ、槍で刺されるもの。獄門は斬首された後の首を
公開されるというもの。火罪は火あぶりのことですが、これもひどい苦痛を
伴うため、温情ということで、事前に絞殺することが多かったようです。
死罪は首を斬られることですが、これだけではなく、財産を没収され、葬儀
を出すことも許されませんでした。下手人は、ただ首を斬られる刑で、財産
の没収もなく、葬儀にだすことは許されていました。殺人犯のことをこう呼
んだりもしたようですが(時代劇では必ず聞きますよね)、本来は死刑の呼
び名の一つだったんですね。いずれも償いというよりは、見せしめ的要素を
強くすることで、犯罪抑止を図ったようです。
ちなみに死罪によって首を斬られた死体は刀などの試し斬りにも使われま
したが、この試し斬りに使う台を「土壇場」と言いました。
・・・こんな土壇場にきてから・・・なんて言い方をしますが、本来、もう
死体になっちゃってて、間に合ってないんですね。合掌。
立っていた。「公示人」「ジオラマ師」「蝋燭の芯切り係」「理髪外科医」
「つけぼくろ師」など、今の私たちの目から見れば、思わず頭をかしげた
くなるようなものも多い。「マッチ売りの少女」の「マッチ売り」も、
中世特有の職業である。
以下、「パリ職業づくし」(ポール・ロレンツ監修、
F・クライン=ルブール著、北澤真木訳、論創社1995)に掲載され
ていた、中世フランスの珍奇な職業の数々。
そこでいう中世は、前近代じゃないのか
今日の意味でのマッチの原型は19世紀前半の登場だし
つけぼくろが流行したのは、ロココ時代だし
機械技術など文明の利器の進歩で消えた職業って多いだろうな
天ぷらや寿司の調理なんて、手作業としてはすごく難しかった時期が長かった
関するものの製造、または兵馬の売買なぞに従事しているともある。
そして彼らの中にはいくつもの階級がある。屠牛場の屠手は最下層の
新平民だと書いている。
調里とも四足とも書いてあり、指を四本出してみせれば穢多を指すと
も書いている。この小説には非人が同意語として出てくるので、
穢多とどんな差があるのか広辞苑で調べてみた。非人は、江戸時代の
賤民の一で、「えた」と違って、生産的な労働に従事せず、卑俗な遊芸、
罪人の送致、刑屍の埋葬などに従事したとある。それから「破戒」では
「番太」が一段上の乞食階級だとされている。広辞苑の番太とは違うようだ。
いづれにせよどれももう死語に近いから、時代小説を読むときは注意が
必要だ。
そういえば、欧州でも中世には屠(と)殺人は、賎業視されたような
乞食の方が上というのもなw
芸事でもしていたのかな
(職業差別関連)
屠(と)殺…A 解体、食肉処理
屠殺場…A 食肉処理場、屠場(とじょう)
屠殺人…A 食肉処理場職員、屠場(とじょう)従業員
犬殺し…A 野犬捕獲員、狂犬病予防員、衛生作業員
河原こじき…A (芝居の)役者
土方…A 建設作業員、建設労働者 ★それでは「浮浪者」はどうだろうと迷う人が多い。問い合わせがあったときは、迷うなら使わない方がいいと答えている(朝日)
人夫…A 労働者、作業員
農夫…B 農民、農業、農家
漁夫…B 漁民、漁業、漁船員、漁船乗組員
掃除夫(婦)…B 清掃作業員
線路工夫…B 保線区員
保線工夫…B 保線区員、保線作業員
工夫…B 作業員
鉱夫…B 鉱員、鉱山労働者
坑夫…B 坑員、坑内作業員
潜水夫…B 潜水員、潜水作業員
百姓…B 農民、農業、農家
踏切番…B 踏切警手、踏切保安係
小使い…B 校務員、用務員 →校務主事、校務員(テレ朝)
女工…B 女子工員、女子従業員
あんま…B マッサージ師、あんま師
沖仲仕…B 港湾労働者
おんぽう…B 火葬場従業員
拡張団、拡張員、拡張団長…B セールスチーム。セールススタッフ(セールスマン)。セールスチーム代表(セールスチームマネージャー、セールスチームリーダー)(読売のみ)
給仕…B ウエーター、ボーイ、ウエートレス、事務員
くず屋…B 廃品回収業(者)
小僧…B 店員
産婆…B 助産婦
女給…B ウエートレス、ホステス、(女子)従業員 ★かつては禁止語だったが、人々が使わなくなって、死語に近くなった(朝日)
女中…B 家事手伝い、お手伝いさん、(女子)従業員
職工…B 工員、労働者
でっち…B 店員
どさ回り…B 地方巡業
ドヤ街…B 簡易宿泊街
ニコヨン…B 日雇い労働者 自由労働者(テレ朝)
馬丁…B 馬手、厩務(きゅうむ)員 乗馬クラブでは馬取り扱い者(テレ朝)
浮浪者…B ホームレス (言い換えに)あまり適当な言葉はないようです(テレ朝)
浮浪児…B ホームレスの子供
坊主…B 僧、坊さん 「坊主刈り」…僧職の家族から「やめてほしい」といわれたことはある(朝日)
ぽん引き…B 客引き
郵便夫…B 郵便集配人、郵便配達人
寄せ場…B (「人足寄せ場」の意。特定の地区の形容に使うのは不可)
労務者…B 労働者
代書屋…B 行政書士
タコ部屋…B 窮屈な作業員宿舎
バタ屋…B 廃品回収業(者)
床屋…C 理髪店、理髪業院(テレ朝) 八百屋→青果商、魚屋→鮮魚商、パーマ屋→美容院(テレ朝)
芸人…C 芸能人
こじき…C
町医者…C 開業医
獣医…C 獣医師
~嬢…C 電話交換嬢→電話交換手。「うぐいす嬢」など愛称は別
スラム(街)…C
出稼ぎ(作業員)…C 季節労働者
飯場…C 作業員宿舎
日雇い…C
貧農…C 貧しい農民
レントゲン技師…C 診療放射線技師、診療エックス線技師 (現在は前者が大多数。後者は旧制度の資格で、持っている人は少数)
ドイツでの例は知ってるけど
中世ヨーロッパの職業による差別は、十分に解明されていないなく、
ドイツでは中世はヴェルナー・ダンケルトの『被差別民』、近代では
エルンスト・シュバートしかないと阿部謹也氏は「甦る中世ヨーロッパ』
で述べられている。ドイツですら差別があったどうかははっきりとしないらしい。
呉服仕立屋が有力なアムトのひとつになっている場合もある。
粉挽き屋のアムトは知らんが。
それと、中国や日本のような隣保組織は存在したのでしょうか?
大幅減少期を除く)。したがって、ほぼ100%が平民。
必ずしも平民ばかりとは言えない。
フランスでは、19世紀まで小学校の教員に聖職者が多かったようだ
20世紀初頭に政教分離法ができて、教員免許も制度化された
今でも田舎の方では、神主さんが学校の先生もやっていること多いぞ。
例えば古代ローマの異教文学を読んだりもしてたよ。
時代、地域、所属宗派によって色々違うだろうけど。
そういえば、フランス絶対王政時代の名宰相リシュリュー枢機卿やマザランも聖職者でしたっけ。
というか、聖職者は読み書きできるし、当時の教会はそこらの
王国よりよほど統治機構がしっかりしてるんだが。
記録ができますね。
世俗領主の騎士の方はどうだったんだる?
月々の小作料くらい決まっていただろうな
升目で
ローマ法を伝えたのも聖職者?
ゲルマン法は、ローマつながりじゃないから、農村共同体と騎士かな?
教会は本来はカノン法という独自の法体系を持つ。
だが世俗のローマ法も一応ある程度は知っていたはず。
ローマ法は大学が基本(ex Cathedral)だけどね。
ゲルマン法は、そもそも厳密な意味での法じゃないからね。
人類学的な部族慣習に過ぎない。だから特別の教育は不要だろう。
教会でのローマ法の学習は好まれなくなっていった。
カノンが教会を権力の源泉とするのに対し、ローマ法は皇帝を頂点としたので
皇帝権対教皇権の争いの中で、皇帝側が自身の優位を主張する為の根拠としたから。
ちなみにローマ法の再教育を協力に推進した皇帝がフリードリヒ・バルバロッサだったりする。
とはいえローマ法研究の拠点となったのはボローニャ大学だったので
皇帝派・教皇派の違いはあるが、聖職者が中心だったのは言うまでもない。
教会か都市が支援してくれた?
中世の大学は教会の一機関という建前だったから
そこから扶持が出てた。
いくつかのパターンがあるよ
ベースは一種の互助組合。
教師母体の場合は、教師組合
学生母体の場合は、学生組合
さらに学生や教師達が参加する国民団。
(大学のある都市出身者以外は組合を作って自分の権利を守る必要があった)
大学というところは神学を教えるところでもあったので、
教会もスポンサーとして参入します。
司教座聖堂参事会や大きな教会や修道院。
時代が下がると、都市、つまり市参事会がスポンサーになる大学も現れます。
ヨーロッパのルネサンス期・中世末あたりだと、
成果報酬。何とかを教えることができたらxxxを
支払うという契約を結ぶことが多い。
日本の公立学校なら無報酬続出
が主な供給源だったと聞いたのですが本当ですか
中世に完全な官僚組織なんてない。
当然、政治家と官僚なんて切り分けもあるわけがない。
あったのは王(領主)の私設顧問団と、家人集団で
これらが領内に関する文書保存、起草、雑務処理を行っていた。
前者の多くは王(領主)の家に付随する教会堂の聖職者達で
彼らの供給源は、自家の庶流だったり封臣の係累が主だったと見られる。
田舎領主はこうした顧問団を抱える大貴族に訴訟争いで負けっぱなしだった為
対抗手段として高い報酬を払って法律集を書かせていたという側面もあった。
支配層に属する旦那衆に、庶民を世話する義務を負わせたといえる
しかし、近世以前には、他にも民政を行っていた
単純に冬用の服には裏に羊の毛皮が縫い付けられてたりしたみたいだ。
それでも寒いだろうけどね。
意外となんとかなるもんだったんじゃないか?
お前も真冬に膝上20センチミニ履いて外に立ってみろ
その後産業革命直前に氷河期寸前までいって現在に至るって感じだった気がするんだが
大体10世紀から14世紀にかけて温暖だったという話。
で、14世紀から19世紀にかけて小氷期と呼ばれる寒冷な時期があったという話がある。
最近ではこれらは全地球的現象ではなかったのではないかと考えられている
小麦は生産性低そう。特に当時は森が多くて湿度高いから。
ドングリやヒエ、アワを栽培しなかったの?
麦類は播種量の2倍以下しか収穫できなかったそうで。
http://www.takemoto-shozo.com/edu-2.htm
> 九世紀のフランスで、穀物収穫量の記録が残っていますが、それによりますと、
>小麦が播種量の一、七倍、大麦が一、六倍となっています。ライ麦にいたっては
>一、〇倍で、これはそのまま翌年の種もみとして残さなければなりませんから、
>収穫量は皆無であったということになるでしょう。ヨ-ロッパでも比較的温暖な
>フランスでさえこの有様ですから、もっと北に偏った国々では、惨憺たるもので
>あったに違いありません。一般には、一三~一四世紀になっても、平均的な播種量は、
>三倍から四倍くらいと考えられています。
> 一方、日本の場合はどうでしょうか。徳川時代で三〇倍から四〇倍、現在でも
>一定面積あたりの収穫量は、ヨ-ロッパに比べて、六倍から一五倍は多いといわれています。
畑作だと、連作障害とかも考えにゃならんのだから大変だ。
1.0倍なんて数字が出てくる時点で、(書き残された当時の)誤魔化し入ってるとしか思えないんだが。
大抵の本やサイトでは、中世初期は小麦で大体3~5倍程度だろ。
白泉社 (2009-09-25)

ふわ〜な感じ。
何か批判されてっけど
唯一、最終回が不安にならない漫画(漫画家)
もう楽しめるのはファンタジーマニアくらいだろ
そうか?■2年前の記事
■何でも撫でてみる猫 他
■そろそろ立ち読みを法律で禁止しようぜ ■スクエニ田畑氏の“何気ないセリフ”が海外でちょっとした話題に ■もしビートルズの4人がTwitterをするなら ■何でも撫でてみる猫 ■苦節3年、テキサスの料理人が世界初の「揚げビール」を開発 ■外 国 の 超 うらやまし...
■ブロリー VS アカネ
微妙なタイミングで現れるカカロット。
■ラジコン飛行機でゆっくりと遊覧飛行
■WAVEFILE/初音ミク
みかじめ料を徴収するヤクザだからな
11世紀にクロスボウが戦場に投入され
騎士階級の人間が農民に撃ち殺されるようになって以降は
急速に発言力を失って、銃が投入された15世紀には土地を持っているだけの地主になりさがった
この辺は火縄銃が登場して以降
急速に衰退した日本の武士階級と同じだ
ワクワクしてくる
ローマカトリック圏と
東ローマ帝国圏じゃあだいぶ状況が違うしな。
12世紀までだと東ローマ、それ以降はイタリアがいいな。
これはコメント埋まってるなと思ったらそうでもなかった
そんなもんか・・・
ジョジョ三部の乞食にシステムがあるってやつ
あれ本当かな
「企画屋」なんて訳語が出てきてびっくりしたことがある
発明家に近いのかな?
ちなみに本人は船医。
こういうまとめ久々だな
昔みたいにこういう興味そそられるの中心にしたら
他の煽りブログと違って愛されていいと思うんだけど
俺が当時生まれてたら遍歴学生=高学歴ニートがいいかな。
そんでカルミナ・ブラーナとか書くんだ。
ところがどっこい、武士は江戸幕府が
「銃とかあぶねーから禁止な。刀使えよ」
とかいったので生き残りましたとさ
明治に活躍した元士族で侍階級なんて少数派だろうね
殆どが田舎の徒歩身分か郷士レベルの武士のはず
元気なおっさんだwww
忍者はWizardryの話な
土壇場って斬首する場所のことじゃなかったっけ?
あと挙がってない職業だと、飴売り、博徒か。
ttp://mentai.2ch.net/whis/kako/981/981129811.html
興味そそられる
下水や井戸もあるし、アウトバーン等の道路設備も充実している
世界初の資本主義国家
岩明均の「へウレーカ」読むと、時系列ですら怪しくなってくる
ヨーロッパ方面との落差が凄まじい
私は煙突掃除屋さん
源流にあるのはユダヤ教とゾロアスター教
開祖はもともと有色人種だろ
教育の行き渡ってない蛮族に対して容赦ないのは史実だが
まぁ、その手のまとめブログだったはずなのに、なぜか煽りスレを入れだしたアホブログもあるしな
アルファルファは結構まともだと思うがね
けれど寺子屋のおかげで識字率の高い日本には無かったそうだ
戦が起こると報酬目当てにわらわら集まってくる
正規軍:傭兵の比率を5:5に抑えないと直ぐに裏切るし
市民から募る兵員じゃないから壊走しやすい
日本の常識で読むと頭がこんがらがる。
カトリックによるヨーロッパの統一国家化なんて理想も
あながち途方もない理想とも言えなかったろう
中世いっても地域と年代で全然違うよな
まぁ面白いけど
船乗り、ネズミ捕り、漁師、狩猟番、牧者、狩人、ラバ追い
行商人、咄家、家畜泥棒、密輸商人、盗賊、無法者頭
徴税人、薬草師、貨幣変造人
傭兵は、酒が飲めるという理由で集まった犯罪者一歩手前のものが居たり、
敵味方の傭兵団共に事情がわかってるから真剣に戦わず、
最初にわざと多めに人数を申告し、差分を戦死者として報告した。
>1003
一揆では、鉄砲使うと取り上げられてしまうので、使わなかったそうだ。
一揆は上流階級を倒したいわけじゃないから。
やるとしたら豪商の倉の打ち壊し。
だから木製ハンマーとか、建物を壊すのに都合がいいものを持ち出していた。
ちなみに、農民が持っていた銃の供給元は幕府w
鳥獣駆除の名目で貸し出していた。
で、借りてずっと返さないまま、追加でまた借りるww
明治になって無許可の所持が禁止されるようになって提出させたら
数十丁もの銃が出た村もあったんだとさw
犠牲が多かったのはむしろ近代に入ってかららしいよ。






figma 涼宮ハルヒの消失 涼宮ハルヒ 光陽園学院ver.

